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110 カジュアル幼女

 始業から一時間が経過したとき、赤色のギンガムチェックシャツを着た幼女がやってきて、姫井の個人ロッカーを漁り始めた。


 下半身はデニム生地のパンツに灰色スニーカーというカジュアルな組み合わせだ。

 口元を子ども用のマスクで隠しており、慣れた手つきでブリーフケースを取り出していく。


「えっ?」

「誰だろ?」

「不審者かな?」


 口々にいう俺たちの前を金髪のポニーテールが横切った。

 前髪の裏からのぞくのは煌めくブルーサファイアの瞳。


 姫井なのだが姫井じゃない。


 まさに一同驚愕。

 その豹変っぷりにすべての社員が仕事の手を休める。


「どうしたんだよ、ゆり姫。ロリータ服じゃないじゃん! 熱でもあるのかよ?」


 いつものごとく神宮寺がみんなの気持ちをストレートに代弁した。


「バカですか、神宮寺さん。熱があるから病院へ行ったのです。あんまり舐めてると潰しますよ」


 高圧的な言葉とは裏腹に、姫井の態度はどこか弱々しい。

 解熱剤のせいで脳みそがぼんやりするのだろう。


「シャツとデニムって、普通の女の子みたいだな。一般人のような服も持っていたんだな」

「まったく、あなたって人は……。近くのコンビニやスーパーへ行くのに、毎回毎回ドレスを着るわけないでしょう」


 小学生みたいな服装の姫井は、アメリカの片田舎に住んでいる美少女のようだ。

 洋楽、ギター、牧草、単線の鉄道、アップルパイ、そんなキーワードが似合いそう。


「それに三浦半島へ出かけたときだって、ワンピース姿だったじゃないですか。まだ一ヶ月も経っていないのに、僕の服装をもう忘れちゃったのですか?」


 姫井がやれやれと首を振ったとき、ポニーテールが遊ぶように揺れる。


「あれは上等な外行きのワンピースだろ? そこら辺のチビっ子はあんな高級品を着ないって」

「神宮寺さんのためにオシャレした、みたいな表現は止してください!」

「あれ? 違ったの?」

「違います!」


 これは一番わかりやすい嘘だ。


 今日は神宮寺さんの日なので……。

 そんなことを品川駅で口にしていたはず。


「風邪は平気なのかよ。お薬をもらったんだろ?」

「自分の声が頭に響きます。神宮寺さんのせいで悪化しそうです」


 ぷりぷりに怒った姫井は、ノートパソコンを抱えたまま、


「みなさんに風邪を移すわけにはいかないので、僕と社長は一日中、奥の会議室にいます。何か用があればお声がけください」


 と言い残して消えてしまった。

 カジュアルな服装のレア姫井さん、すぐに公開終了である。


「なんだよ。大声を出せる元気はあるじゃん」


 神宮寺は不貞腐れたように片目をつぶった。

 素直じゃないな、この人も。


「さ〜て、仕事に戻ろうぜ。でもその前に情報共有しておこうか」


 メンバーが神宮寺の周りにサークルをつくる。


「良い報せと悪い報せがある。どっちから聞きたい? 好きな方を選んでいいぞ」

「悪い方っていっても、良い方から話すのでしょ?」

「さすが須田ちゃんだ。よく理解しているな」


 もう慣れたやりとりだが、思わず笑ってしまう。


「幼コレのダウンロード数が700万を超えた。これが良い報せだ。700万って数字は特別だから、いつもより気合いの入ったキャンペーンをやりたい。もちろん、頑張ってくれた社員にも、経営陣から何かご褒美がある。欲しい物があったら、いのりにリクエストしておけ」


 パチパチパチという拍手が起こる。

 社長や姫井の風邪といい、会社に暗いムードが漂っていたので、そういう具体的な成果は嬉しい。


「そして悪い報せなのだが、その前に……来週のメンテの準備はどんな感じだっけ? すぐに新キャラを実装できる状態かな?」


 これは定例で報告している内容なので、


「音声とモーションは完璧です」

「スキル演出も昨日に終わっています」

「あとは神宮寺さんチェックだけですね」


 色よい返事が次々と上がってくる。


「須田ちゃんの方も大丈夫そう?」

「はい、テスト環境での動作はすべてチェック済みです」

「……そうか」


 次の新キャラは『守護女神アテナ』だ。

 軍神をイメージしたという神々しい甲冑と、トレードマークであるアイギスの盾を装備している。


 困ったときの神頼み。

 そんなつもりは毛頭ないのだが、幼コレvsガルメモの対決は、この守護女神に委ねられたともいえる。


「すまん……アテナは無しだ」


 どういう意味ですか? という視線が神宮寺に集中する。


「アテナは悪くはない。だが、あれじゃカノープスに勝てない。そのように社長とゆり姫と私が判断した」


 俺でさえ耳を疑う。

 700万ダウンロードキャンペーン。

 目玉となる新キャラが白紙撤回とはどういうことだろう?


「よってアテナは次の次の新キャラに回して、来週は別のキャラを実装する。致命的に時間がないけれど、まあ、そういうことだから、今日から全員で頑張っていこうな。……うん、言いたいことは理解できるよ。すでに頑張っているって。これ以上頑張ったら、うちは野戦病院状態になるって。でもなあ……」


 神宮寺は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「私は反対したよ。社長とゆり姫の体力が限界だから。でも本人たちが希望したんだ。止められないでしょ。……よって新キャラのシルエットだけでも、今日の営業時間内にユーザーへ公開する。そうしたら死んでも引き返せなくなる。つまり一か八かの大勝負になる」


 本日で二回目の一同驚愕である。

 ひえぇ! 冗談でしょ! という悲鳴が誰かの口から飛び出した。

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