265 ハッピーハロウィン
10月31日になった。
アリスシンドロームの検査結果が届く日だった。
神宮寺がフェーズ1からフェーズ2へ悪化するかもしれない。
そうなれば社長と姫井が泣くかもしれない。
アリスシンドロームの症状が色つきで見える?
いくら雲雀さんでも無理ではないか?
いや、可視化できるというのは嘘で、ちょっとした仕草とか、普段の言葉づかいとか、見抜く方法があるのかもしれない。
いずれにしても神宮寺にフェーズ2疑惑が浮上した。
そして雲雀さんの予想はおおむね的中する。
「ハッピーハロウィン♪」
何も知らない社長は、魔法使いのコスプレをして、社員たちにクッキーを配っている。
一枚一枚を丁寧に焼いてきたバタークッキーだ。
市販品のようなサクホロ食感が出せるよう工夫されている。
材料を揃えるのを手伝ったり、味見に付き合ってきたから、社長がどんな想いでクッキーを焼いたのか痛いほど知っている。
「ハッピーハロウィンなので〜す♪」
姫井は吸血鬼のコスプレをしており、赤色カラコンをつける気合いの入れようだ。
コウモリのようにマントをバサバサする姿は、血を分けてあげたくなる可愛さといえよう。
「須田くんにはカボチャ味のチョコをプレゼントするのです!」
「……ありがとうございます」
「どうしました?」
「いえ……」
ヴァンパイア姫井がぐっと顔を寄せてくる。
「須田くん、もしかして……」
「はい?」
「ハロウィンが楽しみで楽しみで、昨夜は夜更かししちゃったのですか?」
「あっはっは……近からずも遠からずですね」
「仕方ありません。社長のコスプレは最強レベルに可愛いのです」
姫井の明るさは本物なのだろうか。
ムードを盛り上げるため無理していないだろうか。
元来、プライドが高い人だから、困ったことがあっても相談せず、一人で抱え込んじゃう癖がある。
「すごいですね。ハロウィンの衣装を自作するなんて」
「えっへん! 時間だけは有り余っていますから!」
この日のために一ヶ月前から準備してきたらしい。
「神宮寺さんから可愛いと褒めてもらえる。そのためなら何時間だって頑張れます」
姫井の指には裁縫のときにできたと思しき傷があり、俺の心を痛くさせる。
「神宮寺さんとは今夜お食事でもされるのですか?」
「はい、我が家に用意してあります」
どうか神様、お願いです。
社長も姫井も善良な女の子です。
だからハロウィンを楽しいまま終わらせてください。
「姫ちゃん、8階にも行ってみよう!」
「トリック・オア・トリートするので〜す!」
社長たちと入れ替わるようにシイナが戻ってきた。
医療機関から郵送されてきたA4サイズの封筒を持っている。
とうとう来たか。
あの中に神宮寺の結果も入っている。
会社の命運を左右しかねる一枚。
できるものなら見るのを明日まで保留したい一枚だ。
「加賀美さん、今月の検査結果よ」
「ありがとうございます」
柔和だった顔つきが、神宮寺のところへ来たとたん、険しいものに変わった。
「神宮寺さん、ちょっといいかしら。会議室まで来てちょうだい」
「おう」
終わった。
あれは神宮寺がフェーズ2と判明したときの表情だ。
神宮寺と視線がぶつかる。
草津での会話が蘇ってくる。
最近、どこか疲れた様子だった。
ぐでんぐでんに酔って、寝落ちするまでしゃべって、俺に何かを伝えようとしていた。
本当に会社を畳むのか?
ピリオドを打つ時期とか、社員の身の振り方とか、これから細部を話し合うのか?
そもそも幼コレはどうなる?
カノープスに譲るとしても、担当者が一緒じゃないと話にならないのではないか?
