完璧な生徒会長の愛は、どこかおかしい
「九条会長。お話があります」
翌日の放課後。
生徒会室に、立花理央の声が響いた。
窓から差し込む夕日が、机の上に積まれた書類を赤く染めている。
その中央で、九条栞はいつものように仕事をしていた。
「……あら、立花さん。どうしたの?」
「大事なお話です。三分だけ、お時間をいただけませんか?」
「三分?」
「はい」
九条会長は手元の文化祭企画書から顔を上げた。
「構わないわ。ちょうど一段落したところだから」
そう言って、穏やかに微笑む。
いつもと変わらない、完璧な生徒会長の笑顔。
けれど、立花は知ってしまった。
その微笑みの裏に、誰にも知られていない秘密があることを。
「……会長」
「何かしら?」
「単刀直入に言います」
立花は机に両手をついた。
「会長の愛情は、間違っています」
「…………」
一瞬、生徒会室が静まり返った。
しかし、九条会長は怒らなかった。
ただ、不思議そうに首を傾げただけだった。
「……どういう意味かしら?」
「桜庭悠馬くんのことです」
その名前を口にした瞬間。
九条会長の指が、ぴたりと止まった。
「……桜庭くん?」
「はい。会長が特別に気にかけている一年生です」
「ええ。とても素敵な人よ」
九条会長は嬉しそうに微笑んだ。
その反応に、立花は胸が痛くなった。
「……私、彼の小説を読みました」
「あら」
「ペンネームは『桜』。作品名は『俺の人生はラブコメ展開らしい』」
九条会長は何も言わない。
立花は続けた。
「第一話には、相合傘の話がありました」
「……そう」
「その翌日、会長は桜庭くんと相合傘をしています」
「偶然でしょう?」
「それだけじゃありません!」
立花はスマートフォンを取り出した。
画面には、小説の投稿日時が表示されている。
「文芸部の話が投稿されたあと、会長は文芸部の設立を進めました」
「……ええ」
「それから、二人で一つのパソコンを使う場面。あれも実際にやっていますよね?」
九条会長は少し考えるように目を伏せた。
そして、穏やかに答えた。
「……そうね。確かに似ているわ」
「似ている、じゃありません!」
立花は声を強めた。
「会長は、彼の小説に書かれた出来事を、現実で再現しているんでしょう?」
沈黙。
時計の秒針が、やけに大きく聞こえた。
やがて、九条会長は小さく微笑んだ。
「……立花さんは、本当に鋭いのね」
「……っ!」
立花は息を呑んだ。
否定しなかった。
それどころか、九条会長は少し嬉しそうですらあった。
「……どうして、そんなことを?」
「どうして?」
「彼の小説は、彼自身が考えた物語です。現実まで同じにする必要なんてありません!」
九条会長は、きょとんとした顔をした。
「でも、桜庭くんは楽しそうだったわ」
「……え?」
「相合傘をしたときも、文芸部に案内したときも。彼、とても嬉しそうに笑ってくれたの」
九条会長は胸の前で両手を組んだ。
「だったら、素敵なことじゃないかしら?」
「……会長」
「好きな人を幸せにできるのよ? こんなに嬉しいことはないわ」
その声は、どこまでも純粋だった。
まるで、自分が正しいことをしていると信じて疑わない子供のように。
「……それでも、駄目です」
立花は首を振った。
「彼が喜んでいるからといって、何をしてもいいわけではありません」
「何をしても?」
「会長は、彼の知らないところで学校の予定まで変えています」
「必要な手続きは踏んでいるわ」
「そういう問題じゃないんです!」
立花は拳を握りしめた。
「彼には、彼自身の人生があります。会長が勝手に物語を決めていいはずがありません!」
九条会長は、しばらく黙っていた。
そして――。
「……そうね」
静かに立ち上がった。
「立花さん。あなたに見せたいものがあるの」
