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107 高すぎる壁

 ピピピピッというアラーム音で目を覚ます。

 枕元に転がっているスマートフォンを操作して、俺はゆっくりと布団から抜け出した。


 今日は月曜日。

 ある意味、運命の日。

 一発目の幼コレvsガルメモの結果が出るのである。


『どうせ一週目の対決はガルメモが勝つから』


 神宮寺はああいったが、彼我の実力差には興味がある。


 水の流れるピチャピチャという音が風呂場から響いてきた。

 社長が朝シャワーを浴びているらしく、小気味のいい鼻歌まで聞こえてくる。


「社長。俺も起きましたので。全裸でウロウロしないでくださいね」


 脱衣所から一声かけておけば一糸まとわぬ社長と鉢合わせすることもないだろう。


 朝食のトーストを焼く。

 冷蔵保存しているゆで卵をおかずに添える。

 ドリップコーヒーを二杯分用意して、片方はブラック、片方はミルクと砂糖をたっぷり混ぜておく。


 喫茶店なら320円くらいするモーニングセットでも、家で用意したらその半額なのだ。


 水音がピタリと消えた。


「マサくん、おはよ〜。朝食を用意してくれたんだ〜。ありがとね〜」


 しばらくすると胴体にバスタオルを巻いた社長が出てくる。


「朝からシャワーなんて珍しいですね」

「うん、いつもより早く目覚めちゃったから。気分がすっきりするしね」


 幼女らしい華奢なボディラインについつい視線が吸い込まれてしまう。


 龍造寺がいっていたな。

 流川に抱きついても無反応みたいなことを。


 社長を抱きしめたい衝動に駆られた俺は、その両脇に手を添えてから、ひょい、と持ち上げてみる。


「あっはっは! 朝からくすぐったいよ!」


 足を揺らしながら笑っている。

 幼女肌なので感度は優れているらしい。


「社長、ちゃんと食べていますか? 前より体重が減っていませんか?」

「そんなことはないよ。この一年は成長期なんだよ」

「忙しさにかまけて飯を抜かないでくださいね」

「分かっているってば」


 一瞬だけ流川の顔が脳裏をよぎる。


 ツヤツヤの黒髪。

 勝気そうな目つき。

 あのふっくらとした唇。


 俺や姫井は社長の部下なので、社長の方が可愛いと思うのだが、もしカノープスの社員だったら、流川の方が可愛く映ったかもしれない。


「マサくん、いま別の女のことを考えたでしょ」


 社長がちょっとだけ意地悪をしてきた。


「すみません!」


 嘘をつけない俺はバカ正直に謝ってしまう。


 いつもは和気あいあいとしているのだが、社長の前でちょっと油断すると、すぐに言葉で急所をえぐられるのだ。


「まあ、いいや。相手は誰なのか想像がつくしね」


 俺の腕から脱走した社長が白百合のようにきれいな歯を見せながら微笑んだ。


「でもマサくんなら許しちゃう!」


 かと思いきや、胴体に思いっきり抱きついてくる。


 とにかく可愛い。

 俺だけの幼女妻。


 Tシャツがびしょびしょに濡れると理解していても、水分を吸った黒髪の上から強く抱きしめたくなる。


 五秒が経過する。

 十秒が経過する。


 くちゅん!

 子どもに特有の可愛らしいくしゃみ音が俺に現実を思い出させる。


「風邪ひきますよね! ごめんなさい!」

「早く服を着なきゃ」


 身だしなみを整えた社長と一緒に食事を済ませた。

 苦いものが得意ではない社長も、甘々のミルクコーヒーにはご満悦という感じだ。


「やっぱりマサくんに淹れてもらったコーヒーが世界で一番美味しいよ! 感謝しなきゃ!」

「フィルターの上からお湯を注いだだけですけどね」

「バリスタだって愛情が大切なんだよ!」

「それなら淹れた甲斐があります」


 むしろ感謝したいのは俺の方だ。

 いつも元気を分けてもらっているのだから。


「マサくん、寝癖が残っているよ」

「あれ? 本当ですね」


 出社の時間が刻々と近づいてくる。

 朝のルーティーンを淡々とこなしていく。


「今日はゴミの日だっけ?」

「朝一に出しておきました」


 俺はネクタイを締めて。

 社長は唇にリップを塗って。


「それじゃ、いこうか」

「ですね。俺がカバンを持ちますよ」


 ガルメモのことに一言も言及しなかったのは、良い雰囲気に水を差したくなかったからだろう。


「社長、俺……」

「ん? どうしたの?」


 黒真珠のような瞳が見上げてくる。


「いや、呼んでみただけです。可愛いですね。そういおうか迷いましたが、平凡な褒め言葉なのでやめておきます」

「あっはっは! なにそれ! もういっちゃったじゃん! 可愛いって!」


 社長は上機嫌そうに肩を揺らしながら笑った。



 ……。

 …………。



 いつもの朝礼。

 やや気鬱そうな表情をした姫井が一枚の紙を社員たちに示した。


 アプリケーション別。

 週次セールスランキング。


 幼コレとガルメモの行に目立つ赤マーカーが引かれている。


「みなさん、幼コレとガルメモの売上はそれぞれ何位だと予想しますか?」


 姫井が順位の部分を手で隠しながらいう。


「幼コレはきっと十位台だよね。いつも通りなら十五位くらいかな」


 社長が真っ先に口を開いた。


「ガルメモはどうせ一桁順位だろ。ネット上の評判、悪くないしな。ゆり姫の顔色から察するに五位かな」


 神宮寺が率直な意見を浴びせる。


「ちなみに僕はガルメモが三位から九位にくると予想していました。それが的中して鼻高々なのです。とても上機嫌なのです。それでは順位を公開します」


 眉間をシワだらけにした姫井が手をスライドさせると、


================


 三位 ガーリッシュ・メモリーズ(NEW)

