完璧な生徒会長は、俺の小説を知らないふりをする
「うーん……次の話は、何を書けばいいんだ?」
俺、桜庭悠馬は、ノートパソコンの前で腕を組んでいた。
時刻は午後九時。
学校から帰宅し、夕食も風呂も済ませたというのに、肝心の執筆が一文字も進んでいない。
画面には、真っ白な原稿用紙。
点滅するカーソルが、まるで俺を急かしているようだった。
「相合傘はもう書いたしなあ……」
昨日投稿したのは、主人公とヒロインが一つの傘に入って帰宅する話だ。
王道中の王道。
だが、王道だからこそ素晴らしい。
しかも、昨日は俺自身も九条栞先輩と相合傘をするという、人生最大級のラブコメイベントを経験してしまった。
「……いやあ、昨日はすごかったな」
思い出しただけで、頬が緩む。
艶やかな黒髪。
上品な微笑み。
そして、傘の下で自然と近づいた距離。
あれは反則だろう。
九条先輩ほどの美少女に優しくされたら、世の男子高校生の九割は勘違いするに決まっている。
もちろん、俺も例外ではない。
「いかん、いかん! 今は執筆に集中だ!」
俺は両手で頬を叩いた。
現実の恋愛経験が乏しいからこそ、想像力で勝負するのだ。
さて、次はどうする?
相合傘の次に必要なのは、二人の距離をさらに縮めるイベント。
遊園地?
水族館?
それとも放課後のデート?
「……いや、待てよ」
そこで、一つのアイデアが浮かんだ。
「部活動だ!」
そうだ。
主人公は俺と同じ、小説家志望の高校生。
ならば、創作活動を通じてヒロインとの距離を縮めればいい。
例えば、主人公が小説を書くために文芸部へ入部する。
そこで出会うのが、文章に詳しい美少女の先輩。
主人公の作品を読んで、優しくアドバイスしてくれる。
時には厳しく、時には甘く。
そして、主人公が自信を失ったときには、誰よりも近くで励ましてくれるのだ。
「……いいじゃないか!」
俺は思わず立ち上がった。
「放課後の部室! 二人きりの創作活動! 夕日に照らされたヒロインの横顔! これは間違いなくラブコメだ!」
頭の中で、次々と場面が浮かび上がる。
主人公が書いた原稿を、ヒロインが隣で読む。
文章を直そうと二人で画面を覗き込み、思わず顔が近づいてしまう。
主人公が慌てる一方、ヒロインは楽しそうに微笑む。
「くううっ! 青春だぜ!」
俺は勢いよくキーボードを叩き始めた。
カタカタカタ。
さっきまで一文字も進まなかった原稿が、嘘のように埋まっていく。
これだ。
この感覚だ。
頭の中にある物語が、文章になっていく瞬間。
俺は、この時間が何よりも好きだった。
◇ ◇ ◇
「……よし、完成!」
約二時間後。
俺は最後の一文を打ち終え、大きく伸びをした。
今回の話では、主人公が自分の才能に自信をなくし、執筆を諦めかける。
そんな彼を、ヒロインの先輩が励ますのだ。
そして、最後に彼女が口にする台詞は――。
『あなたの物語を楽しみにしてくれている人がいるなら、それは、とても素敵なことだと思います』
「…………あれ?」
俺は首を傾げた。
この台詞。
どこかで聞いたことがあるような……。
「……あっ!」
思い出した。
昨日、九条先輩が言ってくれた言葉だ。
俺が小説を書いていると話したとき、先輩はこんなふうに励ましてくれた。
「……なるほど。無意識に参考にしてたのか」
俺は感心しながら画面を眺めた。
現実で経験したことが、小説の材料になる。
これこそ、創作者の醍醐味というやつだろう。
「九条先輩、ありがとうございます!」
本人のいない部屋で、俺は深々と頭を下げた。
もっとも、実際にこの台詞を使ったと知ったら、先輩は驚くだろうけど。
「さて、投稿するか!」
誤字脱字を確認し、文章を整える。
そして、投稿ボタンをクリック。
『投稿が完了しました』
「よっしゃ!」
俺は早速、アクセス解析画面を開いた。
新しい話のPV数。
ゼロ。
「…………」
更新。
ゼロ。
もう一度更新。
ゼロ。
「だああああっ! 誰も読んでねえええっ!」
俺は机に突っ伏した。
いや、わかっている。
投稿したばかりなのだから、すぐに読まれるとは限らない。
そんなことは百も承知だ。
だが、作家という生き物は、投稿ボタンを押した瞬間から読者の反応が気になって仕方がないのである。
「せめて一人……一人でいいから読んでくれ……!」
祈るような気持ちで画面を見つめる。
すると。
「……お?」
数字が変わった。
ゼロから、一へ。
「い、一だ!」
たった一人。
されど一人。
この広いインターネットの海で、誰かが俺の小説を見つけてくれたのだ。
「ありがとう! どこの誰だかわからないけど、本当にありがとう!」
俺は画面に向かって頭を下げた。
すると、今度は通知音が鳴った。
新着コメント、一件。
「まさか……!」
慌ててコメント欄を開く。
そこに表示されていたのは、見覚えのあるユーザー名だった。
『アイドルA』
「おおっ! アイドルAさん!」
この人は、俺の小説を第一話から読んでくれている数少ない読者の一人だ。
毎回、丁寧な感想を送ってくれる。
