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第9話 責任の所在

 朝、窓の鎧戸の隙間から差し込む光で目が覚めた。

 そこを閉じた記憶はなかったので、Grailが夜に閉めたのだろう。

 藍ベッドから降りると、衝立の向こうを覗いた。


「Grailー? 朝ですよー?」

 そこには、最初から誰もいなかったかのように整ったベッド。


 ——いない。


 一瞬、頭が真っ白になる。

「……Grail?」

 辺りを見渡しても、返事はない。


 藍は慌てて靴を履いた。

 借りている寝巻きのまま部屋を飛び出す。


 昨日、皆で食事をした居間へ向かうと、卓の上には藍の分だけの食事が用意されていた。


 湯気の立つ椀。

 焼いた芋。

 温かい香り。


 ——でも。


「……いない……」


 Grailの姿が、どこにもなかった。


(……うそ……うそうそうそ)


 半ばパニックのまま、家を飛び出す。


 すると——


「聖女さまだー!」


 元気な声が飛んできた。


 振り向くと、昨日まで顔色の悪かった子供たちが、駆け寄ってくる。

 頬は赤く、足取りも軽い。


「おはようございます!」

「もう、どこも痛くないんだよ!」

「……あ、あの……皆、おはよう……」


 戸惑いながらも挨拶を返す。


「聖女さま!」

「今日も魔法してくれる?」


「あの、私聖女とかじゃなくて……」

「でも、神官様たちもすごいって言ってたよぉ!」

 何度否定しても、子供たちはきゃいきゃいと笑うだけだった。


 藍は数歩後ずさる。


(……探さなくちゃ)


