底辺作家の俺、ついに書籍化の打診が来ました!
カタカタカタカタ。
放課後の文芸部室に、キーボードを叩く音が響いていた。
「……よし! 今日の更新も完了!」
俺、桜庭悠馬は、ノートパソコンの前で大きく伸びをした。
現在、俺が連載しているWeb小説。
『俺の人生はラブコメ展開らしい』
この作品は、最近になって大きな変化を迎えていた。
そう。
ついに、読まれるようになったのである!
「……ふふふ。今日のPVは、っと」
俺は、投稿サイトの管理画面を開いた。
そこに表示されている数字を見て、思わず目を見開く。
「……い、一万!?」
累計PV、一万突破。
一万である。
十でも、百でも、千でもない。
一万!
「……うおおおおおおっ!」
俺は、思わず椅子から立ち上がった。
「一万PVだあああああ!」
……すごい。
これは、本当にすごいことだ。
少し前まで、俺の小説は一日一PVあれば喜んでいた。
更新しても、誰にも読まれない。
何時間もかけて書いた話が、誰の目にも触れない。
そんな日々が、当たり前だった。
それなのに。
「……一万PVって、マジかよ」
俺は、何度も数字を確認した。
更新しても、一万。
もう一度更新しても、一万。
……夢じゃない!
「……もしかして、俺」
ごくり、と唾を飲み込む。
「……ラブコメ王になれるんじゃないか?」
いや、まだ早い。
さすがに早すぎる。
一万PVでラブコメ王を名乗ったら、本物の人気作家たちに怒られそうだ。
でも。
少なくとも、俺の物語を読んでくれる人が増えている。
それだけで、胸がいっぱいになった。
◇ ◇ ◇
きっかけは、文化祭のあとに投稿したエピソードだった。
主人公とヒロインの別れ。
それまで順調に恋愛を重ねていた二人が、それぞれの夢のために別々の道を選ぶ。
そして、主人公は新しい場所で、新しいヒロインと出会う。
正直、投稿するときは怖かった。
せっかく結ばれた二人を別れさせるなんて、読者に嫌われるかもしれない。
そう思っていたからだ。
しかし、結果は予想外だった。
『別れのシーンで泣きました』
『主人公の夢を応援するヒロインが切なすぎる』
『新ヒロイン、めちゃくちゃ好きです!』
『最初のヒロインにも幸せになってほしい』
感想欄には、今まで見たこともないほどのコメントが並んでいた。
「……すげえ」
俺は、一つ一つの感想を読み返した。
中には、厳しい意見もあった。
『せっかく付き合ったのに、別れさせる必要あった?』
『最初のヒロインが好きだったので残念です』
……うん。
その気持ちも、よくわかる。
俺だって、最初のヒロインには幸せになってほしい。
だからこそ、彼女自身の人生を描きたかった。
主人公の隣にいることだけが、幸せではない。
自分の夢を追いかけることだって、大切なのだ。
「……ちゃんと、最後まで書かないとな」
俺は、小さく呟いた。
賛成してくれる読者も、反対してくれる読者もいる。
それは、俺の物語を真剣に読んでくれている証拠だ。
だから、どちらの声も無駄にはしたくなかった。
俺は、ランキング画面を開いた。
学園ラブコメ部門。
そこには、見慣れた作品名が表示されている。
『俺の人生はラブコメ展開らしい』
「……おおっ!」
ランキングに、載っている!
しかも、少しずつ順位が上がっている!
「……やったぜ!」
俺は、思わず拳を握りしめた。
昨日よりも、今日。
今日よりも、明日。
少しずつ、俺の小説が誰かに届いている。
その実感が、たまらなく嬉しかった。
けれど。
喜びの中に、一つだけ気がかりなことがあった。
◇ ◇ ◇
「……アイドルAさん」
俺は、感想欄を開いた。
そして、ある名前を探す。
『アイドルA』
俺の小説を、最初から読んでくれていた人。
PVがゼロだったころから、毎回のように感想を送ってくれた人。
俺にとって、最初の読者であり、最も大切な読者だった。
しかし。
「……やっぱり、いないか」
最近、その名前を見かけなくなっていた。
最後にコメントをくれたのは、主人公とヒロインが文化祭を楽しんだ回だった。
その次の、別れのエピソード。
そこから、ぱったりと感想が途絶えた。
「……もしかして、嫌われたかな」
俺は、苦笑いを浮かべた。
アイドルAさんは、最初のヒロインをとても気に入っていた。
いつも、二人の恋愛を応援してくれていた。
だからこそ、別れの展開が受け入れられなかったのかもしれない。
「……そりゃ、そうだよな」
俺は、椅子の背もたれに体を預けた。
最初のヒロインを好きだった読者にとって、突然の別れはつらいだろう。
しかも、主人公は新しいヒロインと出会ってしまった。
納得できない人がいても、不思議ではない。
それでも。
「……一言くらい、感想を聞きたかったな」
ぽつりと呟いた。
面白くなかった。
この展開は嫌いだ。
そんな言葉でも、よかった。
何も言わずにいなくなってしまうことが、少しだけ寂しかった。
俺は、過去のコメントを開いた。
『今回も素晴らしいお話でしたわ』
『桜先生の物語を、いつも楽しみにしています』
『これからも、応援していますね』
懐かしい言葉が並んでいる。
「……ありがとう、アイドルAさん」
俺は、画面に向かって小さく頭を下げた。
あの人がいなければ、俺は途中で執筆を諦めていたかもしれない。
