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55/55

55:縁結び神社

 温かな春の陽気に誘われて、結木神社には参拝客の姿がちらほらと見受けられた。

 晴れやかな表情で、もしくは真剣な表情で、それぞれが思いを抱いて拝殿に手を合わせる。

 そんな参拝客に頭を下げる女の姿があった。

 浅葱色の袴に、表衣(ひょうい)。頭には額当(ぬかあて)。足元は浅沓(あさぐつ)。ぎこちなさは同時に初々しさでもある。年かさの女性が、新人の神職に目を細めていた。

 その新人の神職──神崎結子は、この春、大学を卒業した。しばらくはよその神社に奉職(ほうしょく)しようかとも思ったのだが、悩んだ末に結局この結木神社に戻ってきたのだった。


「結子お姉ちゃん、帰ってきてたの?」

 声を掛けられ、結子はその声の主を見る。ふわふわとしたシフォン生地のブラウスにピンクのスカート。トレンチコートを羽織る、全身から春を楽しんでいると宣言しているような女の子。髪は、手入れを怠っていないのがはっきりと分かる艶やかさ。肩に付く毛先はヘアアイロンで内巻きにしている。結子を伺う度に、髪が弾むように揺れた。

「えー……と、もしかして、はるかちゃん?」

「そうよー。高校生になったの」

 幼い少女だった高校生は、得意げに胸を張った。

 小さかった小学生が、今では高校生なのか。それもそのはずだ。高校生だった結子が奉職する歳になる年月が流れたのだから。

 家を離れた四年間で、様々なことを学んだ。高校とは違う大学生活。自由を手に入れると同時に責任がついて回るようになった。

 これまでには経験したことのなかったアルバイトも試してみたし、そこで知り合った人に告白されたこともあった。もっとも、結子の赤い糸は何の反応もしなかったけれど。

 楽しいことを経験する度に、近衛と過ごした日々を思い出した。甘いものを食べると、結木様が、十夜が喜びそうだと思った。

 指折り数えると、ほんの数ヶ月。一緒に過ごした時間の方が短いというのに、あの日々は結子にとって掛け替えのない宝物となっていた。

 

「ねえねえ、大学って楽しかった?」

「楽しかったよー。だって、毎日早起きしなくて良いんだもん」

「いいなー。私もはやく大学生になって髪染めたいな。パーマもかけたい!」

「その時は、美容室紹介してあげるよ。高校の同級生が勤めてるの」

「今じゃダメなの?」

「今はまだ修行中なんだって」

 香菜も専門学校を出て美容室に就職、毎日へとへとになっていると言っていた。顔を合わせる機会ははめっきり減ったが、それでも久しぶりに会えば高校生に戻ったように話が弾む。友人とは、こういうものなのかもしれない。傍に居る時間の長さでなく、離れていてもそれを感じさせないことが。

「ヒロくんは元気?」

「ヒロキ! ……もう。今はヒロくんって呼んでないの」

 幼い頃の呼び名を出され、彼女は少し恥ずかしそうに唇を尖らせる。

「待ち合わせしてるの。学校、別々になったから。今日は久しぶりにお出かけ」

 別々に進学しても付き合いはあるらしい。それが交際に発展したのかまでは訊かなかった。わざわざ確認しなくても、彼女の赤い糸はどこかの誰かへ繋がっている。それがあの男の子ならば良い。

 彼女はスマートフォンに連絡が入ったらしく、結子に挨拶をして駆けていく。


 華やかな女の子の後ろ姿を見送った後、社務所に戻ると父に呼び止められた。

「結子、お茶を出してくれないか」

「お客さま?」

「お客──……というか、来月からうちに来てもらうことになる人だ」

「聞いてな……いや、聞いていません」

「正式に決まってから話す」

「はい」

「それと、少し待っていて欲しいと伝えておいてくれ」

 先日から父が慌ただしくしていたのはこれだったのかと納得する。新入りには全てが決まってからの報告が世の常なのだろうけれど──娘なのだから、多少は事前に情報を与えて欲しいと思ってしまうのだ。

 家族と始終一緒というのは中々辛いものがある。母の苦労が今になってようやく実感できた。手伝っていた頃の延長として考えていたが、あれは父もアルバイトとして扱っていたのだ。

 それでも、自分で選んだ道だ。父と働きたくない、と言って投げ出すほど子どもではない。何より──。

「こんなことで投げ出したら、近衛さんに呆れられるわ」

 自分に任せておけと言ったのに、奉職してすぐに音を上げる訳にはいかないのだ。

 沸いた湯を急須に注ぐ。正しい淹れ方ではなかったような気がする、と気付いたのはその後だ。

 これからは、こういう細かな所にも気を付けていかなければ。お盆に来客用の湯呑を置いた時だ、小指の赤い糸が動いたように見えたのは。

「……?」

 糸の先が揺れたようだったが──。

 信じられないまま凝視していると、糸はするすると伸び、客間へと向かっている。こんなことは初めてだった。今までぴくりともしなかったというのに。

 客間に居るのは、来月からここに奉職するという人物。

 いずれ誰かと赤い糸が結ばれるのならば、と思い描いたことはある。いずれ結子は神社を継ぐつもりでいるから、神職に興味を持っている相手がいいと思っていた。興味がなくとも、せめて理解のある人物。

