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俺が書いたラブコメが現実になっている件について、完璧な生徒会長は何も知らないふりをする  作者: ウイング神風


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24/26

完璧な生徒会長は、初めて恋に敗北する

 何も、やる気が起きなかった。


 朝になっても、ベッドから起き上がる気力が湧かない。


 学校へ行かなければならない。


 生徒会の仕事も、山ほど残っている。


 文化祭の会計報告だって、まだ終わっていない。


 そんなことは、わかっていた。


 けれど。


「……もう、どうでもいいわ」


 九条栞は、静かに呟いた。


 自室のカーテンは、閉め切られている。


 机の上には、開いたままのノートパソコン。


 画面に表示されているのは、見慣れた小説投稿サイトだった。


『俺の人生はラブコメ展開らしい』


 作者、桜。


 栞が誰よりも愛している作家、桜庭悠馬の作品である。


 その活動報告には、大きな文字でこう書かれていた。


『【ご報告】書籍化が決定しました!』


「……おめでとうございます、桜先生」


 栞は、画面に向かって微笑んだ。


 けれど、その笑顔は長く続かなかった。


 書籍化。


 ずっと願っていたことだった。


 彼の小説が、多くの人に読まれること。


 彼の才能が、世の中に認められること。


 そして、彼が夢を叶えること。


 そのすべてを、栞は心から望んでいた。


 だから、本当なら喜ばなければならない。


 誰よりも早く、お祝いの言葉を伝えたかった。


 けれど。


「……どうして、こんなにも苦しいのかしら」


 栞は、胸元に手を当てた。


 彼の夢が叶った。


 それは、嬉しい。


 なのに。


 彼の物語は、自分が望んだ結末とは違う方向へ進んでいた。


 主人公とヒロインは別れた。


 そして、主人公は新しいヒロインと出会った。


 その展開が読者に受け入れられ、作品は人気を集めている。


 まるで。


 最初のヒロインがいなくなったからこそ、物語が成功したかのように。


「……そんなの、嫌よ」


 栞は、小さく首を振った。


     ◇ ◇ ◇


 彼女は、活動報告のコメント欄を開いた。


『書籍化決定、おめでとうございます!』


『桜先生の作品、大好きです!』


『新ヒロインが可愛すぎる!』


『書籍版も楽しみにしています!』


 祝福の言葉が、画面いっぱいに並んでいる。


 誰もが、彼の成功を喜んでいた。


 それは、当然のことだ。


 彼は、努力してきたのだから。


 何度も悩み、苦しみ、それでも物語を書き続けてきたのだから。


 けれど。


「……どうして、みんな平気なの?」


 栞は、マウスを握りしめた。


 最初のヒロインは、あんなにも主人公を愛していた。


 彼の夢を応援していた。


 彼が落ち込んだときには、励ましていた。


 それなのに。


 主人公は、別の少女と笑っている。


 そして、読者たちは、その新しい恋を祝福している。


「……彼女は、どうなるの?」


 栞は、誰もいない部屋で問いかけた。


 最初のヒロインは、もう必要ないのだろうか。


 彼の物語に、居場所はないのだろうか。


「……私じゃ、駄目だったの?」


 言葉が、自然とこぼれた。


 それは、小説のヒロインに向けた問いだった。


 同時に、自分自身への問いでもあった。


     ◇ ◇ ◇


 栞は、ゆっくりと目を閉じた。


 すると、これまでの出来事が次々と蘇ってきた。


 最初は、相合傘だった。


 雨の日。


 傘を持たずに困っていた桜庭悠馬。


 彼女は、彼の小説に描かれていた出会いを、現実に再現した。


『……よろしければ、ご一緒しませんか?』


 あのときの彼は、驚いていた。


 けれど、最後には笑ってくれた。


 その笑顔が、栞は嬉しかった。


 次は、文芸部。


 小説を書く場所が必要だと思った。


 だから、部室を用意した。


 パソコンも、本も、必要なものはすべて揃えた。


