251 四月とお花見と焼肉
四月になった。
俺と社長は、江戸川区にある葛西臨海公園へやってきて、桜の木の下でゴロゴロ寝そべっていた。
知らない鳥の鳴き声がする。
陸から海へ向かって風が吹いている。
ピンク色の花弁が粉雪のようにヒラヒラ舞っており、地上の楽園にいる気分だ。
姫井と神宮寺は中目黒へ出かけたらしい。
おしゃれカフェがたくさん営業している土地なので、いかにも姫井向きの街といえよう。
「うまうま〜」
七割くらい寝落ちしている社長がお口をモグモグさせている。
プリンかケーキを食べる夢でも見ているのだろうか。
「牛タン〜、イチボ〜、ハラミ〜、ブリスケット〜、カルビ〜、そして〜、締めは〜、牛タンだ〜」
牛タンが二回出てきた!
というか牛タンでスタートして、牛タンでゴールしてしまった!
久しぶりに焼肉屋へ行きたいのだろうか。
自然の中で過ごすことが増えて、繁華街へ行くことが減ったので、外食する回数は減っような気がする。
たまにはお肉を腹いっぱい食べさせてあげよう。
社長の胃袋は小さいから、高級焼肉へ連れていったとしても、二皿くらいしか食べないと思うが……。
「うにゃ?」
社長がゆっくりと目を開ける。
額のところに薄い花びらが張りついている。
ここが家じゃないことを思い出したのか、むくりと上体を起こして、髪と服の乱れを整えた。
「ここは?」
「臨海公園です」
「ああ……気持ちよすぎて寝てしまった……いかんいかん」
今度は座ったままウトウトしている。
ハスキー犬をフリスビーで遊ばせている人がいた。
犬が走っては戻り、走っては戻りするのを俺は10往復くらい観察する。
「予定では、この後、レンタル自転車で公園の敷地内をサイクリングすることになっています」
「はい! 隊長!」
「それが終わったら水族園に行きます」
「マグローペンギン!」
「???」
ああ……。
マグロとペンギンのことか。
マグローペンギンなる新種の生き物が存在するのかと勘違いした。
社長の言語センスは、元々ちょっと変わっていたのだが、最近は特に切れ味を増しており、言葉のゲームをやっている気分にさせられる。
「あれ? 靴がうまく履けない……」
「今朝も似たようなことを言っていましたね」
「う〜ん、お気に入りのシューズなのだけれども……」
あっ! と同じタイミングで声を発する。
「足が大っきくなったんだ!」
「足が成長したのですね」
これも同じタイミング。
嬉しそうに笑っている社長の頭に麦わら帽子をのせてあげた。
「神田へ戻ったら靴屋へ行きましょう」
「そだね」
社長は立ち上がると、翼を伸ばすように両腕を広げて、ぶ〜ん、と走り出す。
天使のように無邪気な背中を俺はすぐに追いかけた。
「私を捕まえてみなさいよ!」
「本気を出した俺からは10メートルだって逃げられはしませんよ」
「きゃっほい!」
最近、うちの幼女社長がとにかく可愛すぎる。
……。
…………。
スーパーで焼肉用のお肉を買って帰った。
健康にこだわる社長らしく、野菜もたくさん買ってきた。
焼肉の味を左右するのはなんといってもタレである。
『化学調味料不使用! 野菜と果物でつくった焼肉のタレ!』なる商品があり、どう考えてもこれが一番良さそうと満場一致で決まり、宴に必要なものは揃ったのである。
「本当にお店の焼肉じゃなくて良かったのですか?」
「いいんだよ。たまには家のホットプレートを使わないと」
「そういえば一ヶ月くらい出していませんね」
「うんうん、道具がかわいそう」
「なるほど」
お家焼肉の最大の弱点はなんといっても煙と油だ。
うちのホットプレートには焼肉用の天板(波状の溝がついた天板)が入っており、これなら被害は最小限に食い止められる。
とはいえ、油跳ねをゼロに抑えるのが不可能なのも事実。