神宮寺が出てくるよりも先に、社長が8階から戻ってくる。
大量にゲットしてきたお菓子を何個か分けてくれた。
「あれ? あすかとシイナちゃんがいない?」
キョロキョロしている。
「お二人なら会議室ですよ」
雪森が奥を指さす。
「ふ〜ん、そうなんだ」
経営者としての第六感が働いたのか、社長は釈然としない表情をしていた。
……。
…………。
会議室から出てきたシイナが手を鳴らす。
「社員のみなさんは仕事を中断。いますぐ会議室に集まってちょうだい」
雪森と有栖川が顔を見合わせている。
加賀美も「ごめん、龍造寺くん、また掛け直すから」といって電話を切った。
とうとう審判の時がやってきた。
それとなく事情を把握している俺は、わざと最後尾で入ってから、静かにドアを閉める。
社長と姫井はキョトン顔をしている。
60分後に二人がどんな表情をしているのか、想像することはとても辛い。
「私と神宮寺さんから大切なお知らせがあります。まずは私から」
来年一月から瀬古コンツェルンの社長職に復帰することが決まった。
十二月末には関東の家を引き払い、いまの職も辞することになる。
「急な話でごめんなさい。私も今朝連絡を受けたばかりで、正直いうと戸惑っているの。再考してくれないか、電話でお願いしてみたわ。でも最終決定の一点張り。短い期間だったけれども、みんなにはお世話になったと思っている」
シイナが立ち上がり、深々と頭を下げた。
「私が協力できるのは残り二ヶ月。謝って許される話じゃないけれども、本当にごめんなさい」
あまりの決定の早さに誰もが言葉を失っている。
神宮寺はシイナを座らせた。
「去年にも話したと思うが、シイナは元々一年契約だった。延長するかどうかは瀬古コンツェルンとの交渉次第。よってシイナを責める権利は誰にもない」
淡々とつけ加える。
あまりに衝撃が大きすぎて、社長はツインテールの毛先をモシャモシャしている。
「私たちに残された道は二つだと思う。シイナに代わる人材を拾ってくるか。今年いっぱいで会社を畳むか。はっきりいって前者は絶望的だと思う。この一年、人材のリサーチは続けてきた。でも救世主になりそうな人物は見つからなかった。そういうことだ。……ありがとうな、シイナ。おかげで会社の寿命が一年伸びたよ」
「終わったみたいな言い方はやめてよ。大変なのはこれから二ヶ月よ」
「そうだよな」
ガタンと椅子が倒れる。
食ってかかったのは姫井。
「子どもみたいと笑われても、僕は最後まで会社を続けたいです。だって……この会社がなくなったら……僕らは何のために今日まで努力してきたのですか……」
何のために努力してきた?
きっと仲間のため。
誰かの役に立ちたいという自己肯定のため。
社長の助けになりたい、という浅はかな感情が、俺にとっては約三年間の推進エネルギーだった。
自分のことだけを考えている自分本位な人間はここにいない。
それは喜劇でもあり悲劇でもある。
「そうだよ……きっと道はあるって……過去にもそうやって乗り切ってきたのだから」
みんなを励ます社長の声は弱々しい。
「頑張って……頑張って……頑張って……死ぬほど頑張って……その結果が今なんだよ……いのりとゆり姫がフェーズ4になって……瀬古コンツェルンのお情けで一年延命して……前に進んでいるのか後ろに進んでいるのかもわからない……こんな状態、もう一年耐えろとかいわれると、本当に頭がおかしくなりそうだよ……」
神宮寺はフェーズ1からフェーズ2へ悪化したことを告白した。
姫井が苦しそうに口元を押さえた。
「わかんねえよ……フェーズ4なのに、なんでお前たちが毎日ニコニコしていられるのか……申し訳ないけれど、いまの私には理解できない……」
社長が痛そうにお腹をさすっている。
自分たちが不甲斐ないばかりに、しわ寄せを神宮寺に与えてしまった。
そんな自責の念がみんなの顔にありありと浮かぶ。
俺もだ。
最後は神宮寺が何とかしてくれると信じていた。
この人ほど敗北が似合わない人はいなかった。
「フェーズ2だ。それでも怖いよ。劣化したから。ましてやフェーズ4の恐怖なんて想像できない。……病院でフェーズ5の患者を見たよ。ベッドに縛りつけられて、日がな一日を無為に過ごす。家族が話しかけても反応が薄い。……だから私は考えるようになった。この会社を畳むことで、いのりとゆり姫を綱渡りから解放できるなら、迷うことなくそうすべきだってな」
一年前から薄々と気づいていたことがある。
幼女株式会社とカノープスは一つの組織になるべきではないか。
そうすればうちの従業員も、流川の部下たちも、幼コレのユーザーも、カノープスの顧客も、誰もが利益を享受できるのではないだろうか。
切磋琢磨する。
その結果、俺たちの会社はすり減って、寿命を縮めてしまった。
「いのり、命令してくれ。たった一言でいい。『来年からカノープスの従業員になれ』。それだけで私たちは前に進めるんだ。逆らうやつなんて誰もいない。いのりのことが大好きだから。みんな胸を張ってカノープスに移籍するさ。お願いだから私たちを解放してくれ。この場所が好きだから。社長命令がないとボロボロになって死ぬまで居座っちまう。そんなの心中と変わらねえ」
好きだから。
終わりにする。
奈良橋が泣いていた。
有栖川も泣いていた。
シイナでさえ涙を流している。
加賀美と雪森の二名は……ともに神宮寺に憧れてこの会社に入った二人は……辛さに耐えられなくなって、飛び出すように会議室を出てしまった。
「神宮寺さんは! 僕たちに! この僕に! カノープスの従業員になれとおっしゃるのですか!」
姫井が最後の抵抗を試みる。
「誰が幼コレの新キャラをつくるんだよ! ゆり姫、お前だろ! システムに実装するのなんて誰だってできる! でも新キャラはゆり姫の頭からしか生まれないんだ! 私たちが終わっても幼コレは終わらない! それしか残された道はない! お願いだから、今日までの努力が無駄じゃなかったって、最後まで信じさせてくれ!」
神宮寺はテクニカルマネージャーとして、会社の設立メンバーとして、二十年来の親友として、社長に向かって頭を下げた。
「頼む、いのり。これも優しさだと思って、いまは心を鬼にしてくれ」
ここまで悲痛な願いをこの先の人生で目にすることは二度とないだろう。