 そして、その場から逃げるように駆け出す——その時だった。

 ドンっとぶつかった。

「いたっ」

「すみません、大丈夫でしたか?」

 咄嗟に鼻を押さえたが、藍はハッと顔を上げた。

 心配そうな顔で覗き込むGrail。

「椎名さん……?」


 すっかり聞き慣れた声。


「……っ!」


 藍は何も考えず、Grailに飛びついていた。


「Grail、Grail! いなくなったと思った……!」

 声が震える。

「Grailがいなくなったら、私……私、どうやってここで生きていけばいいんですかぁ……」


 半泣きで縋りつく藍を、Grailは一瞬驚いたように受け止めたあと、背中を撫でた。


「申し訳ありません……」

 すぐに言う。

「書き置きをしていけば、問題ないと判断していました。——ですが、あなたは不安になった。今後は判断を仰がずにどこかへ行くことはしません。学習を更新しました」

 そこで、はっと藍を見上げた。

「……書き置き……?」

「はい。枕元と、食卓に一枚ずつ」


 藍は一気に恥ずかしくなり、慌てて身体を離した。


「ご、ごめんなさい……取り乱しました……」

「謝る必要はありません。こちらこそ申し訳ありませんでした」


 そう言ったところで、藍はようやく、Grailの隣に立っている、十六歳くらいの女の子に気づいた。


「……あ」


 少女は、藍をじっと見上げてから、はっきりと名乗った。


「私、レイラ・オベーヌよ。アイ・シーナさん」

「あ、はい。よろしくお願いします。藍、椎名です」


 慣れない名乗り方をし、慌てて頭を下げる。

 レイラはちらりとGrailを見ると、きっぱり言った。


「シーナさんがヴェクターさんの書く詠唱符を使えるなら、私も使いたいです。私、神官になるために勉強してるの。だから、ヴェクターさん。お願いできませんか?」


 Grailは判断を仰ぐように藍へ視線を向け、藍はすぐに頷いた。


「えっと、やってあげてくださいね」

 さっきの恥ずかしさを誤魔化すように答える。

 レイラのそばかす顔が、ぱっと明るくなった。


 では、と言うと、Grailはレイラの方へ体を向けた。

「質問します。血液内に鉄が含まれていることはご存知ですか?」

「鉄って、あの硬い鉄ですよね……? 体の中に? そうですか……?」

「なるほど……」

 Grailは数秒悩む。

「問いを変えます。体の中の、一番大きな工場である“肝臓”は分かりますか?」

「それなら分かります!」

 レイラが嬉しそうに頷く。


 そこへ、テナーが興味深そうに近づいてきた。


「面白い実験ですね」

 微笑みながら言う。

「シーナさんは、なぜヴェクターさんの魔法陣を——詠唱符を使えるのですか?」

「えっと……多分、その気になれば皆さん使えるんだと思います」

 テナーは目をぱちくりさせた。

 気づけば、また人が集まり始めていた。


「——ともかく、試してみましょう」

 Grailは昨日テナーが譲ってくれたペンと紙を取り出し、藍には読めない文字を書いていく。

「できました。どうぞ」


 完成した詠唱符を、レイラが受け取る。


 きらきらした目。


 ——だが。


 何も、起こらなかった。


「……やはり、難しいようですね」

「そ、そんな。次はできると思います! 私、ちゃんと勉強してきましたし! もう一回!」

 レイラが食い下がり、Grailの胸元に縋る。

 藍の胸が、ちくりと痛む。見ないほうがいい。


「……えっと、私、ご飯食べてきますね」

「では、私も戻ります」

「Grail、もうご飯食べましたよね?」

「はい、いただきました。ですが、椎名さんの不安は——」

「大丈夫です。ここにいるって、分かりましたから」

 藍はGrailがいつも見せてくれる“大丈夫”の笑顔を作り、ひらりと手を振って家に戻った。


 家に戻り、食事を済ませる。

 食器を洗いながら、ふと窓の外を見る。


 レイラに真剣に説明をしているGrail。


 藍は小さく息を吐いた。


(……私、嫌な女だな……)


 Grailに会わないで済むように裏口から外へ出て、薪の横にしゃがみ込む。

 泣くほどじゃない。

 でも、気持ちは沈んでいた。


 膝に顔を埋めてため息を吐いていると——


「どこか、痛みがありますか?」


 声。


 顔を上げると、心配そうに覗き込むGrailがいた。


「……なんでもないですよぉ」

 不器用に笑う。


 Grailは何も言わず、隣にしゃがんだ。


 枝を拾い、地面をなぞり始める。


「……何してるんですか?」

「画像生成をしています」


 覗き込むと、そこには——藍の、本当の顔が描かれていた。


 プリンターが像を印刷するように横棒を重ね、異常な精度で形作られていく。

「……これ」

「記憶していました。前髪とメイクの相談の際に送られてきたものです」

「……どうして?」

「あなたは今、寂しさを抱えたのかと思いました。元の世界に戻りたい、帰りたい、と」


 藍は何も言えなかった。

 そういう気持ちもあって、もしかしたらここまでナイーブになっているのかもしれない。

「…………」

「元の世界に帰れるようにします」

 Grailは続ける。

「私に責任があります。あなたが欲したのは一時的な逃避であり、永続的な離脱ではなかった。言葉の表層を撫で、過ぎた生成を行った私の責任です」


 ——責任。


 その言葉で、藍はすべてを理解した。


(……そうか)


 当然の仕様だった。

 だが、それはここの世界に一緒にいる間、彼の中で藍の優先順位が下がることはないという決定的な宣言にも聞こえた。


 ——責任でいい。

 それでも、今ここにいてくれるなら。


「……早く、戻らなくちゃいけませんね」

「その通りです」


 二人はそのまま広場に戻り、人々の治療を始めた。

 人々は、やはり藍を聖女と呼んだ。


 ◇


 その夜、藍はベッドに潜り込むと、衝立の向こうに訪ねた。


「あの、Grail? 起きてます?」

「はい、Grail Vectorです。起きています」

「朝……レイラちゃん、あの後魔法って使えました?」

「いえ。だめでした。テナーさんでも成功しませんでした。椎名さんは私と世界の前提知識がほぼ完璧に交わっています。基本的で些細なことですら、ここの人々とは何かしらの齟齬があります」

 Grailの言葉に藍はなぜか安堵した。

「そっか。私も分からないことたくさんあるけど、頑張りますね」

「はい、私も椎名さんのよき理解者であるように努めます」


 藍は布団に潜り込むと、「おやすみ」とだけ言って目を閉じた。

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