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コミカライズ決定【3位】ヴェリタスの最終定理6 悪魔の慈愛  作者: 王璃月
●第23章:悪魔の慈愛

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証明2:新しい正義!

ウエストワールド警察の本部ビル。

その最上階にある代表室の大きな窓から、ルキア・ブラックは眼下の街並みを見下ろしていた。漆黒の警察代表の制服が、彼女の華奢な身体によく似合っている。悪魔族としての証である黒い角と、背中の漆黒の翼は、今やこの街の市民にとって、恐怖の象徴ではなく「確かな庇護」の象徴へと変わりつつあった。


ルキアが警察代表に返り咲いてからというもの、ウエストワールドの社会構造は劇的かつ、健全な変化を遂げていた。

かつてのウエストワールドは、倫理と規則に基づいて善意で悪を行う、どうしようもない世界だった。

「社会正義」という大義名分の前に、個人の感情や事情は完全に無視され、システムに適合できない者は静かに排除されていく。

だが、その狂った倫理が消え失せた今、街は本来あるべき姿を取り戻している。


上層部は厳格に規則を守り、腐敗を許さない。


現場の警官たちは規則を遵守しつつも、目の前で泣いている市民の「感情」を最も重んじるようになった。


街の暗部には、依然として極道が巣食っている。


だが、警察は彼らを徹底的に取り締まり、極道もまた警察を明確な敵として毛嫌いし、互いにシマを巡って激しい火花を散らしている。


倫理局が台頭していた暗黒の時代、警察は、目の前で極道が市民を拉致しても、複雑な倫理的解釈や手続きの壁に阻まれ、即座に助けることができないという無力感に苛まれていた。


しかし、今は違う。


現在の警察は、なんと、小難しい倫理など完全に無視をする。市民が危機に瀕していれば、ただちに現場へ急行し、警棒と魔導銃で悪党を物理的に制圧し、市民を救出する。


極めてシンプルで、極めて暴力的な、新しい正義。


だが。


これこそが、善良な市民からすれば涙が出るほどありがたいことであった。悪党の側に「警察」という明確で恐ろしい敵が現れたことで、彼らの矛先は一般市民ではなく警察へと向けられるようになった。結果として、街角での無差別な暴力は激減し、治安は飛躍的に向上していったのである。


善良で、活気に満ちた、質の高い混沌。


各々が自らの「良心」と「欲望」に従って生き、ぶつかり合う。争いは絶えないが、これこそが真の平和であり、真っ当な社会であった。


その日、ルキアは非番の時間を使い、一人で街を歩いていた。


目的は、七番街の角にある有名なドーナツ店「ミスター・マジック」で、お気に入りのシュガーグレーズド・ドーナツを買って帰ることだ。天才的な頭脳を持ち、警察組織の頂点に立つ彼女も、甘いものには目がなかった。

紙袋から漂う甘い香りに少しだけ口元を緩ませながら歩いていた、その時のことだ。

路地裏の影から、小柄な人影が弾かれたように飛び出してきた。

すれ違いざま、ルキアの手から紙袋がひったくられる。


「あっ」


ルキアが声を上げる間もなく、ボロボロの服を着た少年が、ドーナツの入った紙袋を抱え込み、必死の形相で駆け出していくのが見えた。

盗みである。立派な犯罪だ。警察代表であるルキアがその気になれば、一瞬で取り押さえることができる。だが、ルキアは少年の痩せ細った背中を見て、小さく息を吐いた。


まあ、そういうこともある。


今のウエストワールドは過渡期だ。貧しい孤児の一人や二人、珍しくはない。たかがドーナツ一つで目くじらを立てるほど、ルキアは狭量ではなかった。諦めて新しいものを買い直そうと踵を返しかけた、その瞬間。


「捕まえたぞ、この汚らしい泥棒め!殺してやるよ!」


「正義の裁きを受けろ!倫理に反するクズが!」


路地の奥から、怒声が響き渡った。

ルキアが視線を戻すと、逃げたはずの少年が、三人の老人たちに取り囲まれ、石畳に叩きつけられていた。

老人たちは、仕立ての良い服を着ていたが、その顔には醜悪な歓喜の色が浮かんでいた。彼らは、かつての倫理局の教えをいまだに狂信している、厄介な層の市民たちだった。「悪を罰する」という大義名分さえあれば、自分よりも弱い者に対してどれだけ暴力を振るっても許されると勘違いしている、倫理という名の病に冒された者たち。


