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108 深夜メシ

 水曜日の夜。

 ちょうど週の真ん中ということもあり、忙しいサラリーマンとしては高栄養価のものを胃袋に収めたくなってしまう。


 カツカレー。

 オムライス。

 豚骨ラーメン。


 太りそうなメニューを空想してしまうのは、俺だって心身ともに疲弊している証拠だろう。


 この日は珍しく俺と社長しか深夜残業していない。

 姫井の顔色があまり冴えない様子だったので、


『今日は泊まり込みで働きます!』


 と言い張る本人を、神宮寺が無理やり連れて帰った。


『神宮寺さん! 手を離してください! 僕はまだやれます!』


 そういって抵抗する姫井を、神宮寺の腕力がねじ伏せたのである。


『お前一人が頑張っても意味はないんだよ! 大人しく寝て頭を休めろよ!』

『ここで頑張らずして、いつ頑張るというのです! いまは睡眠時間でさえ贅沢なのです!』

『昭和末期の受験生かよ! 他人には休め休めっていうくせに! それって医者の不養生と一緒じゃねえか!』


 神宮寺の言葉には愛と説得力がある。

 いくら氷の心を持つ姫井といえども、真っ向からは逆らえないのだ。


『そこまで言い張るのなら、最寄り駅まで送ってください』

『ケチ臭いことをいうな。ゆり姫の家の玄関まで送ってやるよ』


 照れ顔になった姫井は、本心を悟られまいとするように、顔の半分を隠した。

 こうやって人は誰かを好きになるのだろう。


『……何が神宮寺さんの目的なのです?』

『ゆり姫の家へ向かう途中の自販機。超マイナーなミルクセーキを置いているんだよ。最近、それにハマっているんだよな』


 神宮寺が得意そうな顔つきでいった。


『ああ……あの古い自販機……』

『それそれ。クリーニング店の曲がり角』


 フランス人形のように整った姫井の顔に、怒り、呆れ、悲しみ、切なさという感情がよぎる。


『急に眠たくなりました』


 唇を尖らせながらいう。


『きっと疲れているんだよ』

『そういう意味じゃありません。神宮寺さんのせいです』


 次は頬っぺたを膨らませている。


『……えっ⁉︎ 私が何か悪いことをしたの⁉︎』


 結論。

 神宮寺の前だと姫井の表情はコロコロと変わる。


 そしてもう一人。

 帰るべき人物がいる。


「社長、そろそろ引き上げませんか?」


 俺は背後から忍び寄り、恐る恐る声をかけてみた。


「もうちょっとだけやらせて。あと一時間……いや三十分だけ」


 さっきからこの繰り返しである。


「三十分前も同じことをいっていました」

「……そうだっけ?」


 パソコンの操作に集中している社長は、ゲーム機を手放せない小学生みたいだ。

 三十分待ったところで、あと三十分と宣告されるのがオチだろう。


 俺は腰に手を当てて考え込む。


「わかりました。俺が家で夜食を用意しています。だから絶対に三十分したら帰ってきてください」

「ほえ? マサくんが何か料理してくれるの?」

「俺の料理スキルの許す範囲内なら」


 完全に失敗した……。

 お惣菜を温めておく、くらいの感覚だったのに……。


 天使のようにつぶらな瞳を向けられると、何弁当がいいですか? みたいな野暮ったい質問はできない。


「だったらこれを食べたいの!」


 社長が見せてくれたのはジャガイモ料理の画像。


「姫ちゃんに教えてもらったんだ。簡単に作れて美味しいんだってさ」

「ああ……これくらいなら……」


 皮つきジャガイモを炊飯器で(ふか)す。

 それを皿に盛り市販のミートソースをかける。

 好みの量のパルメザンチーズと乾燥パセリをまぶす。


「正式な料理名とかあるのですかね? ヨーロッパ中を探したら、似たような郷土料理が見つかりそうですね」

「姫ちゃんいわく、ほくほくジャガイモのミートソースがけ、パルメザンチーズを添えて、だってさ」

「ああ……名は体を表すってやつですね。至極明瞭ですね。一通りの解釈しかできないですね」


 これなら十五時間労働を終えた俺でもやれる気がする。

 近所のスーパーマーケットが終電の時間まで営業しているのも好都合だ。


「本当に三十分で切り上げてくださいよ」

「ほいきた! 合点承知の助!」


 幼女のおやじギャグかよ。

 やっぱり社長も相当疲れているな。



 ……。

 …………。

 ………………。



 大ぶりのジャガイモ三個を炊飯器から取り出すとき、大地の恵みを感じさせるような、ほの甘い匂いが広がった。


 ここにミートソースをかけてチーズとパセリをまぶせば完成だ。


「できました!」

「うわぁ! 美味しそう!」


 夜の零時とは思えないほど明るい声が響く。


「社長は胃袋が小さいので一個です。好きなジャガイモを選んでください」

「もしかして当たりとかあるの?」

「全部当たりなので。ご心配なく」

「わ〜い!」


 社長は一番大きな一個にフォークを突き立てた。


「それは大当たりです」

「なにそれ! 楽しすぎるでしょ!」


 家ならば冗談を連発してもいいだろう。


「いただきま〜す」


 ジャガイモの中身を取り出して、そこにソースをからめて、息でふうふうしてから頬張る。


「はふはふ……」


 とても熱そう。


「美味しい!」

「それならひと安心です。家で料理をした甲斐があります」


 俺も自分の料理を食してみた。

 ジャガイモは国産だし、ソースはレトルトだし、期待通りの美味しさである。


「ジャガイモ、一番高いやつを買ったでしょ」

「あれ? わかるのですか?」

「なんとなくね」


 有機栽培、と表記されているやつが他のやつより一個三十円くらい高かったのだ。

 俺には味の違いなんてわからないが、成長期の社長が食べるものだし、良かれと思って高価な方を選んでおいた。


「マサくんはいつも優しいからね〜」


 可愛らしい笑顔がある。

 質素ながらも美味しい料理がある。


 すっかり機嫌を良くした社長による鼻歌の演奏まで始まった。


「食べたら早めに寝てくださいよ」

「わかっているよ」


 汚れた食器を洗うべく、俺が席を立とうとしたとき、社長がちょっとだけ顔をしかめた。


 服の上から胸元をポンポンと叩く。

 ん、ん、ん、と喉を小刻みに鳴らす。


 ジャガイモが気管に入ったのだろうか?

 そう考えた俺はグラスを取り出して、冷蔵庫のミネラルウォーターを注いだ。


「飲みますか?」

「ありがとう」


 喉のところに違和感があるらしい。


「異物ですか?」

「いや、そうじゃなくて……」


 社長は残りのミネラルウォーターを一気に飲み干した。

 ジャガイモでもない、異物でもないとすれば、違和感の正体は限られてくる。


「やばい……風邪を引いちゃったかも……」


 そういう社長の頬は薄っすらと赤色に染まっていた。

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