109 風邪を引いちゃった
……。
…………。
幼女株式会社のSNSグループ。
姫井ゆり
『おはようございます。姫井です』
姫井ゆり
『熱が少しあるみたいなので、病院に寄ってから出社します。申し訳ありません……汗』
神宮寺あすか
『(>o<;))((;>o<) ゴホゴホ』
加賀美伊織
『(>o<;))((;>o<) ゴホゴホ』
須田正臣
『(>o<;))((;>o<) ゴホゴホ』
瀬古いのり
『私も風邪かも。解熱剤をもらってくるよ』
瀬古いのり
『姫ちゃんは内科へ行くの? 小児科へ行くの?』
姫井ゆり
『小児科へ行くと門前払いを食らいます。必ず内科へ行ってください』
瀬古いのり
『ありがと〜。何かあったら連絡くださ〜い』
神宮寺あすか
『θ。( ̄▽+ ̄*)お薬ざます♪』
加賀美伊織
『θ。( ̄▽+ ̄*)お薬ざます♪』
須田正臣
『θ。( ̄▽+ ̄*)お薬ざます♪』
姫井ゆり
『神宮寺さん、みんなが悪ノリするので、いちいち顔文字を流すのはご遠慮願います』
神宮寺あすか
『(*・∀・*)ノ ハーィ』
姫井ゆり
『㌦ァ!!(●゜Д゜)やんのか??アア?』
加賀美伊織
『ガクガク((( ;゜Д゜)))ブルブル』
社内SNSはいつもこんな調子である。
良くも悪くも大学のサークルみたいなノリだが、案外、うちの会社が成功した要因はここかもしれない。
※ ※
朝の八時三十分。
近くにある個人病院へ向かうと、開院ちょうどの時刻にもかかわらず、順番待ちの患者が七名ほどいた。
受付スタッフがいうには、三十分くらい待ってください、とのこと。
寒暖差の大きい日が続いたから、全国的に病人が多いのだろう。
空いているソファに社長を座らせて、俺はソファと観葉植物のあいだに立つ。
「社内SNSには俺から報告しておきます」
「うん、助かるよ」
スマートフォンのアプリを立ち上げてから、
『お疲れ様です。須田です。社長の診察予定時刻が九時過ぎになる見込みなので、おそらく九時半の出社になります』
と打ち込んでおく。
『無理はするなよ。家が近いんだから。須田ちゃんと一緒に在宅勤務でもいいんだぜ』
すぐに神宮寺から温かいメッセージが送られてきた。
『とりあえず私以下の五人は出社した。何かあったら連絡する。須田ちゃんはいのりを頼む』
とも。
「マサくんまで遅刻することはないのに」
社長がマスクの位置を整えながらいう。
「会社に遅刻するのは人生初でしょ?」
「最初の一回が社長の付き添いなので光栄ってやつです」
狙っているわけはないだろうが、マスクには小顔効果があるので、普段より可愛さが10%増しといえる。
「あと社長の体は大切なのですから。俺の何倍も何十倍も」
「マサくんは過保護だな〜。会社だってすぐそこなのに〜」
「夜中にトイレへ行くとき二回も転びましたよね」
「うぅ……まぁ……」
うにゃあ! という叫び声が耳の奥から蘇ってきた。
恥ずかしそうにモジモジする社長のおでこには、壁にぶつかったときの跡がまだ残っている。
「あれは寝ぼけていたから。下半身がいうことをきかなくて」
「今日出社するのだって、俺は反対なんです。無理やり家に留めておきたいのが本音です」
「まいったな。心配かけてごめんね」
嘘に失敗した子どものように苦笑いしている。
チャーミングな笑いジワが浮き出ており、可愛さがさらに10%増しだ。
「姫ちゃん、大丈夫かな……」
社長が心配そうに待合室の天井を見つめる。
「姫井さんが風邪なんて珍しいですよね」
「文面を読む限り、季節の風邪だとは思うけれども。私が無理をさせちゃったのかな」
社長は自分のことを責めるようにコツコツと頭を小突いてから、はぁ、と長いため息をついた。
幼女の体だからもう限界……。
そういってギブアップ宣言するのは簡単だが、社長も姫井も神宮寺も、この厳しい現実に向き合おうとしている。
『当たって砕けろ』
『倒れるときは前のめり』
そんな根性論に頼るしかない俺たちのことを、常勝軍団を率いる流川マキは、鼻で笑って見下すだろうか?
「社長と流川さんって……」
俺には前から気になっていたことがある。
「かつては一緒に仕事をしていたのですよね? どうして別々の会社を経営することになったのです?」
「う〜ん、答えにくい質問だな〜」
社長が言葉を探すようにツインテールの毛先をいじる。
「なんでだろうね? 喧嘩別れしたわけじゃないのにね」
「いや、俺に質問されましても……」
俺は困惑のあまり肩をすくめた。
「才能のある後輩がいるな。こいつはきっと成功になるなって。敵対するとか、対決するとか、そういう発想は微塵もなかったんだ」
「神宮寺さん、龍造寺さんの関係とは違うのですね?」
「うん、単純なライバルではないんだよ」
神龍コンビはちょっとした因縁を抱えているらしいが、互いに冗談をいったり、情報交換したり、社長自慢したりと、限りなく友達寄りのライバルといえる。
「私がさっさと流川を会社に誘っていたら、こんな勝負は発生しなかったのにね。流川が就職活動を意識し始めたら、声を掛けようかとは考えていたけれども……」
「就職活動をするような人間じゃないと?」
「そうそう。単純な見落としかな」
社長は声を押し殺して肩だけで笑った。
「流川の目標は私だったから。そりゃ、同じような道を辿って、追いかけてくるよね。そんな当たり前を忘れるほど、当時の私は盲目だったわけだ。その結果がいまの苦境だよ。私の心の甘さが招いた状況ともいえる」
「なんか皮肉ですね」
俺だって社長や神宮寺は目標だ。
その背中に一歩でも近づきたいと思う。
彼女たちの残してきた足跡を今日だって追いかけている。
でも自分の会社を立ち上げようとは絶対に思わない。
才能がないから。
社長には勝てないから。
俺が社長や神宮寺の脅威になることは100%あり得ないと断言できる。
しかし流川は違う。
才能に恵まれすぎた。
それゆえ社長とは別々の道を歩むことになった。
『いまはライバル同士』
『仲良くしたら不自然でしょう』
日曜の渋谷、流川はそう言い切った。
瀬古いのりを尊敬する。
わかる。
だから瀬古いのりを超える。
その部分がわからない。
俺は平凡で。
流川は非凡で。
そもそもの思考回路が違うのだろう。
「あ〜あ。南の島に行きたいな〜。二泊三日でいいからさ。マサくんと二人でさ」
社長が見つめる壁の絵画には、コバルトブルーの海と、息を呑むほど美しい砂浜が描かれていた。
「社長でも弱音を吐くのですね。ちょっと安心しました」
「え〜。私だってか弱い幼女なんだから」
「行きますか? いまから空港に?」
「うぅ……マサくん……」
「逃避行ってやつです」
「ぐぬゅぬゅ……」
悩める社長の小さな手が俺のシャツをぎゅっと握ってくる。
「嘘です。冗談です。代わりといっては何ですが、今夜はハワイ風のパンケーキを焼きますよ。昨夜、スーパーで確認したら、材料が手に入りそうだったので。気分だけは南の島です。まあ、味は保証いたしかねますが……。だから今日も一日頑張りましょうよ」
「ありがとね」
社長の名前がコールされたので、その頭をポンポンして送り出してあげた。