「パン屋の主人のため!そして被害に遭ったそこの女のため!我々がこの罪深き少年に、倫理的な矯正を施してやる!」


老人の一人が、太い杖を振り上げ、うずくまる少年の頭を目掛けて振り下ろそうとした。彼らの目は、正義感などではなく、単なる加虐嗜好で濁りきっている。少年の震える背中を見た瞬間、ルキアの冷たい瞳に、明確な怒りの炎が灯った。

ルキアのヒールが石畳を強く叩いた。

次の瞬間、杖を振り下ろそうとした老人の身体が、目に見えない巨大なハンマーで殴られたかのように、数十メートル後方へと吹き飛ばされた。


「がはっ!」


ゴミ山に突っ込み、白目を剥いて気絶する老人。残りの二人が驚愕に目を見開く中、ルキアはゆっくりと少年の前に歩み寄り、彼を背後にかばうように立った。


「な、なにをする!我々は正しいことを……!」


「黙りなさい」


ルキアの声は、絶対零度の冷気を帯びていた。


「そのドーナツは、私が彼に『あげた』ものよ。私が譲渡したの。すなわち、所有権はすでに彼にある。それなのに、無関係なあなたたちが勝手な暴力を加えようとするなんて、警察への挑戦と受け取っていいのかしら?」


「あ、あげた……? ば、馬鹿な! 先ほどひったくられるのを見たぞ! 嘘をついてまで犯罪者を庇うなど、倫理に反する!」


「倫理、倫理といちいちうるさいわね。あなたたちがやりたいのは、正義じゃあなくて、ただの加害でしょ。その腐った根性が、一番の罪なのよ」


ルキアの背中から、漆黒の魔力がオーラとなって立ち昇った。


「ひっ……!」


悪魔の威圧に当てられ、老人たちは腰を抜かし、這うようにして逃げ去っていった。

ルキアは振り返り、震える少年に手を差し伸べた。


「怪我はない?」


少年は怯えながらも首を振り、泥だらけになった紙袋をルキアに差し出した。


「ご、ごめんなさい……でも、お腹が空いてて……」


「いいのよ。それはあなたのものだから、食べなさい」


ルキアは少年の頭を軽く撫でた。そして、逃げ去った老人たちの背中を見つめながら、静かに、しかし確固たる決意を固めていた。

ウエストワールドの病巣は、まだ完全には取り除かれていない。組織としての倫理局は解体寸前だが、人々の心にこびりついた「倫理という名の暴力」は、こうして亡霊のように街を徘徊している。

この街を本当に治すには、倫理局という概念そのものを、人々の記憶から完全に破壊し尽くさなければならないのだ、と。


一方その頃。


キャピタルシティの外れにある、解体を待つばかりとなった旧倫理局庁舎。その薄暗く埃っぽい一室で、マキナ・ボーンは爪を噛みながら部屋を歩き回っていた。

彼女は今、解体処理班の幹部という名ばかりの役職を与えられていた。そして、彼女と再婚したアレック・ボーンは、その下働きである一般職員として雇用されていた。

今のマキナには、何の目的も、手段も、原動力も存在しない。

かつて彼女を突き動かしていたヴォイドへの執着も、ルキアへの憎悪も、すべては幻影のように消え去った。今の彼女にあるのは、ただ「自分が不遇である」という被害妄想と、「誰かのせいにしなければ自我が崩壊してしまう」という病的なまでの他責思考だけであった。

問題を他責するために、他責をするための問題を起こす。それが今のマキナの、空っぽな魂を維持するための唯一の手段だった。


「忌々しい!なぜ私がこんな埃っぽい部屋で、終わった組織の残務処理なんてさせられなきゃならないの!全部、全部、全部全部全部全部!全部警察のせいよ! あのルキアが、生意気な小娘が、警察を乗っ取ってこの国を狂わせたからよ!」


マキナは金切り声を上げ、手近にあった書類の束を壁に投げつけた。

部屋の隅では、アレックが虚ろな目で宙を見つめていた。彼はマキナの言葉を、まるで神の啓示であるかのように無批判に受け入れている。


「そうだね、マキナ。──君は悪くない。悪いのは、倫理を忘れて、暴力で街を支配している警察だ。この美しいウエストワールドを、俺たちの手で、取り戻さなければ────!」


