119 雨天の導く方へ
当然の雨に見舞われたとき、俺は近くにあった居酒屋の軒先で、しばらく足止めを食らうことになった。
右手のビニール袋には、姫井に頼まれて購入してきたオフィス用品の数々が入っている。
突発的な雨だ。
すぐに止むに違いない。
「たまたま外出したら大雨に遭遇するなんて、ツイていないよね」
横から幼女の声がしたので、
「そうっすね」
と反射的に答えてしまう。
「久しぶりだね、須田くん」
「あなたは……」
腰を抜かすとはこのことだ。
いまWEB系のまとめサイトで騒がれている張本人が、サングラスを装着した姿で立っていたのだから。
「名前は出してくれるな。これでも変装しているんだ」
「ええと……」
近くに成人女性の二人組みがいるが、俺たちの会話には興味がなさそうである。
「どうしてここに?」
「組織の支部が近くにあるのだよ。その幹部会に呼ばれたのでね」
流川の足元にはお出かけ用の猫ケージ。
中の猫を水滴から守るためにジャケットが掛けられている。
流川と二人きりになってしまった。
動揺しているのは俺だけで、向こうはじっと鈍色の空を見つめている。
「ちょっと待っていてください」
俺は雨の中をダッシュして、タオル一枚とビニール傘二本を買ってきた。
「使ってください」
流川が目を丸くする。
「君は不思議な人だな」
タオルを受け取った流川は、ジャケットのポケットからハンカチを取り出した。
「他人に拭くものを提供するために、わざわざ自分が濡れるなんて」
遠慮している俺にハンカチを押し付けてくる。
「吸水性に優れている素材だ。もちろん新品だ。洗って返そうなんて律儀なことは言わなくていいから」
予期せぬわらしべ長者の効果で、安物タオルが高級ハンカチに化けてしまった。
女性向けのデザインだから、社長ないし先輩、いや龍造寺あたりに洗濯してから渡せば喜ばれるかもしれない。
「そこの喫茶店まで歩かないか? 一杯奢るよ」
ビニール傘を広げた流川がさっさと歩き出したので、慌てて後を追いかける。
「奢ってもらうなんて申し訳ないです」
「異性からの好意は素直に受け取っておくべきものだよ」
俺は何も反論できなかった。
猫ケージをレジ横で預かってもらい、半個室になっているスペースへ案内してもらう。
流川はホットコーヒーを、俺はアイスコーヒーを注文した。
「大丈夫なのですか?」
具体的に何を、とは質問しなくても分かる。
「ん? 性接待のやつかい?」
流川がサングラスを置きながらいう。
「あれは虚報なのだから。堂々と身の潔白を主張すればいいだろう。それよりも……」
電話を取り出して、どこかへかけ始めた。
「瀬古先輩。私です。流川です。たまたま須田くんと遭遇したので少し彼を借りますね」
社長はあっさりOKしたらしく、すぐに通話は終わった。
「どうしてわざわざ猫を?」
「気になるかい?」
「幼女が連れて運ぶには大変そうなので」
「そうだね。いい餌を与えているから重くてね。今回ばかりは裏目に出たよ」
流川はくつくつと笑ってから、
「猫が近くにいると、人は朗らかになるのだよ。自然、私への追及の手も緩くなるのさ」
といった。
それらか、ちょんちょん、と首元を触る。
「ペルちゃんの首輪には、隠しカメラを仕込めるよう細工してある。スマートフォンを受信機にして、映像と音声を記録できるのさ」
「何だかスパイ映画の秘密道具みたいですね」
「映像のクオリティはお粗末だけどね」
流川が記録した映像を見せてくれた。
「幹部会のも記録している」
再生が始まると、龍造寺の顔がアップで映し出される。
隠しカメラの方向……おそらくペルシャ猫を睨みつけている。
『お前みたいなやつのどこが流川さんは好きなんですかね』
『ニャーオ』
『お前がいるから私の相手をしてくれる時間が減るんっすよ。お前なんか……頬っぺたをこうしたらマヌケ面の完成っすよ』
『ニャーーー』
猫相手にメチャクチャ嫉妬してる!
それからペルシャ猫の反撃が始まったらしく『うわっ!』『痛い痛い痛い!』という悲鳴で映像は締められていた。
「すまない。人間の見苦しい一面を見せてしまったようだ」
流川が大赤面してから、別のファイルを再生する。
すると大会議室のような空間と、コの字型に配された机に並ぶ幼女たちが映された。
「彼女たちは幼女の権利を守る会の重役たちだ。各地区の統括というのは、組織でいうと、中間管理職みたいな存在かな」
流川が補足してくれる。
『渋谷区統括! 今回の件をどのように弁解するつもりですか! こうしてスクープになり、我々のイメージを毀損した以上、それ相応の責任を取るつもりはおありか!』
怒りながらまくし立てる幼女がひとり。
「彼女は新宿区の統括だ」
流川は淡々という。
「私のことを快く思っていない。除名処分を主張してきたよ」
俺は映像に視線を戻した。
『私の方から二点ほどご報告があります』
ペルシャ猫の視線が新宿区統括から流川へとスライドする。
『まずスクープ写真の件ですが、当日の夜、会場を後にした私とその部下を尾行する者がおりました。後日、その尾行者を問い詰めて吐かせたところ……』
能弁家のようにわざと間を置く。
『訓練を積んでいない相手だったのが幸いし、依頼主の特定に成功しました。今日は押さえた証拠を持参しております。さらに……』
勝気そうな目が一瞬だけカメラを見つめる。
『組織の資金が不正に流出しているのをご存知でしょうか? とある人物が帳簿に手を加えて、一部の活動費を水増し計上しております。どうやら首謀者の経営する会社の資金繰りが悪化しており、背水の思いでこのような愚行に及んだのでしょうが……』
さっきまで静かだった場が一気にざわめいた。
『いずれもあなたの差し金だ! 新宿区統括!』
流川が新宿区統括の除名をその場で提案する。
それが全会一致で採択される。
『自分の部下には最低限の教育くらいなされよ』
流川が切り捨てるように言い放ったところで映像は途切れた。
「幼女の争いは醜いだろ。互いに足を引っ張り、隙あらば蹴落とす。幼女の権利を守ろうという組織の内情がこの有様だ。この国やこの世界の縮図ともいえる。だからこそね……」
立ち昇るホットコーヒーのほの苦い香り。
「私は瀬古先輩の潔白さが好きなのだよ」
流川が向けてくる皮肉っぽい笑顔。
この優しさと正義感は本物だと思う。