誰にも読まれない小説を書き続けるのは、想像以上につらいことだからだ。
それでも、あの人だけは読んでくれた。
毎回、感想を送ってくれた。
俺の夢を、応援してくれた。
「……いつか、また読んでくれるといいな」
そう願いながら、俺は画面を閉じた。
◇ ◇ ◇
「……さて!」
俺は、気持ちを切り替えた。
落ち込んでばかりはいられない。
今は、新しいヒロインの物語を書かなければならないのだ。
彼女は、明るく元気な女の子。
誰とでもすぐに仲良くなれる、いわゆる陽キャである。
前のヒロインが落ち着いた優等生タイプだったのに対して、新しいヒロインは感情表現が豊かだ。
笑うときは、思いきり笑う。
怒るときは、はっきり怒る。
そして、主人公が落ち込んでいるときは、遠慮なく背中を押してくれる。
「……いいキャラになったよなあ」
俺は、満足そうに頷いた。
ただ、彼女にも悩みがある。
明るく振る舞っているからといって、何も考えていないわけではない。
周囲の期待に応えようとして、無理をすることだってある。
だからこそ、主人公と出会うことで、彼女自身も成長していく。
そんな物語にしたかった。
「……よし。次の話も頑張るか!」
俺は、キーボードに指を置いた。
そのときだった。
ピロン。
「……ん?」
パソコンから、通知音が鳴った。
メールが一通届いている。
「……なんだろう?」
俺は、何気なくメールソフトを開いた。
差出人を確認する。
小説投稿サイトの運営事務局。
「……運営から?」
一瞬、嫌な予感がした。
もしかして、何か規約違反でもしてしまったのだろうか。
いや、待て。
俺、変なこと書いてないよな?
不安になりながら、件名を確認する。
『【重要】作品の書籍化に関するお問い合わせ』
「…………」
俺は、固まった。
……え?
書籍化?
「……しょ、書籍化?」
もう一度、件名を読む。
間違いない。
そこには、確かに書籍化と書かれていた。
「……いやいやいや!」
俺は、慌ててメールを開いた。
本文には、出版社から俺の作品について問い合わせがあったことが、丁寧な文章で記されていた。
どうやら、ある大手出版社の編集者が『俺の人生はラブコメ展開らしい』を読み、書籍化に向けて話をしたいと考えているらしい。
「…………」
俺は、画面を見つめた。
一度、目を閉じる。
もう一度、開く。
……消えていない。
「……ま、マジかよ」
心臓が、どくんと跳ねた。
出版社。
編集者。
書籍化。
今まで、遠い世界の話だと思っていた言葉が、目の前に並んでいる。
「……俺の小説が?」
信じられなかった。
少し前まで、PVゼロだった小説だ。
誰にも読まれず、何度も落ち込んだ。
それでも、書き続けてきた。
そんな俺の作品を。
出版社の人が、読んでくれた?
「……うそ、だろ」
俺は、メールを最初から読み直した。
そこには、今後の打ち合わせや企画検討について書かれていた。
もちろん、まだ正式に書籍化が決まったわけではない。
これから話し合いを重ね、企画が進むかどうか決まるのだろう。
それでも。
俺にとっては、十分すぎる出来事だった。
「……やった」
小さな声が漏れた。
「……やったぞ」
拳を握りしめる。
そして。
「……やったああああああああ!」
俺は、思いきり叫んだ。
「俺の小説に、書籍化の打診が来たああああ!」
嬉しかった。
どうしようもなく、嬉しかった。
ずっと夢見ていた。
自分の書いた物語が、一冊の本になることを。
誰かが書店で、その本を手に取ってくれることを。
そして、読んだ人が少しでも笑顔になってくれることを。
「……ついに、ここまで来たんだな」
俺は、ゆっくりと椅子に座り直した。
画面には、書籍化の打診メール。
その隣には、俺の小説の管理画面。
累計一万PV。
少しずつ上がっていくランキング。
そして、増え続ける読者からの感想。
すべてが、夢のようだった。
「……九条先輩にも、報告しないとな」
俺は、思わず微笑んだ。
先輩は、ずっと俺の夢を応援してくれた。
文芸部を作ってくれた。
執筆できる環境を整えてくれた。
スランプに陥ったときも、励ましてくれた。
だからこそ、この知らせを一番に伝えたかった。
……でも。
「……アイドルAさんにも、伝えたかったな」
ふと、そんな言葉が漏れた。
最初から読んでくれていた、たった一人の読者。
あの人が、この知らせを聞いたら、どんな反応をするだろう。
きっと、喜んでくれる。
……そう、信じたかった。
俺は、もう一度メールを見つめた。
「……よし!」
そして、深く息を吸い込んだ。
まだ、夢が叶ったわけじゃない。
ここからが、本当の勝負だ。
編集者との打ち合わせもある。
原稿の修正も必要になるかもしれない。
それでも。
「……絶対に、書籍化してやる!」
俺は、力強く宣言した。
いつか、自分の物語で誰かを幸せにする。
その夢が、ようやく現実に近づいたのだから。
……ただ。
そのときの俺は、まだ知らなかった。
俺が夢に近づくほど、遠ざかっていく人がいることを。
そして。
誰よりも俺の成功を願っていたはずの読者が、今は俺の物語を読むことさえためらっていることを。
俺は、何も知らなかった。
ただ、夢が叶うかもしれないという喜びに、胸を躍らせていたのだった。