 ……。

 …………。

 ………………。

 十七位 幼女コレクション(先週十三位)


================


 という情報が開示された。

 姫井の手がプルプルと震えているのは怒りのせいか。


 圧倒的大差。

 これは予想以上の惨敗だ。

 チーン! というBGMが脳内に反響してくる。


「うっ……これはっ……」


 社長がボディブローを食らったように顔を歪める。


「おいおい……足したら二十位かよ」


 さすがの神宮寺も気の利いた発言ができない。


 幼コレの売上はまだいい。

 いつも十位台をフラフラしているから。

 そして新キャラ登場の週だけ一桁順位に食い込むのが見慣れた光景だ。


「ガルメモは三位か。三強を崩したじゃねえか」


 そんな神宮寺の発言を受けて、姫井は忌々しそうに歯ぎしりをした。


 三強。


 いつの時代も強いアプリが三本くらいは存在する。

 数ヶ月に渡ってセールスランキングの一位から三位を独占し、後発アプリの壁になるのだ。


 その一角をガルメモは崩した。


 世代交代。

 新しい幼女向けゲームの風。


 それをユーザーに印象付けたガルメモは、キラーコンテンツと呼んでも差し支えはないはず。


「初週で三位ってことは、来週はもっと伸びるってことだよな。この土日にガルメモを始めた人も多そうだしな」


 神宮寺がとても冷静かつ残酷なことをいう。


「おそらく……」


 姫井は手元の紙を握りつぶしながら認めた。


「来週はガルメモが一位か二位ってことなの?」


 それって勝つのが不可能じゃね?

 姫井へ向けられた神宮寺の視線にはそんな感情がありありと込められていた。


「勝てる勝てないじゃないのです! 何としても勝つのです!」


 姫井がくすんだ金髪を振り乱しながらいう。


「相手にシステム障害でも起こらないと無理じゃないか? だってガルメモの三位以内は堅いだろ?」

「だったらうちが二位以内を取ればいいのです!」

「口でいうのは簡単だけどさ……」

「神宮寺さん!」


 姫井の手がデスクを叩いた。

 ブルーサファイアの瞳には薄っすらと涙の膜が張っている。


「神宮寺さんがカノープスの面々と個人的に親しいのは知っています。向こうの肩を持つ発言にも目をつぶります。でも僕たちはいま彼らの脅威に直面しているのです。軽々しく幼コレの敗北を予想するのは慎んでください」


 いま一番泣きたいのは姫井だ。

 幼コレは姫井の分身みたいなものだから。


 そんな事実に俺も神宮寺も気づかされる。


「私が悪かったよ。次からは気をつける。リュウゾーがドヤッてる顔とか見たくないしな。初心にかえって知恵を絞ろうぜ。でもさ、ガルメモが三位から九位にくると予想していたってことは、ある意味、ゆり姫の計画の範囲内ってこと?」

「そうです。最悪の意味で計画の範囲内なのです」


 まだ首の皮一枚つながっている。


 それを崖っぷちと解釈するか。

 可能性の光と解釈するか。


「まあ、まだ勝負は残っているしさ……」


 神姫戦争のムードが消えかけたとき、社長が明るい声でいった。


「それに幼コレだって、週次セールスランキングで最高二位を記録したことがあるしさ……」


 四ヶ月くらい前。

『幼女が選ぶゲームアワード』を受賞した頃。


 ダウンロード数を急上昇させた幼コレは、最大瞬間風速的に二位を記録したことがある。


 次の週には三位に下がって、さらに次の週には四位に下がって……。

 そんな感じで二位から十位までを全部獲得してきた。


 あれが幼コレの最盛期。

 追い風を受けても一位だけは獲ることはできなかった。


 ちょっとだけ苦い記憶が蘇ってくる。


「最盛期というのは、ずっと成長し続ける限り、今の瞬間が最盛期になるんだよ。私はそうやって生きたい。だからもう一度あの時の輝きを取り戻さないかな」


 姫井が首を縦に振る。

 神宮寺も、おう、と返事をする。


「私たちが戦っているのはカノープスじゃないんだよ。あの日の幼コレなんだよ。苦しいのは理解しているけれどさ。もう一度幼コレを盛り上げてみようよ」


 敵はカノープスじゃない。

 かつての自分たち。


 これは一種の嘘だ。

 社長が得意とする言葉による幻想だ。


 社員たちのモチベーションが消え失せるから。

 組織の中に亀裂が生じるから。


 甘い嘘で納得させてしまう。

 本当は社長だって不安なくせに、それを微塵も感じさせない。


 だからこそ……。

 俺は強く願う……。


 この人をずっと側で支えてあげたい。

 こんな俺でも社長の役に立ちたい、と。


「何があっても諦めない。この二週間だけは。それが社長である私からの注文かな」


 こういうセリフが社員の心に火を灯す。

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