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コミカライズ決定【3位】ヴェリタスの最終定理6 悪魔の慈愛  作者: 王璃月
●第23章:悪魔の慈愛

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16/23

証明1:そして復活する悪魔!

ウエストワールドの空から鉛色の雲が消え去り、突き抜けるような青空が顔を覗かせるようになってから、どれくらいの月日が流れただろうか。

ボーン探偵事務所の朝は、騒がしく幕を開けた。


「ルキア!大変だ、七番街の裏路地でマダム・フローラの愛猫、三毛猫のキャサリンがまた行方不明になったらしい! 今回はただの迷子じゃない。ゼランティア系のマフィア『ニルヴァーナ』の連中が、魔道具の実験体として誘拐した可能性が高いぞ!」


所長のデスクから勢いよく立ち上がったアレック・ボーンが、使い古されたトレンチコートを翻しながら叫ぶ。その声には、正義感と、これから始まる冒険への期待がパンパンに詰まっていた。

ソファで淹れたての紅茶を啜っていたルキア・ブラックは、あきれたように、しかしひどく楽しげに笑いながら立ち上がった。


「もう、パパったら。ただの迷子猫探しを、いったいどうしてマフィアの陰謀と違法魔道具と結びつけられるのよ。でも、ニルヴァーナの連中が最近この街でデカい顔をしているのは事実ね。……いいわ、キャサリンを助け出し、ついでに、あいつらのアジトを派手に吹き飛ばしてきましょうか!」


そうして始まる、手に汗握る痛快で楽しい冒険の日々。

父と娘は、ある時は薄暗い地下水路を駆け抜けてマフィアの取引現場に突入し、ある時は違法に改造された魔導機関車の屋根の上で大立ち回りを演じ、またある時は路地裏のゴミ箱に頭を突っ込んで鳴いている三毛猫を笑いながら救出した。

ルキアの漆黒の炎がマフィアの武器庫を灰燼に帰し、アレックの機転と探偵道具が窮地を救う。事務所に帰れば、戦利品である高額な報酬と、マダムからのお礼のケーキを囲んで、二人で大声で笑い合うのだ。


なぜ、こんなにも明るく、楽しく、希望に満ちた日常が訪れたのか。


その理由は、かつてこの事務所で一緒に笑い合っていた一人の少女、フィレモの死から始まった「穏やかで真っ当な混沌」のおかげであった。


これまでのウエストワールドは、倫理局というシステムの怪物が作り上げた、異常なまでの「倫理と規則」に支配された世界だった。人々は感情を殺し、システムが定めた「善意」という名の強迫観念に縛られながら、結果として他者を無自覚に傷つける「悪」を働き続けていた。その究極の形が、ルキアとマキナという悪魔の決闘すらも経済活動の一部として組み込んでしまう、あの狂ったディストピアであったのだ。


しかし、鳥獣人の少女が美しい翼を持ったまま倫理局から身を投げて「死んでくれた」あの日。


完璧だったはずのシステムは崩壊し、市民たちは自らの意志と感情を取り戻した。狂った倫理という名の呪縛が消え失せた今、この街の人々は、それぞれの状況に合わせた「自分自身の良心」に従って生きている。


当然のことながら、全員の良心が一致することなどあり得ない。


極道は極道なりの良心でシマを広げようとし、警察は警察の良心でそれを取り締まる。

マダムは愛猫のために大金を払い、探偵は報酬と正義のために動く。

そこには常に摩擦があり、衝突があり、大小さまざまな争いが絶え間なく起きている。


だが、ルキアには確信があった。


誰かに押し付けられた無機質な平穏などよりも、人々が泣き、笑い、怒り、己の足で立ってぶつかり合うこの混沌こそが、圧倒的に健全であり、真の意味での「平和」なのだと。街は活気に満ち、人々の顔には血の気が戻っていた。誰もが自分の人生を、自分の責任で生きている。ウエストワールドは、ようやく「普通の、ちょっと治安の悪い素晴らしい街」へと生まれ変わったのだ。


