129 数学の補助線
昼食のお弁当を食べ終えて、コンビニで買ってきた烏龍茶を飲んでいたとき、社長からのビデオ電話のコールがあった。
「お疲れ様です。須田です」
俺は秒で対応する。
『マサくん、渋谷での調子はどう? 何か困ったことはない?』
「本格的な作業はこれからです。なので今のところは大丈夫です」
社長の机にも烏龍茶が置かれており、しかも俺のとまったく同じ商品だった。
「あっ! そのお茶!」
『あっ! そのお茶!』
声が重なってしまい苦笑いする。
共通点が見つかると何となく嬉しい。
「美味しいですよね、これ」
『うん、マサくんがよく飲んでいたと思ってね。つい買っちゃった』
それって俺がオフィスにいなくて寂しいってことなのか?
いやいや、いくら愛情表現がストレートとはいえ、社長は狙ってそんなことをしないだろう。
「それで……何かご用でしょうか?」
『あれ? 何の要件で電話したんだっけ? ど忘れしちゃったよ……』
社長が胸の前で指をツンツンしている。
その頬が心なしか赤いような……。
「思い出せそうですか?」
『う〜ん……』
神田のオフィスに忘れ物をしたとか?
出張の手続きを間違っていたとか?
どれも違うと社長はいう。
『また思い出したら電話するね!』
一方的に電話を切られてしまった。
「須田くんってたまに鈍感だよね」
隣にいる加賀美がお手ふきで口元を拭いながらいう。
「そうですかね?」
「社長は単に須田くんの声を聞きたかったんだよ。タテマエの用件を用意していたけれど、きっとど忘れしたんだね」
「ええ……そんなバカな……」
俺は画面がブラックになったスマートフォンを呆然と見つめる。
声を聞くために?
わざわざ俺に電話をかけた?
社長がとてつもなく可愛い生き物に思えてきて、心臓の辺りがかっと熱くなってきた。
「付き合い始めたばかりの恋人同士みたい」
加賀美はおそらくポジティブな意味でいったのだろう。
しかし感情をうまく処理できない俺の血圧を上昇させるだけの効果しかなかった。
「社長と須田くんはゆくゆく結婚するんだよね?」
「そのつもりです」
「親御さんへの挨拶は?」
「そこら辺は完全にノーアクションです」
「いいな〜。将来に確かな希望がある人たちは」
加賀美は将来的にどうするのだろうか?
自治体によってはパートナーシップ宣言が認められており、法的な権利の発生や義務の付与はないものの、それを利用している幼女はすでに存在している。
「加賀美さんだって相当にモテそうです」
「それは冷やかしでいってる? 平日はバリバリ働いているし、たまには休日に休めても、心身の疲れを取ったら終わりだよ。須田くんも幼女の体になったら、神宮寺さんがいかに化け物なのか、よくわかるよ」
まるで仕事と結婚しているみたい。
怒られそうなので黙っておく。
「それよりも今は目の前の任務だよね」
お弁当の容器を捨ててから、席まで戻ってくるとき、加賀美の足が急に止まった。
その視線の先にはホワイトボードを使って相談する社員たちがいる。
彼女たちもガルメモ班だ。
その中には龍造寺のことを『ネギ先輩』と呼んでいた女性スタッフもいる。
「ええと……ちょっといいですか……」
俺が何をするのか見守っていると、加賀美は水性ペンのキャップを外して、すらすらと書き込み始めた。
「I/Oの負荷が大きくて問題。だから減らしたいってことですよね? だったらここをプライマリに指定して、こっちをセカンダリに指定して……。ちょっと特殊なやり方ですが……。こことここを分けて管理した方が楽チンですよ……」
カノープス社員たちがポカンとした。
「すみません。前の会社で似たような問題に悩まされた経験があるので。出すぎた真似をしちゃいました」
加賀美が恥ずかしそうにして去ろうとしたとき……。
「ちょっと待ってください!」
あの女性スタッフが呼び止めた。
「この問題ってdelete処理のところが性能のネックになっている、とおっしゃっていますか?」
「はい、ご認識の通りです」
加賀美は即答する。
「加賀美さんが提案してくれたデータ構造って、将来の拡張性も見越していますか?」
「そうです。三年先、五年先となるとユーザー数がいまの何倍にも膨らむでしょう。現在のデータ構造だと、急場は凌げたとしても、別の問題で悩まされるんじゃないかな」
練習したみたいにスラスラと話せるのがすごいな。
「私の案だと最低でも2の平方根の三乗の性能改善が見込めます」
「えっと……平方根の……さらに三乗……」
「最低でも64%の処理時間の削減が見込めます」
数学の補助線を引くようにあっさりと難問を解決してしまった。
「すみません。新参なのに出すぎた真似を。私たちもガルメモをプレイしているのですが、ここの処理はどうなっているんだろうって、内部のことを想像しながら遊んでいます」
そして恩着せがましい言動は絶対にしない。
ここら辺も加賀美の美徳といえる。
「加賀美さんって何者なのですか? 謎のエンジニアとして技術系ブログを書いていたりします?」
「いや、ただの平社員です。上司から与えられた仕事を淡々とこなすのだけが取り柄です」
その上司が神がかりの神宮寺なのだが……。
「ありがとうございます。非常に助かりました。これとは別件なのですが、加賀美さんの知恵を借りたい問題があります。お時間のあるときに相談させていただいてもよろしいですか?」
「こんな私でよければ。いつでもどうぞ」
何はともあれ俺たちは一部のカノープス社員の信頼を勝ち取ったらしい。