「……見せたいもの?」
「ええ。私の大切な宝物よ」
九条会長は生徒会室の奥へ歩き始めた。
そこには、普段は施錠されている小さな資料室がある。
会長が管理しているため、立花も滅多に入ったことがない場所だった。
「……こちらへ」
九条会長は鍵を取り出した。
かちゃり。
静かな音とともに、扉が開く。
「……っ!?」
その瞬間。
立花は、言葉を失った。
壁一面に、写真が貼られていた。
写っている人物は、すべて同じ。
桜庭悠馬。
教室で本を読んでいる姿。
廊下を歩いている姿。
文芸部でパソコンに向かっている姿。
そして、机に突っ伏して眠っている姿。
「……なに、これ……」
立花の声が震えた。
写真の中には、本人が撮影に気づいていないと思われるものもある。
撮影日時や場所まで、丁寧に記されていた。
「……会長」
「綺麗でしょう?」
九条会長は幸せそうに微笑んだ。
「桜庭くんは、どんな表情も素敵なの」
「……そんなことを聞いているんじゃありません!」
立花は思わず声を荒らげた。
「これ、本人の許可を取っているんですか!?」
「……許可?」
九条会長は、不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
「どうしてって……!」
「だって、私は彼のことをもっと知りたいだけなのよ」
九条会長は一枚の写真へ指を伸ばした。
そこには、小説を書いている悠馬の横顔が写っていた。
「彼が何を考えているのか。どんな物語を書きたいのか。何をすれば喜んでくれるのか……」
その指先が、写真の端をそっとなぞる。
「全部、知りたいの」
「…………」
立花は一歩後ずさった。
目の前にいるのは、間違いなく九条九条会長だ。
優しくて、聡明で、誰からも慕われる親友。
けれど、今の彼女が何を考えているのか、立花には理解できなかった。
「……会長。これは、愛情じゃありません」
「あら?」
「相手の知らないところで写真を集めたり、行動を記録したり……そんなの、間違っています!」
九条会長は困ったように微笑んだ。
「立花さんは、心配性ね」
「……っ!」
「でも、大丈夫よ。私は桜庭くんを困らせるつもりなんてないもの」
「本人が知らないから、困っていないだけでしょう!?」
その言葉に、九条会長は初めて黙り込んだ。
立花は必死に続ける。
「お願いです、会長。こんなこと、もうやめてください」
「…………」
「まだ間に合います。私も協力しますから、ちゃんと彼と向き合いましょう?」
九条会長は、しばらく立花を見つめていた。
やがて、柔らかく微笑む。
「……ありがとう、立花さん」
「……会長?」
「でも、心配はいらないわ」
九条会長は、壁に飾られた写真へ視線を戻した。
「再来週、桜庭くんと文化祭を回る約束をしたの」
「……文化祭?」
「ええ。二人きりで」
九条会長の頬が、ほんのりと赤く染まった。
「今から、とても楽しみなの」
「……会長」
「だから、あの日だけは、誰にも邪魔されたくないわ」
それは、脅しのような口調ではなかった。
むしろ、楽しみにしている約束を友人へ報告する、ごく普通の少女の声だった。
だからこそ、立花は恐ろしかった。
「……私、あなたが怖いです」
ようやく、それだけを口にした。
九条会長は少しだけ寂しそうに目を伏せた。
「……そう」
そして、いつもの微笑みを浮かべる。
「でも、私は何も怖くないわ」
九条会長は、悠馬の写真を見つめた。
「だって、彼が幸せなら、それでいいんですもの」
立花は、何も言えなかった。
ただ一つだけ、確信した。
このままでは、いけない。
親友を止めなければならない。
たとえ、彼女に嫌われることになったとしても。
◇ ◇ ◇
「よっしゃあああ! 次は膝枕イベントだ!」