 確かにそう願ったが、これはあまりにも──希望通りすぎはしないか。

「あっ」

 小指をじっと眺めている間に、本来の目的であるお茶を出し忘れそうになっていた。

 慌ててお盆を手にして客間へと急ぐ。


 襖を開けて客間を覗くと、スーツ姿の後ろ姿があった。年齢はそこそこ、結子よりも少し年長というくらいに見えた。

 そして、結子の赤い糸は──確かにその相手の小指に続いていた。

「お待たせしております」

 少し緊張しながら声を掛ける。

 これが、この人が、結子の赤い糸が初めて結ばれた相手。近衛のように結子自身が無理やりに巻いたのではなく。

 いずれこの人を好きになるのだろうか。この人に興味を持って、近衛とのことは思い出となっていくのか。

 それは少し──寂しい気がした。

 それでも、赤い糸はこれきりではないのだ。また解けることもあると言っていたではないか。だから、今は気にせずに、と膝を折り客人へお茶を出す。

「申し訳ありません、少し遅れるそうです」

 相手の顔を見ずにそう伝えると、笑い声が聞こえた。警戒しすぎて、不機嫌な表情になってしまっていたのか。

 それにしても、笑わなくても良いだろうに、とちらりと伺う。


「神職の装束もよく似合っている」


 相手は、微笑んでそう言った。

 黒い髪に、色白の肌。細められた切れ長の双眸が涼しげであった。

 見覚えがある。初めて会う人物ではない。

「──……このえ、さん?」

 口にした後で、そんな筈はない。外見は、近衛が人前に出る時の姿ではあったが、近衛はもういないのだ。他人の空似、偶然の産物だろう。

「あ、いえ、すいません、知っている方に似ていて──」

 相手もいきなりこんな反応をされて困るだろうに。来月からここに奉職するというのだから、失礼がないよう頭を下げる。

「わたしだよ、結子」

 だが、返ってきたのはそんな言葉。

「──……」

 恐る恐る顔をあげると、相手は相変わらず微笑んで結子を見つめている。

「……近衛さんなんですか?」

「この外見だがな。前の方が良かったか。洋服だからおかしいのだろう。挨拶だから背広がいいと思ったのだが」

 首を振る。二度、三度。外見など、何を着ているかなど、どうだっていいのだから。

「……近衛さんだったら、何だっていいんです」

 泣いてしまう前に、それだけを伝える。唇を噛み締め、感情をぐっと飲み込んだ。

「しかし、覚えていてくれたんだな。──良かった。忘れられていたり、気付かれなかったりしたらどうしようかと気が気でなかった」

 そんな不要な心配などしていたのか。

「忘れるはず……ありません。近衛さんのこと、一日だって思い出さない日はなかったのに」

 楽しいことがある度に、目新しいものを見る度に、近衛のことを思い出した。忘れるどころか、むしろ近衛の存在は結子の中で大きくなっていったというのに。

 それが、五年も経ってどうして急に。

 口を開くと、代わりに涙が溢れそうになるから黙ってしまった結子に、近衛はかい摘みながらではあったが説明をする。

「結木様が、あれこれと手を尽くしてくれたそうだ。何でも、わたしの寿命が少し余ったようでな。わたしは生涯を結木様に尽くすと誓っていたから。ならば人にして神職として世話をさせようということになったそうだ」

 軽々しく決めるものだ、と苦笑する。そうは言いながらも、近衛も嬉しそうだった。

「本来ならば、もっと早くにでもこうしていたかったらしいが、結子の卒業をずっと待っていたらしい。本当にあの方らしい──……」

 全ては語らなかったが、後は察しろということのようだった。

 あの夜、結子が望んだことを──そして近衛が望んだことを結木様は聞いていたのだろう。そして、それを叶えるために手を尽くし、時が経つのを待っていた。結子が卒業し、神職となり戻ってくるまで。

 ようやく、小指の赤い糸に納得ができた。ずっと、この日を待っていたのだ。

「立ち聞きとはあまり良い趣味ではないが、願ったことを叶えてくれる良い神様だと、わたしは思う。……贔屓目も入っているが」

 糸はしっかりと結ばれて、近衛の小指に続いている。その結び目も、徐々に馴染んで消えようとしていた。

「結子に、不満はないだろうか」

「不満?」

「わたしが人となって結木神社の神職となるのは、結木様の我儘だ。無理に付き合うことは──」

「赤い糸が結ばれてるのに、どうしてそういうこと言うんですか?」

 あの夏の夜に縮まったと思った距離は、五年と少しの間にまだ離れてしまったのか。

 小指から伸びる赤い糸を摘まみ引っ張ると、近衛の小指が僅かに動いた。

 それで、近衛もようやく気付いたようだった。

「ああ、そうか──……赤い糸が……」

 いくら長く仕えた記憶があっても、自分の赤い糸とは無縁だったのだ。

「ならば、ずっと結子の傍に居られるのだな」

 近衛の手が、結子の手を取る。大きくて温かい、男性の手だった。

「近衛さん。あの……これからよろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ。──末永く」

 末永く。

 近衛と離れることはないのだ。これからは、ずっと一緒。零れた涙を拭い、結子は笑顔で頷いた。


      *   *   *


 結木神社を参る人々は途切れることがない。ここにお参りをすると、良い縁が結ばれるというもっぱらの評判なのだ。

 恋人との縁、友人との縁、家族の縁。様々な縁を結んでくれるという。

 ご祈祷には、役者にしたくなるような二枚目の神職。よく通る声で上げる祝詞は参拝に訪れる人たちに好まれていた。

 社務所に巫女の姿はなく、代わりにまだまだ珍しい女性神職。この神社の娘だ。巫女の時分は気難しそうだと言われていたが、近頃は笑顔で応対する姿が見られる。

 仲睦まじい二人を見て早く籍を入れろと急かす人たちも居るが、当人たちは顔を見合わせて苦笑するばかり。もっとも、それも時間の問題ではあるだろう。何しろ、二人が結ばれることは周囲の人々どころか神社の祭神すらも望んでいるのだから。

 その、赤い糸で結ばれた二人は、今日も皆の幸せを祈っているという。

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