きれい好き姫井なら、お家焼肉するくらいなら生肉を食う方がマシ、とか言い出して神宮寺を困らせそう。
(値段は張るのだが、赤外線ロースターといって、上から赤外線を放射してお肉を焼ける器具がある。これなら煙がほぼ出ないので、ヘビー級お家焼肉ユーザーは買っていいかもしれない)
家に帰ると、さっそく古新聞を広げてセッティングに取りかかった。
換気扇を回して、窓を開けておけば、あとはお肉を焼くだけ。
「まずはネギ塩タンからいきま〜す!」
紙のようにペラペラした薄いやつではなく、しっかりと厚みのある牛タンを買ったのが、社長のご自慢である。
国産と米国産があって、国産の方が二倍くらい高かったので、そこは米国産にしておいた。
「うんまいっ!」
大好物を口にした社長は、頬っぺたに手を添えて大喜びしている。
かわいいな。
どんどん食べさせたくなる。
10分くらいしたとき、社長のスマートフォンが鳴った。
「いのりなのだ♪」
『メノウなのだ♪』
「どうしたの?」
『7階で焼肉を食べているでしょう』
「クックック……とうとう我々の計画が露見してしまったか……」
『いますぐ潰しにいってやるから、二人分の席とお皿を用意して待っていやがれぃ』
「お前たちの行動はすべてお見通しなのだ……なぜなら、我が家のホットプレートは四人同時に対戦可能なのだ……ちょうど二人対戦に物足りなさを感じていたところなのだ……ワッハッハ」
家庭用ゲーム機みたいな言い草をするな。
あと二人とも口調が悪役っぽい。
『いのりさん、ラム肉とデザートのアイスがあるので、下まで持っていきますね』
今度はクリスティナの声が聞こえた。
「お肉買いすぎたから、ちょうどいいね〜」
「ですね〜」
お嬢様のメノウでもお家焼肉とかするのだな。
ちょっとした新発見である。
……。
…………。
「うはぁ! 食べすぎた〜!」
お腹がパンパンになった社長は、忘れないうちに今日の『実績』をつけている。
夕食の欄には『焼肉を胃袋130%くらいまで食べた』『焼野菜もたくさん食べた』と素直に書き込んでいた。
「いのりさん、須田さん、アイスクリームはどうします?」
クリスティナがメノウと自分の分を取り出しながらいう。
「ごめん……お風呂上がりに食べるよ」
「すみません……俺も社長にならいます」
「いえ、お気になさらず」
この後、メノウたちは30分くらい談笑してから帰った。
都内の大学に通うようになったのだが、通学時間は高校とそれほど変わらず、むしろ講義が楽チンになったので、時間の余裕は増えたそうである。
「夏休みが楽しみなのだ! 今年こそクリスと海外旅行するのだ!」
早くも候補地が10か所くらいあるらしい。
美しい従者は口元をニヤニヤさせて興奮を隠しきれない様子だった。
でもいいな。
好きな人と旅行できるのは。
俺たちは「北海道行こうか?」「沖縄行こうか?」なんて会話を年初からずっと続けており、とうとう行かないまま現在にいたる。
心のふんぎりというか、航空券をポチる勇気というか、あと一歩でいつも迷うのだ。
「あれ? いのり、少し背が伸びた?」
「えっへん! 成長期なのです!」
「厚底スリッパじゃない⁉︎ 本当だ! 大きくなっている!」
メノウは玄関のところで何回も抱っこして、社長の成長ぶりをその手で実感していた。
「ねえ、メノウ。初めてブラジャーつける時って、お母さんに相談したの?」
「えっ⁉︎ あんた、もうそんな心配しているの⁉︎ 気が早くない⁉︎」
「ほら、私は親に相談できないから……」
「ふっふっふ……その時は私が一緒に選んであげるよ」
「うにゃ」
社長が身近なことを相談するとき、メノウはしっかり者のお姉さんみたいで、これも新発見といえた。