同じころ。
俺、桜庭悠馬は、文芸部の部室で元気よく拳を突き上げていた。
現在執筆しているのは、主人公とヒロインが二人きりで過ごす放課後の話。
疲れて眠ってしまったヒロインを、主人公が膝枕してあげるのだ。
「くううっ! 王道! これぞ王道ラブコメ!」
俺は勢いよくキーボードを叩いた。
実は、この展開にはモデルがいる。
そう。
九条九条会長先輩である。
先日、疲れていた先輩を膝枕したときのこと。
あのときの先輩は、本当に可愛かった。
普段は完璧な生徒会長なのに、俺の前では少しだけ甘えてくれた。
そのギャップが、もうたまらない。
「……いやあ、あれは反則だったな」
思い出しただけで、顔が熱くなる。
しかし、これは貴重な創作経験だ。
作家たるもの、日常のあらゆる出来事を作品に活かさなければならない。
「よし! 完成!」
俺は最後の一文を打ち終えた。
誤字脱字を確認。
文章を読み直す。
そして、投稿ボタンをクリック。
『投稿が完了しました』
「……さあ、来い!」
俺はアクセス解析画面を開いた。
PV数。
ゼロ。
「…………」
更新。
ゼロ。
もう一度更新。
ゼロ。
「だああああっ! 知ってたああああ!」
俺は机に突っ伏した。
相変わらず、厳しい世界である。
しかし、俺には希望がある。
そう。
あの人だ。
「神様、仏様、アイドルA様……!」
俺は両手を合わせた。
「どうか、今回も読んでください……!」
すると。
ピコンッ。
「……お?」
PV数が、一になった。
「来たあああっ!」
俺は椅子から立ち上がった。
そして、続けて通知音が鳴る。
新着コメント、一件。
ユーザー名は――。
『アイドルA』
「アイドルAさあああん!」
俺は歓喜した。
早速、コメントを開く。
『今回も素晴らしいお話でした。膝枕の場面、とても羨ましいですわ。こんなふうに優しくしてもらえるヒロインは、きっと幸せでしょうね』
「ぐふふ……そうでしょう、そうでしょう!」
俺は思わず頬を緩めた。
今回も、楽しんでもらえたらしい。
しかも、膝枕の場面を褒めてくれている。
「やっぱり、ラブコメは最高だぜ!」
俺はすぐに返信を書き込んだ。
『いつも読んでくださってありがとうございます! 今回も楽しんでいただけて嬉しいです! これからも頑張りますので、応援よろしくお願いします!』
送信。
「……よし!」
俺は大きく伸びをした。
読者は、まだ少ない。
ランキングにも載らない。
それでも、こうして読んでくれる人がいる。
だったら、俺は書き続けたい。
「さて、次はどうしようかな?」
俺は腕を組んだ。
膝枕の次。
もっと二人の距離が縮まるイベント。
「……お泊まり会?」
いや、さすがに早すぎるか。
「じゃあ、デート回とか?」
……おっ。
デート。
そういえば、再来週は文化祭だ。
九条先輩と一緒に回る約束をしている。
「……文化祭デート!」
俺は思わず指を鳴らした。
「いいじゃないか! 最高の展開だ!」
模擬店。
お化け屋敷。
ステージイベント。
そして、夕暮れの校舎。
考えただけで、いくらでもラブコメの場面が浮かんでくる。
「……よし! 次は文化祭編だ!」
俺は新しい原稿を開いた。
真っ白な画面に、最初の一文を打ち込む。
カタカタカタ。
静かな部室に、キーボードの音が響く。
俺はただ、小説を書くことが楽しかった。
新しい物語を考えることが、幸せだった。
そして、誰かがその物語を楽しみにしてくれていることが、何より嬉しかった。
だから、知らなかった。
俺の唯一の熱心な読者、『アイドルA』の正体を。
その人が、俺のすぐ近くにいることを。
そして、俺が書いた物語を、現実にしようとしていることを。
俺は今日も、何も知らないまま。
自分だけのラブコメを書き続けていた。