 彼が、何不自由なく執筆できるように。


 そして、休日のデート。


 映画館。


 食事。


 何気ない会話。


 どれも、楽しかった。


 文化祭も、そうだった。


 彼の小説に登場する屋台を調べ、出店場所を調整した。


 彼が描いた順番で、二人が回れるようにした。


 チョコバナナ。


 たこ焼き。


 お化け屋敷。


 彼と一緒に過ごした時間は、何よりも幸せだった。


「……楽しかったわ」


 栞は、ぽつりと呟いた。


「……本当に、楽しかった」


 あの時間だけは、嘘ではなかった。


 彼が笑ってくれたこと。


 自分も、心から笑えたこと。


 その記憶だけは、誰にも否定されたくなかった。


 けれど。


 今なら、少しだけわかる。


 彼が喜んでくれたことと、自分の行動が正しかったことは、同じではなかったのだ。


     ◇ ◇ ◇


「……私、何をしていたのかしら」


 栞は、静かに呟いた。


 最初は、彼の夢を応援したかった。


 小説を書く環境が整えば、彼はもっと素晴らしい物語を書ける。


 そう信じていた。


 だから、先回りして準備した。


 彼が悩まないように。


 彼が迷わないように。


 彼が、いつも笑顔でいられるように。


 けれど。


 いつの間にか、目的が変わっていた。


 彼の夢を叶えることよりも。


 彼が、自分の望む物語を書いてくれることを期待するようになっていた。


「……私が、彼を苦しめていたの?」


 栞は、ゆっくりと顔を上げた。


 文化祭の前。


 彼は、スランプに陥っていた。


 次の展開が思いつかない。


 何を書けばいいのかわからない。


 そう悩んでいた。


 あのとき、栞は考えた。


 彼には、刺激が足りないのだと。


 小説の展開を現実にすれば、きっと新しいアイデアが生まれるのだと。


 だから、文化祭を彼の物語に合わせて作り替えた。


 そして、実際に彼は新しい展開を思いついた。


 けれど。


 その展開は、自分が望んだものではなかった。


「……そういうことだったのね」


 栞は、目を伏せた。


 彼は、最初から自分の物語を書こうとしていた。


 ただ、自分がそれを認めたくなかっただけなのだ。


 自分の望むヒロイン。


 自分の望む恋愛。


 自分の望む結末。


 それらを、彼にも望んでほしかった。


 けれど、彼は違った。


 彼には、彼自身の考えがあった。


 彼自身の夢があった。


 そして、彼自身が選びたい未来があった。


『桜庭くんには、桜庭くんの人生があります』


 立花理央の言葉が、脳裏に蘇った。


「……立花さん」


 栞は、小さく呟いた。


 あのときは、認めたくなかった。


 彼を自由にしてほしい。


 そう言われたことが、何よりも悔しかった。


 けれど。


「……あなたの言う通りだったのかもしれないわ」


 栞は、ゆっくりと息を吐いた。


 彼を理解しているつもりだった。


 誰よりも、彼のことを知っているつもりだった。


 でも。


 彼が本当に書きたい物語を、理解できていなかった。


     ◇ ◇ ◇


「……私じゃ、駄目なの?」


 栞は、再び問いかけた。


 答えは、返ってこない。


 当然だった。


 この部屋には、自分しかいないのだから。


 それでも、問い続けた。


「……私は、何を間違えたの?」


 彼のために、できることはすべてしてきた。


 彼が喜ぶなら、どんな努力も惜しまなかった。


 それなのに。


 なぜ、自分は選ばれないのだろう。


 なぜ、彼の物語のヒロインになれないのだろう。


「……おかしいわね」


 栞は、寂しそうに笑った。


 子供のころから、負けることが嫌いだった。


 勉強では、常に一番を目指した。


 運動でも、誰にも負けたくなかった。


 生徒会長になってからも、すべてを完璧にこなそうとした。


 努力すれば、結果が出る。


 そう信じて生きてきた。


 けれど。


 恋愛だけは、違った。


 どれほど努力しても。


 どれほど相手を理解しようとしても。


 相手が、自分を選んでくれるとは限らない。


「……こんなの、初めてよ」


