第一話 13
悠馬と香久夜は、同時に息を呑んだ。
夕陽が、静かに二人の影を長く伸ばしていた。
さっきまで確かにそこにあった殺気も、異様な圧も、今はもう薄く空気へ溶けている。
住宅街の夕方は、何事もなかったかのように、また日常の顔へ戻り始めていた。
遠くで子供の笑い声が聞こえる。
自転車のブレーキ音がして、犬の鳴き声が小さく重なった。
それなのに、悠馬の心臓だけはまだ、さっきの戦いの続きを引きずっていた。
「……なんか、すごい疲れた……」
ぽつりと呟くと、隣にいた香久夜が、ふっと息を吐いた。
「ふっ……そう? そこまで大したことは、なかったけど?」
そう言いながらも、香久夜自身も少し肩で息をしていた。
薙刀はすでに消えているが、まだその周囲には、戦闘の熱みたいなものが薄く残っているような気がする。
悠馬は、手の中にあった刀――月読へ視線を落とした。
銀色の刃は、さっきまで確かにそこにあったのに、今はもう赤いダルマのキーホルダーへ戻っていた。
(……なんなんだろうな、これ?)
思わず、そんな疑問が湧いた。
「それは、こっちが聞きたいわ……」
悠馬の思考に反応したつくちゃんが、ややげんなりした声でぼやく。
「ワイも、まさか月読に戻る日が来るとは、思うてへんかったわ……」
「それにしても……あんさん、さっきの動き、ちょっと気持ち悪かったで?」
「えっ! なんだよっ? 気持ち悪いなんて言うなよ……」
「いやいや、褒めとるんやで!」
「普通のド素人が、いきなりあそこまでやれたら、そら気持ち悪いわ!」
「全然フォローになってないんだけど……」
そのやり取りを聞いていた香久夜が、じろりと睨んだ。
「……あなた達、なんか随分仲良くなってない?」
「えっ?」
「いやっ、別にそういうわけじゃ……」
「いや! そういうわけやろ?」
「なんでお前が言うんだよっ!?」
つくちゃんが、どこか楽しそうに揺れる。
香久夜は少しだけ頬を膨らませると、ふいに視線を逸らした。
「まあ……別に、いいけど」
「うんっ?」
「……何でもないわよっ!」
急に語気を強められて、悠馬は思わず肩をすくめた。
そして、しばらくの沈黙のあと。
「……じゃあ、そろそろ帰る?」
悠馬がそう言った、その瞬間だった。
香久夜の足がぴたりと止まる。
「…………?」
「えっ?」
香久夜は、突然、にっこりと微笑んだ。
「あのね? 悠馬君? 私、こんだけ動いたのよ?」
「お腹、減ってるって思わない?」
「そのまま帰す気なの?」
「ええっ……」
「ええっ、じゃないわよ!」
香久夜は、ちょっと目を細める。
「というわけだから、何か食べて帰るでしょ?」
「ええっ? いや……まあ、別にいいけど……」
「そう?」
香久夜は満足そうに微笑んだ。
「あっ! もちろん、あなたのおごりでね!」
「ええっ!?」
「だって、私、あなたを守ってあげたでしょ?」
「それは……そうだけど……」
「それに、今日はかなり働いたし?」
「ええっ……」
「なに? 何か文句あるの?」
「……ありません……」
「よろしいっ!」
香久夜は、妙に機嫌よく踵を返した。
その背中を見ながら、悠馬は小さくため息をつく。
「……なんか、俺の扱い雑じゃない?」
「今さらやな」
つくちゃんが、どこか悟ったように言う。
「ご愁傷さまやな、兄ちゃん」
「お前は、どっちの味方なんだよ……」
⸻
数分後。
二人がやって来たのは、駅前の小さなハンバーガーショップだった。
夕方ということもあって、店内には学生や買い物帰りの人たちがそこそこ入っている。
トレーのぶつかる音。
ポテトの匂い。
遠くで鳴るレジの電子音。
どこにでもある、見慣れたチェーン店の風景。
さっきまで、化け物だの、転移するトカゲだの、意味不明な話をしていたとは思えないくらい普通だった。
「……なんか、こういう所に来ると、さっきまでの戦いが嘘みたいだな……」
悠馬がそう呟くと、香久夜はトレーを持ったまま振り返った。
「何、言ってるの?」
「いや……別に……」
「そんなことより、早く座りましょ!」
と、なんだかご機嫌だった……。
彼女のトレーには、
・ハンバーガー
・ポテト
・チキンナゲット
・シェイク
そして、なぜかアップルパイまで乗っていた。
悠馬は思わず目を丸くする。
「……結構、食べるんだね?」
「何よ?」
香久夜は真顔で言った。
「戦ったあとは、栄養補給が必要なのよっ!」
「そ、そうだね……」
「それに」
香久夜は少しだけ顔を逸らした。
「……たまには、こういうのも悪くないし……」
「えっ?」
「なっ、何でもないわよっ!」
慌てたように席へ座る。
悠馬もその向かいへ腰を下ろした。
しばらくの間、店内にはポテトをつまむ音と、シェイクを吸う音だけが流れる。
そして――
「……おいし〜っ!」
香久夜が、にっこりと呟いた。
「えっ?」
「……なに?」
「いや……なんか、普通に食べるんだなと思って……」
「普通に食べるわよ!?」
香久夜は、少し頬を膨らませながらハンバーガーを頬張る。
その様子は、学校や戦闘中の時とは違って、妙に年相応だった。
(……なんか、こうしてると普通の女の子だよな……)
そんなことを思っていると、香久夜がじろりとこちらを見た。
「……何、見てるの?」
「えっ、いやっ……別に……」
「ふーん……」
少しだけ疑うような目。
けれど、その口元にはケチャップがついていた。
悠馬は、思わず吹き出しそうになる。
「……なによ?」
「いや……なんでも……」
「絶対、何かあるでしょ?」
「いや、本当に……」
「なんや、青春しとるやないですか?」
「うわっ!?」




