俺が書いた文化祭デートが、現実になっている件について
文化祭当日。
校門をくぐった瞬間、俺、桜庭悠馬は思わず足を止めた。
「……おおっ!」
いつもの学校が、まるで別世界になっていた。
校門には色鮮やかなアーチ。中庭には模擬店のテントが立ち並び、廊下には手作りの看板や飾り付けが所狭しと並んでいる。
どこからか焼きそばの香ばしい匂いが漂い、楽しそうな笑い声が響いていた。
これぞ文化祭!
青春の一大イベントである!
「……くううっ! テンション上がってきたぜ!」
しかし、そんな俺にも一つだけ問題があった。
それは――。
「桜庭くん、受付よろしくね」
「……うっす」
俺の担当が、クラスの喫茶店の受付だったことである。
しかも午前中、ずっと。
うちのクラスは、文化祭で喫茶店を開くことになった。
女子たちは接客担当として可愛らしいエプロンを身につけ、男子たちは調理や配膳を担当している。
では、俺は?
受付。
ひたすら受付。
来客に挨拶し、人数を確認し、空いている席へ案内するだけの仕事である。
「……なぜだ」
俺は、椅子に座りながら天井を見上げた。
文化祭といえば、クラスメイトと協力して準備したり、可愛い女子と一緒に接客したりするものではないのか?
それなのに、俺は入口で「いらっしゃいませ」を繰り返すだけ。
……いや、待て。
これはきっと、陰キャである俺への配慮なのだろう。
人前に出るのが苦手な俺でも、受付なら何とかなる。
そう考えてくれたに違いない。
……うん。
そう思うことにしよう。
「いらっしゃいませー!」
俺は、精いっぱいの笑顔でお客さんを迎えた。
しかし、心はすでに午後へ飛んでいた。
なぜなら。
今日は、九条栞先輩と文化祭を回る約束をしているのだ!
「……ふふふ」
思わず笑みが漏れる。
九条先輩。
成績優秀、容姿端麗、品行方正。
学校中の生徒から憧れられている、完璧な生徒会長。
そんな人が、この俺と文化祭デートをしてくれるのである。
……これは夢か?
いや、現実だ!
しかも、以前の休日デートに続いて二回目!
人生、何が起こるかわからないものだ。
「……待ってろよ、俺の青春!」
午前中は受付でも構わない。
午後になれば、俺の文化祭が始まるのだ!
◇ ◇ ◇
「桜庭くん、そろそろ交代の時間だよ」
「……っ!」
時計を見ると、正午を少し過ぎていた。
振り返ると、眼鏡をかけた女子生徒が立っている。
次の受付担当だ。
「お、お疲れさまです!」
「ふふっ。そんなに嬉しそうにしなくても」
「い、いや! 別に嬉しいわけじゃ!」
「はいはい。午後、楽しんできてね」
「……うっす!」
俺は勢いよく立ち上がった。
そして、足早に教室を出る。
目的地は、生徒会室。
そこが、九条先輩との待ち合わせ場所だった。
「……よし!」
廊下を歩く。
周囲は、朝以上に賑やかだった。
『恐怖のお化け屋敷!』
『脱出できるか!? 迷宮教室!』
『全問正解で景品ゲット! 謎解きチャレンジ!』
教室ごとに、さまざまな企画が催されている。
お化け屋敷の前では、女子生徒たちが悲鳴を上げていた。
迷路の入口では、男子生徒たちが真剣な顔で相談している。
どこを見ても、青春。
青春。
青春!
「……いいなあ」
俺は、思わず呟いた。
こんな光景を見ると、小説を書きたくなる。
文化祭は、ラブコメの宝庫だ。
普段とは違う服装。
賑やかな雰囲気。
そして、二人きりになる絶好の機会。
……くううっ!
やっぱり、文化祭は最高だぜ!
