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114 憧れの先輩

 子ども用の冷却シートが底をついたので、近くのドラッグストアまで足を運び、三箱ほど買ってきた。


 社長にはスポーツドリンクを、神宮寺には紅茶を、自分用には緑茶を買っておく。


「あっ……流動食を忘れた……」


 マンションの前まで戻ってきたとき、お粥の買い忘れに気づく。

 仕方がないので最寄りのコンビニまで引き返し、こちらも三食ほど買っておいた。


 雑誌コーナーの近くでふと足を止める。

 週刊幼女をパラパラめくると、今週も流川が登場していたので追加で購入しておいた。


『幼女の権利を守る会』

『渋谷区の若きエース』


 今週は幼女活動家たちの特集らしく、実業家ではない流川の一面がピックアップされていた。


 動物愛護に熱心。

 幼女の声の代弁者。

 若者のカリスマ的存在。


 その愛らしくも凛々しい容姿に加えて『幼TEC最年少社長』という肩書きまで加わるのだから、控えめにいって化け物スペックといえよう。


「この人が味方だったらな……」


 帰りのエレベーターの中でぼやく。

 瀬古いのりと流川マキが同盟を結べば、幼TEC界では無敵の存在になれるのに。


「ただいま戻りました」


 玄関で声をかけてからリビングへ向かう。

 そこにいるはずの神宮寺の姿はなく、社長の部屋から話し声が聞こえた。


「しっかりしろよ、大将。いのりが弱気でどうするんだよ」


 これは神宮寺の声だ。

 社長のことを励ましている。


「ごめん。つい弱気になっちゃって」

「勝つんだろ。カノープスに。合弁会社をつくって、もう一度ルカにゃんと手を組んだらいい」

「そうだよね。私が先輩だからね」


 しばらくの沈黙があってドアが開いた。

 そこにはクリーム色のパジャマに身を包んだ社長が立っている。


「社長、起きちゃって平気なのですか?」

「うん、少しくらいなら」


 俺は封を切ったスポーツドリンクを渡す。

 社長はよっぽど喉が渇いていたらしく、その半分を一気に飲み干した。


「あすかに怒られちゃった。そうしたら少し元気になったかも。ほら、病は気からっていうでしょう」

「怒られたって……」


 俺が呆気にとられていると、神宮寺は腕組みをしながら語り始める。


「まだ心の古傷を引きずっていたんだよ。四年前のな。ルカにゃんと接触を重ねたせいで、気持ちが弱気になったらしい。もう克服したと思っていたが……」

「まだだったみたい」


 社長が申し訳なさそうに首を振る。


「須田ちゃんにも話しておけよ。心から信頼できるパートナーなんだろ。だったら包み隠さず話せるだろ」


 神宮寺はそういうと、本物の姉のような優しさで、社長の体を抱きしめてあげた。

 とっさの出来事に社長が驚く。


「誰かに支えてもらえると人は嬉しい。でも誰かを支えてあげることはもっと嬉しい。今回ばかりは私たちが大将を支えるよ」

「ごめんね。ありがとう。いつも感謝しています」

「礼を言いたいのはこっちの方だよ」


 今にも泣き出しそうな社長と、サバサバした感じの神宮寺が、とても対照的に思えた。


 ……。

 …………。


「やっぱり社長と流川さんって、元々は一つの会社を経営していたのですね」


 社長がこくりと首肯したとき、胸の中でモヤモヤしていた疑念が解消した。


「嘘をついたり騙すつもりはなかったんだ」


 社長は罪を告白するように話し始める。


「このことは姫ちゃんも知らない。いまの会社を起こす前の話だから」


 かつて社長と流川が立ち上げた会社がある。


 その名はカノープス。

 より正確には初代カノープスというべきか。


 本来であればそのまま成長して、幼女株式会社と現在のカノープスを足し合わせた規模の組織になるはずだった。


「私が流川に期待をかけすぎた。それがすべての失敗の原因だったよ」


 社長にとって流川は自慢の後輩であった。


 将来、自分を追い抜くであろう逸材。

 そんな可能性の光を感じたらしい。


「流川は私を心から尊敬してくれた。その気持ちに甘えていたともいえる」


 当時の社長たちは若かった。

 そしてビジネスの世界は二人の若者を楽に勝たせてくれるほど甘くはなかった。


 どんどん経過していく時間。

 一方的に減っていく運転資金。


 当時の重圧や苦痛をサラリーマンである俺が理解するのは無理かもしれない。


「私でさえ焦りを感じていた。流川はもっと焦りを感じていたと思う。最初は何をやるのも失敗の連続だから。二人三脚だからギリギリ耐えていたけれども……」


 最期の日は急に訪れてしまう。


 過労によって流川が倒れてしまい、そのまま入院することになったのだ。

 社長の期待に応えようとして頑張りすぎたのが原因だった。


『もう少しで後遺症が残るところでしたよ』


 治療に当たってくれた主治医からそう告げられた。


『この子には金輪際関わらないでください』


 流川の親からは、当然かもしれないが、冷たい視線を向けられた。


 責任を感じた社長の手により初代カノープスは短い歴史に幕を引くこととなる。

 資金の枯渇で廃業しなかったのが、唯一の救いだったともいえる。


「私はあと一歩で有望な若者の未来を奪うところだった。それなのに流川は……」


 当時の自分を責めるように、社長の手が震え始める。


「退院したその日に私へ電話をくれて……」


 ポツリ、と。

 涙の粒が手のひらに降ってきた。


「私のことを先輩と呼んでくれたよ」


 社長はその時のセリフを一言一句まで覚えているらしい。


『お役に立てなくてごめんなさい。カノープスは必ず再興させます。だから瀬古先輩は先へ進んでください。いつか追いつきます。瀬古先輩の後輩として。弟子として。恥ずかしくない組織をつくります』


 カノープスは流川が生んだ組織ではない。

 瀬古いのりが立ち上げ、いったん滅んだ後、流川が復活させた組織なのだ。


 社長はすべての顛末(てんまつ)を語り終えると、泣き腫らした目を手で押さえた。


「私は怖かったんだ。流川を失望させたらどうしようって。本当に恥ずかしいのは私なんだって」


 第三者である俺の胸だって苦しいのだ。


 期待しすぎた。

 そのせいで流川を壊しかけた。

 この四年間、社長がどれほど悔やんできたのか想像にあり余る。


「それなのに流川は私の背中を押してくれた。『先へ進んでください』。『いつか追いつきます』。あの言葉がなければ今日の私は存在しなかったんだ」


 流川の目標でありたい。

 その気持ちが社長をここまで駆り立ててきたといえる。


「あと少しでいい。せめて幼コレとガルメモの対決が終わるまででいい。私は憧れの瀬古先輩を演じていたい」


 俺は涙で濡れている社長の体を抱きしめてあげた。


 社長がこんなに苦しんでいたのに、今まで気づいてあげられなかったことが、無性に腹立たしくて仕方なかった。


 社長……。

 俺は本当のあなたを知りたい。

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