俺が書いた何気ない台詞まで覚えてくれている、ありがたい存在なのである。
今回のコメントは――。
『今回も素晴らしいお話でした。夢に向かって頑張る主人公と、それを支えるヒロインの関係が大好きです。特に最後の台詞が心に残りました。桜先生の描く物語は、いつも私を幸せな気持ちにしてくれます』
「うおおおっ!」
俺は思わず拳を握りしめた。
嬉しい。
めちゃくちゃ嬉しい。
しかも、最後の台詞を褒めてくれている。
「アイドルAさん……あなたは神か!」
俺はすぐに返信を書き込んだ。
『いつもありがとうございます! 今回も楽しんでいただけて嬉しいです! これからも頑張ります!』
送信。
「よーし! 次も頑張るぞ!」
読者は少ない。
ランキングにも載らない。
それでも、俺の小説を楽しみにしてくれている人がいる。
だったら、書き続ける理由としては十分だ。
「いつか絶対にプロになってやる!」
俺はそう宣言して、再び原稿を開いた。
次は、どんな物語を書こうか。
そんなことを考えているだけで、胸が躍るのだった。
◇ ◇ ◇
一方、そのころ。
閑静な住宅街に建つ、一軒の邸宅。
その二階にある広々とした自室で、一人の少女がパソコンの画面を眺めていた。
九条栞。
成績優秀、品行方正。
誰からも慕われる、完璧な生徒会長。
学校では常に穏やかな微笑みを浮かべ、教師からも生徒からも厚い信頼を寄せられている少女だった。
そんな彼女は今、ヘッドホンをつけ、楽しそうに目を細めていた。
「ふふっ。桜庭くん、今日も頑張っていますね」
画面に表示されているのは、桜庭悠馬のWeb小説。
その最新話だった。
そして、ページの下には、先ほど彼女自身が投稿したコメントが表示されている。
ユーザー名は『アイドルA』。
悠馬がいつも感謝している、熱心な読者である。
「今回のお話も、本当に素敵でした」
栞はうっとりとした表情で呟いた。
「夢に向かって一生懸命な主人公。そして、彼を支えるヒロイン……」
彼女は何度も文章を読み返した。
特に、最後の台詞。
『あなたの物語を楽しみにしてくれている人がいるなら、それは、とても素敵なことだと思います』
「……あら」
栞は小さく目を見開いた。
「これって、昨日、私が桜庭くんに言った言葉ですね」
そして、嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ。覚えていてくれたんですね」
自分の何気ない一言が、彼の小説に登場している。
それが、たまらなく嬉しかった。
「桜庭くん……本当に可愛らしい人」
彼女は胸の前で両手を組んだ。
栞が悠馬の小説を読み始めたのは、彼と出会うよりも前のことだった。
たまたま見つけた、小さなWeb小説。
ランキングにも載っていない。
読者もほとんどいない。
それでも、その作品には不思議な魅力があった。
登場人物が誰かのために頑張る姿。
失敗しても、何度でも立ち上がる主人公。
そして、読み終えた人の心を少しだけ温かくする、優しい物語。
栞は、そんな彼の作品に夢中になっていた。
「こんなに素敵な物語を書く人が、どうして評価されないのでしょう」
彼女は不思議そうに首を傾げる。
「もっと多くの人に読んでもらえたら、きっと人気作家になれるのに……」
画面の向こうでは、悠馬が次の作品を書こうとしている。
栞は、机の端に置かれた学校の資料へ目を向けた。
そこには、生徒会の年間活動計画が記されていた。
「……そうだわ」
彼女の瞳が、ぱっと輝いた。
「小説を書くための部活動があれば、桜庭くんも喜んでくれるかもしれません」
文芸部。
創作活動に励む生徒たちが集まり、互いの作品を読み合う場所。
彼が思い描いた物語のように、誰かが彼の夢を応援してくれる場所。
「素敵ですね。きっと、楽しい部活動になります」
栞はノートを開き、さらさらと文字を書き始めた。
『文芸部設立案』
その下に、活動目的や必要な教室、顧問の候補を書き加えていく。
生徒会長として、学校の文化活動を充実させることは大切な仕事だ。
もちろん、正式な手続きも必要になる。
けれど、彼女にとって、それは少しも面倒なことではなかった。
「桜庭くんが喜んでくれるなら、頑張れますもの」
栞は幸せそうに微笑んだ。
「いつか、あなたが素敵な作家先生になれるように……」
そして、ノートの最後に一文を書き添えた。
『誰もが安心して創作活動に取り組める環境を整えること』
「……これでよし」
栞は満足そうにペンを置いた。
明日、生徒会の会議で提案してみよう。
きっと、副会長も協力してくれるはずだ。
何しろ、これは生徒たちの夢を応援するための企画なのだから。
「ふふっ。楽しみですね、桜庭くん」
彼女は再びパソコンへ目を向けた。
そこには、悠馬が書いた小説のタイトルが表示されている。
栞はその文字を、愛おしそうに見つめた。
「あなたが素敵な物語を書けるように、私も頑張りますね」
完璧な生徒会長は、今日も誰かのために働こうとしていた。
それが、彼女にとって何よりの幸せだった。