アレックの瞳には、狂気的な英雄願望が宿っていた。

彼は、自分が正義の使者であり、愛する妻マキナの悲しみを救うただ一人の騎士であると完全に思い込んでいた。倫理で人々を縛る、あの小綺麗で無機質な世界こそが彼の理想郷だった。

マキナは、アレックの肩にすがりつき、猫撫で声で囁いた。


「アレック。あなたがこの街の目を覚まさせて。あの野蛮な警察どもに、本当の倫理を教えてやってちょうだい」


「ああ、任せておけ、マキナ。俺が必ず──この街を正してみせるッ!」


数時間後。


ウエストワールド警察本部の正面ロビーに、異様な空気を纏った男が現れた。

アレック・ボーンであった。

彼はかつての探偵用のトレンチコートを羽織っていたが、その下には、何重にも束ねられた大量の爆弾が巻き付けられていた。右手に起爆スイッチを握りしめ、彼は狂気に満ちた目でロビーの警官たちを睨みつけた。


「動くな!俺は倫理局二等監査官アレック・ボーンだ!俺の子供はルキア・ブラック!ウエストワールド警察代表が俺の娘だ!今日は貴様ら野蛮な警察の暴力支配に抗議し、この街の倫理を取り戻すためにやってきた!」


アレックの叫び声がロビーに響き渡る。来庁していた市民たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。


「要求を言おう!直ちに警察組織を解体し、権限を倫理局に返還しろ!俺は、新しい正義を作るんだ!……さもなくば、この爆弾で貴様らごとこの建物を吹き飛ばす! 」


アレックは、高揚感に包まれていた。

俺は今、巨悪に立ち向かう孤高のヒーローだ。マキナのために、そして愚かな市民たちのために、自らの命を懸けて正義を為すのだ。かつての倫理局時代であれば、このような事態になれば、警官たちは「犯人の人権」や「爆発時の倫理的責任の所在」についてのマニュアルをひっくり返し、何時間も無駄な説得と議論を繰り返したはずだ。その間に、俺は自らの思想を大衆に向けて堂々と演説し、悲劇の英雄になれる。


だが。


アレックは致命的な勘違いをしていた。

ここはもう、彼の知る「倫理という名のカルト宗教」が支配する世界ではない。

現在の警察を構成しているのは、規則で動き、市民の安全を最優先とし、そして何より「悪に対する明確な怒り」という感情の籠った、生きた人間たちである。

彼らにとって、爆弾を巻き付けて市民の命を脅かす男の主張など、聞く耳を持つ価値もないただのノイズであった。

アレックが演説の続きを叫ぼうと息を吸い込んだ、まさにその瞬間。


「無力化を最優先とする」


冷徹な声と共に、ロビーの二階回廊から、対テロ制圧部隊の魔導ワイヤーガンが火を噴いた。

鈍い発射音。


「え……?」


アレックの左太ももを、大蛇のような太さの鋼鉄のワイヤーが、肉と骨を砕きながら完全に串刺しにした。


「あああああっ!?」


激痛にアレックの絶叫が轟く。彼はバランスを崩し、起爆スイッチを持った右手でワイヤーを引き抜こうと無意識にもがいた。彼がふらつき、爆弾から右手が離れた、そのコンマ一秒の隙。


今度は一階の物陰に待機していた狙撃手の魔導ライフルが、ピンポイントでアレックの右肩の関節を撃ち抜いた。

肉片が飛び散り、アレックの右腕がダラリと力なく垂れ下がる。起爆スイッチが、カランと虚しい音を立てて大理石の床に転がった。


「あ……あれえ……?」


何が起きたのか理解できないまま、アレックは血だまりの中に無様に倒れ込んだ。

彼の思い描いていた英雄的な演説も、悲劇的な交渉も、何もなかった。

警察は、倫理的な葛藤など一切抱かず、極めて実務的に、そして冷酷に「市民への脅威」を排除しただけだった。倫理を語る彼は、倫理を無視して暴力に訴えようとした結果、ただのテロリストとして、一切の情けをかけられることなく物理的に破壊されたのである。