しかし。


この明るく健全な平和は、一人の男の心に、取り返しのつかない致命的な「過去」を呼び覚ましてしまった。


アレック・ボーンである。


ある晴れた日の午後。

ニルヴァーナの残党を壊滅させ、上機嫌で事務所に戻ってきたルキアを待っていたのは、トランクケースに荷物を詰め込んでいる父親の姿だった。


「パパ?……どうしたの?」


ルキアが不思議そうに尋ねると、アレックは手を止め、かつてないほどに深刻で、そして悲壮な決意に満ちた顔でルキアを振り返った。


「ルキア。よく聞いてくれ。俺は、この街を出て……倫理局へ戻ることにした」


「……は?倫理局?何を言ってるの、今更。あそこはもう、ただの事務手続きをするだけのつまらないお役所になったじゃない」


「お前にはわからないのか、ルキアッッッ!」


アレックは声を荒げ、窓の外の活気づいた街並みを指差した。


「見ろ!あの有様を!毎日毎日どこかで喧嘩が起き、泥棒が走り回り、マフィアがはびこっている!人々は欲望のままに動き、規則は破られ、秩序はまたしても失われたんだ!この街は、いま、まさに……完全に狂い始めているんだ!」


ルキアは呆気にとられた。


アレックに見えている世界は、ルキアに見えている世界とは完全に正反対だったのだ。

アレックは、自分がかつて所属していた「完全な倫理が支配する綺麗で安全な世界」の幻影から、一歩も抜け出せていなかった。


人々が自らの頭で考え、ぶつかり合いながら生きていくという、この、当たり前の人間の姿を……彼は「狂気」であり「堕落」であるとしか認識できなかったのだ!


「俺が!俺たちがッ!倫理の力でこの愚かな人々を導いてやらなければならないッ!それが、かつて倫理局に身を置いた者の責任だ。それに……」


アレックは少しだけ目を伏せ、芝居がかった声で呟いた。


「マキナが──俺を、呼んでいるんだ──。あの(ひと)には──やはり、俺が必要なんだよ────!」


ルキアは絶句した。


マキナが、アレックを呼んでいる?

そんなことは、天地がひっくり返ってもあり得ない。ルキアは悪魔の目を通して、現在の状況を完全に把握していた。

ヴォイドが蒸発し、フィレモが死に、世界のシステムがひっくり返った今、マキナは完全に目的を失っていた。ヴォイドという究極の報酬も、フィレモという八つ当たりの道具も失った彼女は、ルキアを始末する理由すら見失い、ただ倫理局の片隅で抜け殻のように座っているだけのはずなのだ。彼女の目的も、手段も、全ては「ゼロ」に回帰していた。何もない、完全なる空洞。それが今のマキナだった。

マキナは、アレックのことなど一ミリも呼んでいないし、思い出しもしていない。


だが、ここで悪夢のような奇跡が起きた。


アレックが一方的な救世主気取りで倫理局の寮へと乗り込んでいった時、そこには文字通り「何もない空洞」となったマキナがいた。

すべての目的と手段がゼロになったマキナは、かつての憎しみもプライドも忘れ果て、ただ目の前に現れた「自分を必要としてくれる(と思い込んでいる)男」の存在に、すがりついたのだ。