そんなことを考えているうちに、生徒会室へ到着した。
扉の前で、一度だけ深呼吸する。
「……よし」
ノックをすると、中から聞き慣れた声が返ってきた。
「どうぞ」
「失礼します!」
扉を開ける。
すると――。
「あら、桜庭くん」
九条先輩が、窓際に立っていた。
長い黒髪。
整った顔立ち。
そして、いつもの穏やかな微笑み。
見慣れた制服姿のはずなのに、今日はいつも以上に綺麗に見えた。
「……っ!」
俺は、一瞬だけ言葉を失った。
「ふふっ。どうしました?」
「い、いえ! 何でもありません!」
「そうですか?」
先輩は、不思議そうに首を傾げた。
……危ない。
危うく見惚れるところだった。
「お、お待たせしました!」
「いいえ。私も、今ちょうど仕事が終わったところです」
先輩は、机の上の書類を整えた。
「では、参りましょうか」
「はい!」
俺は、元気よく返事をした。
その瞬間。
「……あの、桜庭くん」
「はい?」
「手を、つないでもよろしいですか?」
「……へ?」
俺は、間抜けな声を上げた。
手?
手をつなぐ?
九条先輩と?
「……嫌でしたか?」
「い、いえ! そんなことありません!」
「ふふっ。それなら、よかったです」
先輩は、そっと俺の手を取った。
「……っ!」
柔らかい。
温かい。
そして、小さい。
九条先輩の手が、俺の手の中にある。
……何だ、これ。
現実か?
現実なのか!?
「……桜庭くん?」
「は、はい!」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「そ、そうですね!」
無理です!
緊張するに決まっているでしょう!
学校一の美少女と手をつないで、文化祭を歩いているんですよ!?
そんな俺の心の叫びなど知らず、先輩は楽しそうに微笑んだ。
「……ふふっ。では、行きましょう」
◇ ◇ ◇
「まずは、こちらです」
九条先輩に案内されたのは、中庭の模擬店だった。
色とりどりのテントが並び、食べ物の香りが漂っている。
その中で、先輩が足を止めた。
『チョコバナナ 一個二百円』
「……おお!」
俺は、思わず声を上げた。
「チョコバナナですか!」
「ええ。お好きですか?」
「はい! 文化祭といえば、やっぱりこういう食べ物ですよね!」
「ふふっ。そうですね」
先輩は、チョコバナナを一本購入した。
そして。
「……はい、桜庭くん」
「……え?」
俺の目の前に、チョコバナナが差し出された。
「一口、いかがですか?」
「……えっ!?」
「ふふっ。遠慮なさらずに」
先輩は、にっこりと微笑んだ。
……待て。
待ってくれ。
これは、もしかして。
「……あ、あの」
「はい?」
「……い、いいんですか?」
「もちろんです」
先輩は、少しだけ首を傾げた。
「……あーん」
「……っ!」
俺の心臓が、激しく跳ねた。
あーん。
あーん、だと!?
こんなイベント、本当に存在するのか!?
……いや、待てよ。
俺は、ふと気づいた。
これ、どこかで見たことがある。
そうだ。
俺が書いた小説だ。
文化祭デートの場面。
主人公とヒロインが、同じチョコバナナを食べる。
あの、間接キスイベント!
「……っ!」
俺は、思わず息を呑んだ。
「……桜庭くん?」
「な、何でもありません!」
……偶然だ。
きっと偶然だ。
文化祭でチョコバナナを食べるなんて、王道中の王道。
誰だって思いつく展開だろう。
俺は、そう自分に言い聞かせた。
そして、恐る恐る一口。
「……んっ!」
甘いチョコレートの風味が、口いっぱいに広がった。
冷たいバナナとの相性も抜群だ。
「……美味しい!」
「ふふっ。よかったです」
先輩は、嬉しそうに微笑んだ。
そして、俺が食べたチョコバナナを見つめる。
「……では、私も」
そう言って、先輩は同じチョコバナナを一口食べた。
「…………」
俺は、固まった。
……え?
今。
同じところを。
食べた?
「……甘くて、美味しいですね」
先輩は、何事もなかったように微笑んだ。
……くうううっ!
心臓が持たない!
これ以上は、本当に危険だ!
