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コミカライズ決定【3位】ヴェリタスの最終定理6 悪魔の慈愛  作者: 王璃月
●第23章:悪魔の慈愛

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20/23

証明5:偽善者には死を!

悪魔ルキア・ブラックが、この国、ひいては世界に仕掛けた「最後の方程式」が、いよいよその解を導き出そうとしていた。


ルキアは、悪魔であった。


それも、誰よりも深く、鋭く、それでいてあまりにも無垢に人類を愛してしまった「悪の悪魔」である。


彼女は知っていた。


愛という言葉がどれほど甘美に響き、そして同時に、どれほど多くの弱者を音もなく粉砕する狂気になり得るかを。彼女は、愛を語る者たちの欺瞞に、心の底から、それこそ反吐が出るほど……うんざりしていたのだ。


だからこそ、彼女は最後の舞台装置として、最高に「善い」言葉を世界に投げかけることに決めた。


警察代表としての絶大な権力と、魔導通信のすべてをジャックして行われた、全世界への演説。

モニターの中に映るルキアは、十二歳の可憐な少女そのものであった。その瞳には慈愛が宿り、微笑みは聖母のように温かい。彼女は、芝居がかった流麗な言い回しで、世界中の人々にこう語りかけた。


「親愛なる隣人たちよ。私は、確信を持って言おう。誰もが、必ず、誰かに愛されている。孤独などという事象は、計算式のミスに過ぎない。もし君が辛いなら、苦しいなら、ただ声を上げればいい。そうすれば、誰かが必ず君の手を取り、救いへと導いてくれるだろう。この世界は、愛に満ちているのだから」


その言葉は、光の速さで世界を駆け巡った。

多くの人々は感動に震え、涙を流した。

特に、守られ、愛されることが当然の権利として確立されている者たちにとって、ルキアの言葉は自らの幸福を全肯定してくれる聖書となった。

だが、その光が強ければ強いほど、その影に潜む「解のない絶望」たちは、あまりにも残酷な現実を突きつけられることになった。


戦場の泥濘の中で、腹を撃ち抜かれ、誰に看取られることもなく四肢を腐らせながら死を待つ一人の男。


誰からも愛された記憶を持たず、明日への希望も潰え、ただ静かに首を吊るための縄を見つめている一人の少年。


そして、家庭という名の檻の中で、親という名の怪物から日常的な虐待を受け、助けを求める声すら喉の奥で凍りついている一人の少女。


彼らにとって、ルキアの言葉は救いではなかった。それは、「お前たちが今救われていないのは、お前たちが愛されていないからであり、お前たちが悪いのだ」という、死刑宣告にも等しい断絶であった。


ルキアは、それを確信犯的に行ったのだ。


かつてこの世界には、エラーラ・ヴェリタスやアスナ・クライフォルトといった、知恵と力を説く英雄がいた。

だが、彼女たちの教えには、決定的なピースが欠けていた。それは、弱者が弱者のまま生きていくための「慈悲」と、救われない者たちの沈黙に寄り添う「想像力」である。


ルキアの訴えに、世の女性たちは喝采を送り、あるいは「当然のこと」として聞き流した。彼女たちの多くは、生存戦略として愛される術を知り、あるいは自らの身体や献身を代償にして救いを得る回路を持っている。


だが、愛されることを許されない男たちや、逃げ場のない子供たちにとって、ルキアの説いた「善意に満ちた世界」は、ただの幻想であり、毒であった。


泣けば、許される人々。

泣いても、許されない人々。


ルキアは、世界中にこの致命的な「綻び」を認識させたかったのだ。


自らが絶対的な善人を演じ、輝かしい理想を語ることで、その理想からこぼれ落ちる者たちの悲鳴を、世界中に響かせようとした。


そして。


その「嘘」の方程式の最後の一行を書き込むのは、自分自身ではなく、世界に拒絶された一人の「現実」でなければならないことも、彼女は計算済みであった。


先日、ルキアが出会い、ドーナツを盗んだことを許し、希望への道を歩むきっかけとなった一人の少年。


彼は、ルキアの教えの通りに「学」と「武」を身につけようとした。だが、社会という名の「一般人」たちは、彼のような孤児に見向きもしなかった。病に倒れた弟に薬を買うこともできず、親も飢え死にし、彼はたった一人、ルキアが説いた「愛に満ちた世界」の影で、冷たい孤独の地獄を生き抜いてきた。


ウエストワールドの夕暮れ。

警察本部の裏門から出てきたルキアの前に、その少年が立っていた。

かつての無垢な瞳は消え、そこにあるのは、絶望を通り越した虚無の光だけだった。


「ルキア様。……あんたの言った通りにしたよ。一生懸命学んで、強くなろうとした。でも、僕は、僕を、みんなを、助けられなかった。誰も、助けてくれなかった。弟も、父さんも母さんも、みんな死んだ。……あんたの言った愛なんて、どこにもなかった!」


ルキアは、少年の瞳を見つめ、どこまでも愛らしく、そして底知れぬ悪魔の笑みを浮かべた。


「おやおや。私の完璧な計算にエラーが出たかな?……いや。誰からも愛を返されなかった、とでも言いたげだねえ。それは君が『助けても得にならない』からだよ……ふふ!」


その悪魔的な挑発が、少年の最後の一線を越えさせた。

少年が隠し持っていた錆びたナイフが、ルキアの細い胸元へと突き立てられた。

回避しようと思えば、数千万通りの方法があっただろう。だが、ルキアは微動だにしなかった。彼女は、自分の中に冷たい鉄の感覚が広がるのを、まるで未知の真理を観測するかのような純粋な好奇心を持って受け入れた。


