264 十月と温泉旅行
家の掃除をしていた時のこと。
テレビ台の引き出しから色あせた日記帳が発見された。
「これ、社長の日記です。去年のやつですが……」
「おおっ! なつかしい!」
1月1日のページを読み返してみる。
まだ神田へ引っ越してくる前、社長が一人暮らしだった時期の記録だ。
最初の一行は『明けましておめでとうございます。元旦に神田のサラリーマンを見かけると、おっ、あいつも正月から仕事なのか、私も負けておれんな、と闘志が奮い立つのであります』という熟年サラリーマンのような文言から。
自分に向かって挨拶するなんて、型破りな瀬古いのりらしい。
「一年の目標を箇条書きにしていますね」
「どれどれ……去年は何個達成できたかな……」
クリアできているのは、
『幼コレの1,000万DLを達成する』
『夏冬のボーナスを支給する』
『新しい社員を探す』
といった目標。
未達に終わったのは、
『みんなと旅行へいく』
という目標。
こうして年初の目標を振り返るのも楽しい。
「みんなというのは全社員という意味ですよね?」
「そうだね。土日の待機要員がいるから。こればかりは不可能だったね」
ゲーム運営をやっている以上、都心から全員を離れさせるわけにはいかない。
信頼できる外注先がいるなら話は別だが……。
「今年も残り三ヶ月……よし! みんなで一泊二日の旅行へいこう! 去年の忘れ物を回収するのじゃ〜!」
「えっ⁉︎ 不可能なんじゃ……」
「う〜ん、不可能といえば不可能なんだけれども……」
「シイナさんも込みですか? 集団行動は嫌がりそうですが……」
「雲雀さんの力を借りようと思う。じゃないと、会社の行事についてこないから」
「なるほど」
社長の手元には『高級宿の宿泊チケット』がある。
フットサル大会の優勝賞品として『一泊二日チケット』を10人分もらったのだ。
指定のグループが経営している宿ならどこでも使える。
近場だと草津とか、熱海とか、鬼怒川とか、有名どころの温泉地は網羅されている。
「みんなに配っちゃおうとも思ったのだけれども……」
雪森の口から『社員旅行にしませんか?』というアイディアが出たのだ。
他メンバーも賛成している様子だったので、二つのグループに分かれて、別々の日に行こうかな、みたいな流れになっていた。
社長が電話を取り出す。
『かくかくしかじかの理由でカノープスの人員を貸してほしい』とお願いしている。
「えっ⁉︎ いいの⁉︎」
通話を終えた社長は小さくガッツポーズを決めた。
「流川さんですか?」
「うん! カノープスの助けを借りることにしたので、みんなが東京を離れても平気です!」
パチパチパチと拍手。
今回のような連携ができるのも、加賀美がカノープス社員と仲良くしてくれているお陰だろう。
……。
…………。
土曜日。
神田のビル前に一台のアストンマーティンがやってきた。
高級車を運転しているのは誠一郎で、助手席には加賀美を座らせている。
すっかりセレブ婦人だな。
首にピンク色のスヌードを巻いており、プリティーな貴婦人みたい。
「草津でまた会おうな〜」
神宮寺が後部座席に乗り込む。
「おっほっほ〜。素晴らしき輝き〜。カボチャの馬車よりアストンマーティン〜♪」
姫井は高級車にデレデレといった感じだ。
加賀美たちはワイナリー見学する予定なので、俺たちと別ルートで草津温泉郷へ向かう。
「誠一郎、みんなを頼んだよ〜」
バイバイと手を振る社長に見送られながら、アストンマーティンは出発していった。
「では、俺たちも行きますか」
俺のレンタカーには社長、奈良橋、雪森、有栖川をのせる。
ウン千万円する外車ではなく、ごく平凡な国産車で申し訳ない。
「シイナちゃんも出発したかな〜?」
シイナからメッセージが届いた。
雲雀さんの車で移動しており、すでに東京都を出た、とのこと。
にしても社長の計算通りだな。
シイナをつかまえて『高級宿の宿泊チケットが一枚余っているから、もし雲雀さんの都合がつけば……』と誘うと、すんなり社員旅行に参加してくれたのである。
