122 加賀美さん
「それじゃ、留守は任せたよ」
社長と神宮寺がいなくなったフロアは、いつもより五割増しで広く感じられ、ちらほらと欠伸をする幼女の姿が目立った。
どの先輩も先週の修羅場をくぐったときの疲労がまだ抜けていないようだ。
「ねえねえ、須田くん」
向かいの席にいるポニーテールの幼女が小声で話しかけてくる。
これは加賀美さんだ。
薄桜色のカーディガンに、イエローのロングスカートという清楚な服装がよく似合う。
「姫井さん、今日はやけに上機嫌だよね」
切れ長い加賀美の目がくすんだ金髪を見つめた。
「カノープスからの臨時収入が入るからでしょうか?」
「それね。発注書を見せてもらったけど、すごい金額だったよ。外資系コンサル並みの時間単価じゃないかな」
加賀美が指を丸めて、お金のジェスチャーをつくる。
「それって時給一万円とかですか?」
「いやいや! そんな安い額じゃないよ! 今回のは緊急かつ高難度のコンサル案件だから!」
俺としては大真面目に回答したつもりだが、噴飯モノの数字だったらしい。
加賀美は口元に手を当てて上品にクスクスと笑っている。
「でも姫井さんが嬉しそうにしている理由は別のところにあると思うな」
「幼コレの売上が良好だったとか?」
「たぶんお金じゃないね」
姫井が軽やかな足取りでこちらへ向かってくる。
「姫井さんはね、お金のことを考えるとき口元に出るんだ。あれは純粋に容姿のことを褒められたんじゃないかな」
俺にはまったく違いがわからない。
おちょごのように小さくて可愛らしい口が映るだけ。
「顔色が良さそうですね。何かあったのですか?」
加賀美が呼び止める。
「ああ、加賀美さん。わかりますか? いつもの僕と違うことに」
姫井はお嬢様のように手で髪をかきあげた。
「トリートメントかコンディショナーを変えたとか?」
「おお! お目が高い! 社長だけじゃなく、加賀美さんまで違いがわかるとは! 正しいドライヤーのかけ方も知らない神宮寺さんとは大違いなのです!」
「少し触ってもいいですか? ……うわあ、表面がツヤツヤだ。ちゃんとお手入れしている人は違いますね」
「おっほっほ!」
ルンルン気分で去っていく姫井を見送るとき、なぜか加賀美は含み笑いをしている。
「まあ、私には違いなんてわからないけどね。それに二日や三日で髪質に変化があるとも思えないし。というか、姫井さんの髪って、元からまあまあツヤツヤなんだよ」
「先ほどはカンで答えたのですか?」
「うん、仕草に出ていたよ」
加賀美は自信ありそうにいう。
「社長も同じじゃないかな。いい化粧品を使うと、女性は表情や行動が変わるってね。まあ、私はあまり詳しくないけれど……」
「加賀美さんは大和撫子テイストなので、むしろナチュラルメイクが最適解って感じですかね?」
「ええっ! 須田くん、うまいね! 人が気にしているポイントを褒めるなんて」
「そうっすか?」
「そうだよ」
男が化粧に口を出すなんて絶対にNGかな? と反省したのだが、加賀美は純粋に嬉しかったらしい。
これだから幼女心はわからない。
「職場の人を観察するのって楽しいよね。社長は考え事をするとき、ツインテールをいじくるでしょ」
「わかります。毛先をモシャモシャするやつが俺の中では一番人気です」
「あれは本気モードだよ。十五パターンあるうちの上から二番目くらい」
「そんなにパターンが存在するのですか?」
「うん、あるよ」
加賀美が嬉しそうに笑う。
「ツインテールを左右に引っ張るのが最上級かな。私はあれが一番可愛いと思うよ」
意外だった。
いつも黙々と仕事をやっている裏で、そんな人間観察をしていたなんて。
「でも観察していて一番楽しいのは姫井さんだよ。表情が乏しいぶん、動きに出るから。……ほらほら。今ちょうど困っているね」
俺は姫井を見つめる。
パソコン操作に集中しているようだが……。
「あれはファイルサーバーに接続できなくなったか、表計算ソフトのマクロが壊れちゃったんじゃないかな? 『自力で解決しようかしら?』『誰かに助けてもらおうかな?』そんな風に迷っているよ。プライドが高すぎるせいで悩んでいる姿が微笑ましいよね」
「……なるほど」
言われてみると納得という気がする。
ブルーサファイアの瞳が俺たちの方を、より正確には神宮寺の席を一秒だけ気にした。
「今日は社長と神宮寺さんがいないから。姫井さんは心細いんだよ」
「ですかね? いつも神宮寺さんとは喧嘩している印象でしたが……」
「いやいや。あれは喧嘩するほど仲がいいというやつで……」
加賀美はお気に入りのメロドラマの解説でもするようにスラスラと語り始める。
「姫井さんが神宮寺さんによくいうでしょ。『僕のパソコンの調子がおかしいので直してください』ってさ。でもあれ、絶対にパソコンの使い方が悪いんだよ。文句をたらたら言いつつ解決してあげる神宮寺さんがまた健気でさ。……あ〜あ、もう見ていられないや。可愛すぎるでしょ、姫井さん。今回は私が助けてあげよっと」
イライラをぶつけるようにマウスを連打していた姫井が、加賀美の接近に気づいて、ほっと安心したように肩の力を緩める。
「加賀美さん、ちょうど良いところに。以前に神宮寺さんから教えてもらった方法が、どうも間違っているみたいで……」
「ああ、神宮寺さんはよく細かい手順を割愛しますから。仕事ができる人間にありがちなことです。どれです? 私が確認しますよ。何なら手順書をつくりましょうか?」
なんだ、この優しさは……。
加賀美には加賀美に見えている世界があるんだな、と俺はその気配りの上手さに脱帽した。