 栞の声が、震えた。


 努力しても、届かない。


 望んでも、叶わない。


 そんな経験を、彼女はほとんど知らなかった。


 だからこそ。


 初めての敗北が、こんなにも苦しかった。


「……私、負けちゃったのね」


 栞は、ぽつりと呟いた。


 その瞬間。


 目の奥が、熱くなった。


「……あれ?」


 頬に、温かいものが伝う。


 涙だった。


 栞は、慌てて指で拭った。


 けれど、次から次へと溢れてくる。


「……どうして」


 声が、震えた。


「……どうして、止まらないの?」


 今まで、泣くことなんてほとんどなかった。


 悔しいことがあっても、努力すればよかった。


 失敗しても、やり直せばよかった。


 けれど。


 恋愛には、正解がない。


 努力すれば報われるという保証もない。


 そして。


 相手の心を、自分の思い通りにすることはできない。


「……桜庭くん」


 栞は、愛しい名前を呼んだ。


 彼は、今ごろ何をしているのだろう。


 きっと、書籍化に向けて頑張っている。


 編集者と相談しながら、原稿を修正している。


 夢に向かって、前へ進んでいる。


 それなのに。


 自分だけが、ここで立ち止まっている。


「……おめでとう」


 栞は、涙を拭いながら呟いた。


「……本当に、おめでとうございます」


 その言葉だけは、心からのものだった。


 彼の成功を、否定したいわけではない。


 彼の夢を、壊したいわけでもない。


 ただ。


「……私も、一緒にいたかった」


 栞は、静かに泣いた。


 彼が夢を叶える瞬間を。


 一番近くで、見守りたかった。


 彼が笑顔になる瞬間を。


 自分の隣で、迎えてほしかった。


 それだけだった。


     ◇ ◇ ◇


 しばらくして。


 栞は、ゆっくりとパソコンに向き直った。


 画面には、書籍化決定の活動報告が表示されている。


 コメント欄には、たくさんの祝福の言葉。


 その中に、自分の名前はない。


『アイドルA』


 かつて、彼の小説に毎回感想を送っていた名前。


 彼が誰にも読まれなかったころから、応援し続けてきた名前。


 栞は、コメント入力欄を開いた。


「……おめでとうございます、桜先生」


 ゆっくりと、文字を打ち込む。


『書籍化決定、おめでとうございます』


 そこで、指が止まった。


 続きが、書けなかった。


 今までなら、いくらでも言葉が出てきた。


 次回も楽しみにしています。


 素晴らしいお話でした。


 これからも応援しています。


 そんな言葉を、何度も送ってきた。


 けれど。


 今の栞には、その続きを書くことができなかった。


「……ごめんなさい」


 彼女は、小さく呟いた。


 そして、入力した文章を一文字ずつ消していく。


 画面には、何も残らなかった。


「……まだ、無理みたい」


 栞は、寂しそうに微笑んだ。


 彼の成功を、心から喜んでいる。


 それでも。


 彼の物語を、以前と同じ気持ちで読むことはできなかった。


 最初のヒロインが、主人公と別れたように。


 自分もまた、彼の隣から離れなければならないのかもしれない。


 そう思うだけで、胸が苦しくなった。


「……桜庭くん」


 栞は、もう一度名前を呼んだ。


 返事はない。


 けれど、今度はそれでよかった。


 彼は、彼の人生を歩いている。


 自分がいなくても、前へ進んでいける。


 それは、本当なら喜ばしいことなのだ。


「……私、あなたの夢を応援しています」


 栞は、静かに呟いた。


 そして、パソコンを閉じた。


 部屋に、静寂が戻る。


 彼女は、しばらく動かなかった。


 ただ、窓の外に広がる夕焼けを見つめていた。


 完璧な生徒会長は、初めて敗北を知った。


 それは、試験でも、選挙でもない。


 自分の努力だけでは、どうにもならないもの。


 誰かを好きになるということ。


 そして。


 好きな人が、自分とは違う未来を選ぶかもしれないということだった。

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