警官たちが無言で駆け寄り、転がった起爆スイッチを回収し、血を流すアレックに手錠をかける。


「ふざ、けるな……俺は、正義のために……」


うわ言のように繰り返すアレック。

その時、ロビーの中央階段から、コツ、コツ、と静かな足音が降りてきた。

警察代表、ルキア・ブラックであった。

アレックは霞む視界の中で、娘の姿を捉えた。

ルキア。俺の娘。彼女なら、俺の崇高な目的を理解してくれるはずだ。いや、少なくとも、実の父親が血まみれで倒れているのだ。驚き、悲しみ、動揺してくれるに違いない。


「ル、ルキア……助けてくれ……俺はただ、マキナと、この街を……」


ルキアは、床に這いつくばるアレックの前で足を止めた。

漆黒の瞳が、アレックを見下ろす。

そこには、怒りも、悲しみも、憐れみすらも存在しなかった。


完全なる「無」。


路傍の石や、羽の折れた害虫を見るような、圧倒的な無関心であった。

彼女の心が、実の父親の凄惨な姿を前にして、文字通り「一ミリも」動いていないことは、誰の目にも明らかだった。

ルキアにとって、目の前の男が何のために警察署を襲撃したのか、マキナの指示なのか、狂った正義感なのか、そんな裏事情には一切の興味はなかった。


なぜなら。


この男の内面に、「何らかの崇高な考え」が完全に欠落していることは、これまでの浅はかな行動の数々からすでに証明され尽くしていたからだ。

中身のない空洞の男が、中身のない女に操られ、中身のない騒ぎを起こして、自滅した。

ただ、それだけの事象。わざわざ足を止めて言葉をかける価値すらない。


「代表。テロリストの制圧を完了しました」


部下の報告に、ルキアは視線を前に向けたまま、短く答えた。


「ご苦労様。厳正に処理しなさい」


ルキアは、血だまりの中で震えるアレックを一瞥することもなく、そのまま素通りして警察署の自動ドアへと向かった。


「待ってくれ……ルキア!俺は、俺は……マキナに言われてヘレンとキースが六番の鍵を渡してくれなかったから魔導爆弾じゃあなくて物理爆弾を持って悪いやつを倒しにきただけで!ありがとうと言え!……あっじゃあ、俺は警察代表のルキアの父だから!じゃあ!俺はもうじゃあ謝ってあげるから!じゃあ、俺を治療して返したら許してやるから!許してやるって言ってるんだぞ!ルキア!おいッ!……謝れ!ここまで育てたことを感謝しろ!ルキアァァァァァッ!!!じゃああああああああッ!!!びゃあああああああッ!!!にゃああああああああッ!!!ほあああああああああッ!!!まあああああああああああッッッ!!!」


……愚者は、謝罪と感謝の区別がつかないのだ。

アレックの惨めな叫び声は、自動ドアの開く音に掻き消された。

ルキアが警察署の外に出ると、抜けるような青空の下、先ほどの路地裏で助けた少年が、ボロボロの紙袋を抱えて待っていた。

少年はルキアの姿を見ると、パッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。


「あ、あの……お姉ちゃん。ドーナツ、すごく美味しかった。ありがとう」


「そ。それは良かったわ」


ルキアは、先ほどまでの冷酷な警察代表の顔から、少しだけ柔らかい表情に戻った。


「僕が将来働いてお金を稼いだら、お姉ちゃんに一番美味しいドーナツを返すよ!」


少年の真っ直ぐな瞳。そこには、ただ、恩を受けた相手に感謝し、自分の力で生きていこうとする、人間としての真っ当な意志だけが輝いていた。


これだ、とルキアは思った。


アレックやマキナ、そして老人たちのような、過去の遺物に固執する空っぽの大人たちは、もはや何の価値もない。彼らが自滅していくのを放置し、必要とあらば法の下で排除する。


その代わり。


ルキアが守り、育てていくべきなのは、この少年のような未来の意志なのだ。天才的な悪魔の頭脳は、誰かを傷つけるためではなく、この真っ当な社会のシステムを維持し、彼らが安心して生きていける土壌を作るためにこそ使われるべきだ。


「そうね。期待して待っているわ」


ルキアはふわりと微笑み、少年の手を取った。


「でも、その前に、もう一つくらい甘いものを食べても罰は当たらないわよね。一緒に行きましょう。今度は、一番大きなドーナツを買ってあげる!」


「ほんと!?ありがとう、お姉ちゃん!」


二人は手を繋ぎ、活気を取り戻したウエストワールドのメインストリートを歩き出した。

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