『行く! 行く! 行く! 絶対に行く!』
平素はツンツンしている幼女なのだけれども、雲雀さんの名が出たとたん、仔猫のように可愛くなる。
あれで普段からもっと協力的なら……。
いや、集団行動してくれるだけマシか。
「涼ちゃん! ミュージックスタート!」
「えぇ……私ですか……」
奈良橋のスマートフォンには音楽配信サービスからダウンロードした曲がたくさん入っており、ジャンルとか、その日の気分とか、細かくリスト分けされている。
「ピクニックの曲にしよう!」
「そのリストはないです」
「じゃあ、秋っぽいやつ!」
「邦楽と洋楽がありますが?」
「う〜ん……国内旅行だから、邦楽にしとこっか!」
往年のヒットソングからこの秋リリースされた話題曲まで、バランス良く詰まっているリストを流しながら、首都高速を走っていく。
「あっ! このアニソン知ってる!」
「歌恋からマンガを借りました。泣けるのでオススメです」
車内は完全にカラオケボックスと化しており、やはりというべきか、奈良橋の歌声が一番きれいだった。
……。
…………。
紅葉が美しい山道を抜けていく。
ところどころに蕎麦屋の幟が見える。
東京から車を走らせること4時間弱、山々に抱かれた草津温泉郷へとやってきた。
行楽シーズンということもあって観光客の姿が多い。
移動で疲れている社長たちを休ませるため、名所である湯畑で30分くらい散策することにした。
「足湯だ!」
無料の足湯スポットは、俺にはちょうどいい温度だったが、幼女には熱すぎたようである。
足首から下が真っ赤に染まっている。
「温泉まんじゅうだ!」
みんなで仲良く食べながら写真撮影。
雪森が一眼レフを持ってきており、古い建物の写真とか、噴き出すお湯の写真とか、楽しそうに撮っていた。
テレビで何回も見たことがある草津だけれども、実際にやってくると、硫黄の匂いや、温泉の熱が、五感をフルに楽しませてくれる。
愛犬を連れている観光客を見かけたとき、ペットホテルに預けてきたワトソンのことを思い出す。
俺と社長だけいい思いをして申し訳ない。
高級猫缶を買って帰れば許してくれるか。
「そろそろお宿へ移動しますよ」
「は〜い」
先導する俺の後ろをみんなが雛鳥のようについてくる。
「すごい温泉旅館なんだよ。客室に露天風呂がついていてね、いつでも入浴できるんだ」
「客室に風呂があると、部屋がびしょ濡れになりませんか?」
奈良橋がボケる。
「違うよ。お風呂がついているのはベランダ部分だよ」
「ああ……部屋のド真ん中に浴槽があるのかと思いました」
こういう会話は小学生レベルだ。
……。
…………。
「だぁ〜れだ?」
フロントのところで後ろから目隠しをされる。
背中にはプニプニした胸の感触……。
雲雀さん?
いや、あの人は俺にベタベタしてこない。
「……メノウちゃん?」
「大正解!」
振り返るとメノウとクリスティナの顔があった。
ソファのところにはシイナと雲雀さんの姿もある。
「四人で一緒に?」
「そうです。シイナが草津へ遊びにいくと聞いたので、私たちも便乗しちゃいました」
「なるほど」
並の大学生では泊まれないような高級宿なのだが……。
映画館へいくような気軽さでやってくるあたり、さすがメノウお嬢様である。
部屋割りは元から決まっており、
【二人部屋】
俺と社長
神宮寺と姫井
シイナと雲雀さん
【四人部屋】
加賀美と奈良橋と雪森と有栖川
となっている。
メノウとクリスティナも二人部屋。
誠一郎が問い合わせたときには満室だったので、状況から察するに、ラスト一部屋をメノウたちが押さえたと思われる。
(誠一郎はここから歩いて200mの宿を泣く泣く予約した。瀬古コンツェルンは草津に進出していないようだ)
「もう湯畑は見てきましたか?」
「うん、少しだけね。メノウちゃんは?」
「これから足湯をしにいきます!」