◇ ◇ ◇
「次は、たこ焼きにしましょうか」
「……は、はい!」
俺は、慌てて頷いた。
次に向かったのは、たこ焼きの模擬店だった。
鉄板の上で、丸いたこ焼きが次々と焼かれている。
香ばしいソースの匂いが、食欲を刺激した。
「……いい匂いですね!」
「ええ。とても美味しそうです」
先輩は、たこ焼きを一舟購入した。
俺たちは、近くのベンチに腰を下ろす。
「……いただきます!」
俺は、爪楊枝でたこ焼きを一つ持ち上げた。
そして、勢いよく口に運ぶ。
「……あっつ!」
「……まあ!」
熱い!
めちゃくちゃ熱い!
俺は、慌てて口を開けた。
「はふっ、はふっ!」
「……ふふっ。桜庭くん、慌てすぎですよ」
先輩は、楽しそうに笑った。
「ちゃんと冷ましてから食べないと」
「……そ、そうですね」
俺は、涙目になりながら頷いた。
すると、先輩は自分のたこ焼きを一つ持ち上げた。
「……ふー、ふー」
小さく息を吹きかける。
そして、慎重に口へ運んだ。
「……んっ。美味しいです」
その仕草が、妙に可愛らしかった。
……いや、待て。
九条先輩って、こんな表情もするんだな。
学校では、いつも完璧な生徒会長。
けれど、今は普通の女の子みたいに、たこ焼きを楽しんでいる。
俺は、その姿を見て、自然と笑みを浮かべた。
「……ふふっ」
「……桜庭くん?」
「い、いえ! 何でもありません!」
「……そうですか?」
先輩は、少し不思議そうに首を傾げた。
そして、優しく微笑む。
「……でも、楽しそうでよかったです」
「……はい!」
俺は、力強く頷いた。
楽しい。
本当に、楽しい。
九条先輩と一緒にいるだけで、何でもない時間が特別なものに変わっていく。
……ああ。
これが、青春なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「……ところで、桜庭くん」
「はい?」
たこ焼きを食べ終えたころ、先輩が口を開いた。
「最近、小説の調子はいかがですか?」
「……うっ!」
俺は、思わず肩を震わせた。
痛いところを突かれた。
「……実は、ちょっと行き詰まっていまして」
「……そうなんですか?」
「はい。文化祭の話までは書けたんですけど、その先が全然思いつかないんです」
俺は、苦笑いを浮かべた。
「……情けないですよね。あんなに勢いよく書いていたのに」
「……そんなことありませんよ」
先輩は、静かに首を振った。
「物語を書くことは、簡単ではありませんもの」
「……九条先輩」
「だから、焦らなくてもいいと思います」
先輩は、優しく微笑んだ。
「……きっと、今日の文化祭で、新しいアイデアが見つかりますよ」
「……そうでしょうか?」
「ええ。きっと」
その声には、不思議なほどの確信があった。
「……私も、お手伝いしますから」
「……ありがとうございます!」
俺は、思わず頭を下げた。
やっぱり、九条先輩は優しい。
俺が悩んでいるとき、いつも励ましてくれる。
……よし。
今日は、思いきり楽しもう。
そうすれば、きっと何かが見えてくるはずだ。
「……では、次はどこに行きましょうか?」
俺が尋ねると、先輩は嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ。次は、焼きそばのお店に行きましょう」
「……おお! いいですね!」
俺は、元気よく返事をした。
そして、先輩と並んで歩き始める。
……そのとき。
俺は、まだ気づいていなかった。
チョコバナナ。
たこ焼き。
そして、次の焼きそば。
俺たちが回っている模擬店の順番が、俺の小説に書いた通りであることに。
そして。
九条栞先輩が、俺の物語のヒロインになろうとしていることに。
そのために、文化祭そのものを、少しずつ変えていたことに。
俺は、何も知らなかった。
ただ、彼女と過ごす時間が楽しくて。
この幸せな一日が、いつまでも続けばいいと思っていたのだった。




