246 姫井エチエチ画伯とSNS
この会社を揺るがす大事件が起こった。
いや、いつか事件になることは確定していたのだが、最悪のかたちで、最悪のタイミングで、最悪の組み合わせで事件は起こってしまった。
神宮寺はあちゃ〜と額を押さえ、雪森はぴえぇぇ! と泣きそうになり、なぜか有栖川だけはニヤニヤしている。
「ちょっと、姫井ゆり!」
腰に手を当てて柳眉を逆立てているのはシイナ。
もう片方の手には姫井から取り上げたスケッチブックが掲げられている。
「この絵はどういうつもりかしら⁉︎」
「あぅあぅ……僕のスケッチブックを返してくださ〜い!」
泣きそうな顔で抵抗してくる姫井を、シイナはグイグイ押し返している。
「返せるわけないでしょう! あなた、これの続きを描く気でしょう!」
「それは僕の最高傑作になる予定なのです」
「ふざけるな! いますぐ滅びて死ね!」
シイナが怒りの張り手を食らわせようとする。
相手がフェーズ4であることを思い出したのか、ギリギリのところで軌道をずらして、手は空を切るだけに終わった。
「くぅううう……あなた! 人として本当に腐っているわね!」
「はぅ……もっと口汚く罵ってください」
「マゾヒストって苦手だわ! 理解の輪から大きく外れている! 頭に害虫が湧いたようなクソ幼女が、優秀なクリスさんの肉親とか、今でも信じられない!」
姫井が鋭意作成中だったのは、ソフトSMを題材にしたレズ幼女同人本である。
ずばり『シイナお姉様はいいなりボクっ娘がお気に入り♪』というタイトルで、
S役 → 早乙女シイナ
M役 → 姫井ゆり
となっており、案の定、シイナの逆鱗に触れてしまったわけである。
姫井のこだわりの凄いところは『シイナがリアル世界で使ったセリフ』だけを作中のシイナにも使わせている点。
具体的には、
『マジで使えないゴミだな!』
『容姿の美しさだけが取り柄のメスブタ幼女め!』
『幼女ソーセージにして食ってやりたい気分だわ!』
といったセリフをつなぎ合わせることで、シイナが姫井を調教していくストーリーに仕上げており、作成者の病的なまでの思い入れが表現されているのだ。
もはや才能の無駄づかい。
いや、芸術的センスの爆発。
この手の縛りプレイは姫井の真骨頂といっても差し支えない。
とはいえ相手が悪かった。
「気持ち悪い! 鳥肌が立ってきた! そもそも自分が主人公の漫画とかトチ狂っているわ!」
その点は俺も激しく同意せざるをえない。
「漫画とは、そもそも、作者の欲望を表現するという側面を持ち合わせたツールであり……」
「姫井ゆりの持論なんて聞きたくない!」
これは一従業員と一従業員の問題にとどまらない。
万が一、シイナが民事訴訟とか言いだすと、セクハラ&パワハラ案件として処理され、姫井に対する賠償命令が100%の確率で下ると思われる。
そもそも日本史に前例がある事件なのか?
会社のナンバースリーが会社のナンバーツーを訴えるとか、組織としては末期症状と笑われても仕方がない。
どうする、幼女株式会社?
どうする、社長?
「まぁ……あれだよね……」
死んだ魚のような目をした社長がシイナからスケッチブックを取り上げる。
ろくに内容を確かめないまま、背表紙のところからバラバラに分解して、姫井の作品をシュレッターにぶち込んでしまった。
一枚終われば、次の一枚へと。
すべてが断裁されるのに60秒もあれば充分だった。
「そんなぁ……僕の夢がぁ……」
最高傑作を葬られて、泣き崩れそうになる姫井。
「姫ちゃん……」
「はい?」
「そこは、はい? じゃなくて、はい! だよね」
「ひぇ⁉︎……はい! です」
あの社長が怒っている。
虫ケラでも見下すような冷たい目で、穴のあくほど姫井の顔を見つめた後、一転、聖母のように優しい笑みを浮かべた。
まさかのギャップ攻撃に、姫井は指先をモジモジさせて、嬉しそうに口元をニヤけさせている。
「姫井エチエチ画伯、今日で廃業しよっか。とりあえず、肌色成分50%以上の女の子を職場で描くのは禁止ね」
「……はぅ」
「返事は?」
「はい! です」
姫井の反省する姿に満足したのか、シイナは何事もなかったかのように席へと戻り、仕事の続きに取りかかった。
……。
…………。
しかし事件とは立て続けに発生しやすいものである。
またもや震源地は早乙女シイナ。
「なっ⁉︎ 私の写真が無断でアップされている⁉︎」
問題となったのは会社のSNSであった。
『新しい仲間が増えました……』みたいな投稿で、スーツ姿のシイナとか、着物姿のシイナが写っているのだ。
これは許すまじ!