夕食は、部屋で食べるか、宴会場で食べるか、選択できるタイプ。
シイナに確認したところ「社員旅行なんだから、みんな一緒でいいわよ」とあっさりOKしてくれた。
ひと風呂浴びてから全員集合。
上州和牛をふんだんに使った料理は頬っぺたが落ちるほどおいしくて、とても愉快な時間を過ごせた。
「一人でご飯を食べている誠一郎さんが可哀想だから……」
そういってビデオ電話をつないであげる加賀美を、周りのみんなが冷やかしていた。
……。
…………。
夜半。
目を覚ました俺は、そっと寝床を抜け出して、エレベーター横にある自販機コーナーを目指した。
先客の声がする。
話していたのは神宮寺と雲雀さん。
珍しい組み合わせだったので10秒くらい動けなくなる。
「誰かと思えば……須田ちゃんかよ」
バツが悪そうな顔をする神宮寺の手には缶ビールが握られており、心の動揺を隠すように、ぐいっと中身をあおった。
「そんなに不思議ですか? 私と神宮寺さんが?」
雲雀さんもビールを飲んでいる。
缶はほとんど空なのだが、顔つきはシラフの時と変わらない。
「どうですか。須田さんも。いのり社長に遠慮して、一滴も飲んでいないでしょう。私はシイナさんに遠慮して、こそこそ隠れて飲んでいます」
「雲雀さんもお酒を飲むのですね」
「ええ、一般女性くらいには」
ビールを買ってから神宮寺の横に腰を下ろす。
時間の空白を埋めるような、他愛のない話がしばらく続く。
「それで神宮寺さん、いつお話しに?」
「……」
「まあ、いいです。好きにされるとよろしい」
「……」
「だってあなた達の会社なのだから」
雲雀さんは空になった缶を捨ててから立ち去っていった。
残された神宮寺の手がわずかに震えている。
「なあ、須田ちゃん。あの雲雀さんって何者なんだ?」
「メノウちゃんのお母さんが一番信頼している人……でしょうか」
「ちょっと変な質問をするけれども、雲雀さんが間違ったことを言うと思うか?」
「いいえ……」
「そう思う根拠は?」
「言葉じゃうまく説明できませんが、生き物としての次元が俺たちとは根本的に異なります」
「……なるほど」
アーモンドのような瞳が天井を見つめた。
「さっきあの人から言われたよ……『私にはアリスシンドロームの症状が見えます。色つきで可視化されるイメージです。幼女株式会社のなかで神宮寺さんだけが悪化しています。次の検査でフェーズ2判定をもらうでしょう。いのり社長、姫井ゆりの穴を埋めようと必死になった結果です。ですから幼女株式会社の畳み方について、そろそろ真剣に検討することをオススメします』……だってさ。笑っちまうよな」
神宮寺は彫刻のように考え込んでいる。
「もしかして自覚があったのですか?」
「完全に無自覚といったら嘘になる。でも少し疲れているくらいの感覚だった」
きっと姫井の介護が負担になったのだ。
成人男性の俺は平気でも、神宮寺まで平気とは限らない。
「私たちの会社を畳むとか、冗談もいいところだ」
「ですが神宮寺さんがフェーズ2に悪化しちゃったら……」
「須田ちゃんは雲雀さんを信じるのか?」
俺は言葉に詰まる。
神宮寺がやれやれと首を振る。
「雲雀さんは関係ないよな。私たちの組織だもんな。悪りぃ……」
「アリスシンドロームのことでこれ以上悩みたくないのが本音です」
「だよな……私もゆり姫のことで精一杯だよ……もうすぐ一年だ……こんなに長い一年は生まれて初めてだ……」
頼りになる先輩の背中がいつもより小さく見える。
過去にも似たようなことが一度あった。
「今夜くらいは飲みましょうよ」
「そうだな。明日のことは明日考えるか」
神宮寺は吹っ切れたように、あっはっは! と笑ってから、缶の残りを一気に飲み干して、追加のビールを購入した。
「それでさぁ……ゆり姫がさぁ……」
「その話はもう10回目ですってば」
何時間も話し込んだあと、すっかり酔いつぶれた神宮寺を運んで、姫井の隣に寝かせてあげる。
「……神宮寺さん」
少女の寝顔にそっと触れた。