空洞となった女の心に、狂った英雄願望を持った男の狂気が、水が流れるようにぴったりと、そしておぞましいほど完璧に注ぎ込まれた。

かつては互いを利用し合い、憎み合っていた二人は、全てがゼロになった瞬間に、互いの狂気のパズルピースを合わせるようにして再び恋に落ちたのだ。


「アレック! あなただけよ、私を理解してくれるのは!」


「マキナ、もう離さない。俺たち二人で、この狂った世界を正すんだ!」


二人は涙を流して抱き合い、そして、なんとその日のうちに、誰にも祝福されることなくすぐさま再婚の手続きを済ませてしまったのである。


アレックとマキナ。


かつて世界を巻き込んで殺し合いをした二人は今、倫理局庁舎の古びた寮の一室で、二人だけの甘く、そして完全に狂った新婚生活を送っていた。窓の外の健全な世界を「狂っている」と見下しながら、自分たちだけが真実の倫理を知る選ばれし者であると信じて疑わない、地獄のような幸福の中で。


そして、ボーン探偵事務所には。


オーナーであり、ただ一人の助手である、ルキア・ブラックだけが残された。


主体の探偵が消えた、添え物の悪魔少女だけの、誰もいない、静まり返った事務所。

ルキアは、いつものソファに深く腰を沈め、一人で紅茶のカップを傾けていた。窓から差し込む明るい日差しが、主のいなくなったアレックのデスクを照らしている。

ルキアの唇からは、乾いた笑い声が漏れた。


「……本当に、絶望的なまでに、ばかみたい」


世界は、完全にまともになったのだ。

人々は良心を取り戻し、街は活気づいている。かつて諸悪の根源であった倫理局ですら、今ではただの善良な事務機関として正常に機能し、正当な手続きを経て解体される準備が進められていた。


だが。


このウエストワールドという国において、狂気や矛盾を持ち続け、世界の流れに逆行して「正しい倫理」という名の間違った化け物を育てようとしているのは、今やアレック・ボーンとマキナ・ボーン。

自分の親である、あの愚かで滑稽な二人ただのみなのだ。


そして、ルキアは知っていた。


あの二人が、このまま大人しくしているはずがないことを。


彼らの狂った正義感と被害妄想は、やがて再び暴走し、このせっかく手に入れた人々の平和な混沌を、再び灰色の地獄へと引き戻そうとするだろう。


誰かが、あの二人を止めなければならない。

いや、「打倒」しなければならないのだ。


誰が?


そんなものは、最初から決まっている。


コンコン、と。

事務所の重厚な木の扉を叩く音が響いた。

ルキアがカップを置いて立ち上がると、そこには、ウエストワールド警察の制服に身を包んだ、見覚えのある使いの者が直立不動で立っていた。


「ルキア・ブラック様。警察内部の再編が完了いたしました。倫理局の解体に伴い、警察組織は完全に独立。つきましては……」


使いの者は、深く頭を下げ、恭しく一つのアタッシュケースを差し出した。


「元代表代行である貴女様に、正式に『ウエストワールド警察代表』として返り咲いていただきたく、お迎えに上がりました」


アタッシュケースの中には、漆黒の警察代表の制服と、重厚な権限を示すバッジが鈍く光を放っていた。

ルキアは、その制服を見つめた。


ルキア・ブラック。


ブラック。


すなわち、黒。


すべての色を塗り潰し、光すらも吸い込む、無の黒。


何もないという意味。


マキナの「ゼロ」が空洞であるならば、ルキアの「ブラック」は、すべてを終わらせるための絶対的な無である。

彼女の役割は、この明るく平和な世界を守るため、最後に残った「身内の狂気」を、その手で完全に消し去ること。愛する日々を自ら終わらせ、実の父と母を、警察のトップとして、正義の名の下に処刑すること。

希望に満ちた明るい世界の真ん中で、彼女のこれからの、絶望の運命だけが、どこまでも深く、暗い絶望で塗り固められていた。


だが、ルキアは笑った!


かつてないほどに美しく、明るく、そして純粋な悪魔の微笑みだった。


「ご苦労様。時が来たのね」


ルキアは探偵事務所の鍵を机の上に無造作に放り投げ、漆黒の制服を手に取った。


「さあ。お掃除……しに行きましょうか。待っていなさい、パパ、ママ。私が、引導を渡してあげるから」

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