ぷりぷりに怒ったシイナが、今度は神宮寺のところへ向かう。
「取り下げろとかいっても無駄だぞ」
「どうしてよ?」
「契約に含んでいるからな。『会社のSNSを含めたメディア媒体に顔や名前が露出することがある』『本人の名誉や人権が損なわねない限り、これを取り下げすることはない』。わかってくれたか。頭がいいシイナさんなら、ご理解いただけると思うのだが……」
「くぅ……」
これは不覚!
契約の二文字を持ち出されたのでは反論の余地がない。
シイナだって会社SNSがあることは知っていた。
どういう頻度で更新されるのか、どのくらい閲覧されるのか、誰が管理しているのか、あまり把握していなかったらしい。
顧客分析やマーケティングはシイナの担当外。
そんな内向きな発想が今回の油断を招いたともいえる。
「いのりさんと姫井ゆりがフェーズ4であること、SNS上でちゃんと公表しているのね」
「ああ、それが二人の意思だからな。私は反対したのだけれども……」
日本中にはフェーズ3やフェーズ4で苦しんでいる幼女がたくさんいる。
もしかしたら、自分たちの存在が彼女たちの励みになるかもしれないと考え、社長と姫井はフェーズ4であることを隠さない道を選んだ。
有名な歌手や俳優が難病を公表するのに似ているかもしれない。
あれは同じ病気で苦しんでいる誰かの気持ちを楽にさせる。
「もしかしたら、うちの会社の存在を知る人が増えるかもしれない。もしかしたら、同情で会社の売り上げが増えるかもしれない。そういう汚い打算が0%とはいわない。でも99%までは人助けの精神なんだ。そこら辺は理解してやってほしい」
「どうしてそこまでするのよ? 会社のツートップがフェーズ4なんて、外部に知られたら不都合なことの方が多いわ」
「シイナだって、目の前に死にそうな老人がいたら、他人だったとしても、迷わず救急車を呼ぶだろう」
「そりゃ……まあ……」
「それと同じだよ。あいつらの目には死にそうな誰かの顔が映っている。私たちの目には映っていない。ああ……これは比喩な……視力が悪いって意味じゃないぞ……」
「……わかるわよ……それくらい」
「映っちまったものは仕方ないんだよ」
デリケートな問題となるのだが、道端で死にそうな誰かを見つけたとき、それが赤の他人であれば、救急車を呼ばずにスルーしても、道徳的にはともかく、法律的に責められることはない。
「あいつら、一日三時間しか働けないから暇なんだよ。そのせいでSNSの更新回数が増えている。悪いが、SNSについては好き放題させてやってくれないか?」
「それがトップの意思なら従うしかないわね」
「理解が早くて助かるよ」
うちのSNSは外部からかなり注目されている。
『新しい仲間が増えました』の回は特に『いいね』とコメントが多かった。
『いのり社長の双子?』
『生き別れた姉妹という説が濃厚……』
『二人ともかわいい!』
という書き込みにシイナが目を通していく。
その指が止まった。
俺と神宮寺は横から画面をのぞき込む。
ユーザー名:『雲雀』
投稿コメント:『シイナさんは相変わらず気品がありますね』
本物という保証はないが、マキャベリーの雲雀さんと考えてほぼ間違いない。
簡素ながらも、心がこもったメッセージに、シイナは涙が出そうなほど感激している。
「うそ……気づいてくれていたんだ……」
本当に好きなんだな。
その1%でいいから、俺たちのことも好きになってほしいが……。
「神宮寺さん! 次に雲雀さんがメッセージをくれたとき、気づくことは可能かしら?」
「まあ、方法はあるけれども……」
「SNSもバカにならないわね。ああ……本当にあの人は素敵だわ」
シイナはうっとりと頬に手を添えて、少女漫画のキャラのように、甘ったるいため息をついた。
完全に恋する乙女の表情だ。
お慕い申し上げております、という心の声が聞こえてくる。
「すみせません、神宮寺さん。質問いいですか?」
「なんだよ、須田ちゃん?」
「女が女に惚れるって、普通のことなのでしょうか?」
「世のマダムだってタカラジェンヌに熱狂するだろう。スペックが一定値を超えてしまった人類は、男だろが女だろうが虜にするようだ」
「……なるほど」
たしかに悪役オーラ全開のシイナをデレさせるには、お母様、雲雀さんクラスの高スペックが求められそうだ。