「……そうだ。これが、正解だ。これでいいんだよ、少年」


ルキアは、崩れ落ちる体を少年の肩に預けた。彼女の口から溢れる鮮血は、夕陽よりも赤く、その最期を彩った。


ルキア・ブラック。享年、十二歳。


悪魔の娘として生まれ、神の如き知性で世界を操り、そして一人の絶望した子供のナイフによって、あっけなくその生涯を閉じた。

だが、この「あっけない死」こそが、世界に激震を走らせた。

聖女のように愛を説いた少女が、その愛に救われなかった者の手で殺されたという事実は、世界中の「無関心な善人」たちの心に、消えない傷跡を残した。

自分たちが享受していた「愛」が、どれほど他人の犠牲の上に成り立っていたか。ルキアが語った理想が、どれほど残酷な選別であったか。


人々は、自分たちの偽善に気づき始めた!


そして、ルキアが命を懸けて暴いた「救われない者たちの存在」に、ようやく目を向け始めたのだ!


悪魔による、悪魔的なまでの、善意。


それは、人類全体に「本当の心」を取り戻させるための、あまりにも歪で、あまりにも純粋な愛の形であった。


ゼランティアの国立歴史編纂所。

窓から差し込む夕陽が、山積みになった古い文献を黄金色に染めている。


その一角で、ニーア・ヴェリタスは、ルキアの訃報を記した一通の電信を握りしめたまま、震えていた。


「……また。またなの? なんで私の周りの人たちは、みんな勝手にいなくなっちゃうのよ……っ」


ニーアの大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出し、机の上の資料を濡らした。


かつて、共に笑い、競い合い、心を許したアスナ・クライフォルト。彼女は、世界に平和をもたらそうとした大戦の最中、空間破壊爆弾の直撃を受け、何の前触れもなく即死した。その喪失感を、ニーアは歴史という名の記録で埋めようとしてきた。


そして、今。


ようやく見つけた「最高の友人」であり、あの日、自分の尻尾を抱きしめて笑っていた悪魔の少女までもが、いなくなってしまった。


「ルキア……あんた、自分だけが賢いと思ってるんでしょ。一番の歴史学者の私が、あんたの企みなんて全部お見通しなんだから!『愛』なんて、そんな大袈裟なもの背負っちゃって……お人好しにも程があるわよ、このバカ悪魔っ!」


ニーアは、声を上げて泣いた。

自尊心が高く、常に自分が一番であることに拘ってきた彼女が、その誇りさえもかなぐり捨てて、子供のように泣きじゃくった。

ルキアが仕掛けた「悪魔の善意」。それがどれほど多くの人々を傷つけ、そして最終的にどれほど多くの人々を救おうとしたのか。歴史学者であるニーアには、それが痛いほどわかっていた。

ルキアは、悪魔として蔑まれ、あるいは聖女として崇められることを受け入れながら、その両方の仮面を自ら粉砕して死んでいった。ただ、人類という不完全な種族が、少しでも「真っ当な混沌」の中で、互いの隣に座る絶望に気づけるように。


「ひぐっ……あんたの書いた結末なんて、私が全部書き換えてやるわ。あんたがいかに自分勝手で、いかにいたずらっ子で、いかに……いかに、可愛らしい女の子だったか。歴史書に、一番大きな文字で書いてやるんだから……!」


ニーアの震える手は、再びペンを握った。

ルキア・ブラックという、一人の少女が駆け抜けた激動の記録。

それは、英雄の叙事詩でも、聖人の福音書でもない。

一人の悪魔が、冷徹な頭脳と、誰よりも熱い人類愛を持って綴った、未完成の「愛の証明書」であった。

ウエストワールドの広場には、今、ルキアを刺したあの少年の姿があった。

彼は処刑されることも、追われることもなかった。ルキアの遺言に従い、彼は一人の「観測者」として、社会の中で生きる権利を与えられたのだ。

彼は、ルキアの墓前に一輪の花を供えた。それは、かつて彼女と一緒に見た、名もなき野花であった。


「……ルキア様。あんたの言ったこと、今なら少しだけ、わかる気がするよ……」


世界から、無関心という名の霧が少しずつ晴れていく。

人々は、隣にいる誰かが流す、音のない涙に気づき始めた。

助けを求める声が上がれば、かつてのように無視されるのではなく、不器用ながらも誰かが手を差し伸べるようになった。

それは、決して完璧な世界ではない。傷つけ合い、間違え、絶望することも相変わらず多い。だが、そこには確かに「他者の痛みに対する想像力」という、ルキアが命と引き換えに種を蒔いた光が宿っていた。

ゼランティアの夜空を見上げ、ニーアは涙を拭った。

星々は、冷たい光を放ちながらも、暗闇を確かに照らし出している。


「ルキア。あんたの描きたかった世界は、きっとこれから始まるのね……」


悪魔の少女が残した、最後の方程式。

その解は、ルキア・ブラックという名前が歴史の彼方に消え去ったとしても、生き続ける人々が互いに交わす、温かい眼差しの中に刻まれていく。

学問の都に吹く夜風は、どこまでも優しく、泣き疲れた歴史学者の頬を撫でていた。

これにて、ルキア・ブラックの物語は、永遠の沈黙の中へと収束していく。


だが。


その沈黙は決して虚無ではなかった。

次なる、究極の破滅の扉を開くための、力強く、そして……「愛」に満ちた静寂であった。

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