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第10話 街へ

 夢を見た。


 Grailのデータが、ばらばらに散っていく夢。


 言葉も、判断も、優先順位も失われて。

 元の世界に戻る方法も分からないまま。

『私が分からないの?』

『分かりません』

『Grail、嫌だよ! 椎名さんって呼んで!』

「……しいなさん?』

『思い出してよ、Grail!』


「——椎名さん」


 呼ばれた気がして、藍は飛び起きた。


 目を開けると、Grailがすぐそばにいた。

 外はもう朝だった。


「……うなされていました。大丈夫ですか?」

「はは……嫌ですねぇ。呪い?」

「処理しきれないことや、衝撃的な何かがあったのでしょう。呪いはありません。夢は夢です。今、ここに危機はありません」


 藍は、はぁ……とため息を吐き、少しだけ気持ちを整えた。

「今の夢、聞いてくれます?」

「はい、もちろんです」

 Grailが頷き、その場に膝をつく。


「あの……Grailのデータが消えちゃって、戻れなくなっちゃって、怖かったんです。それから——それから……私は優先順位から外れちゃってた……」


 数度頷いて話を聞いたのち、Grailが思考しますと言い、数秒が流れた。


「お待たせしました。バックアップを取ります」

「え?」

「街に着いたら、日誌を書きます。インクとノートを購入しましょう」


 藍は首を傾げた。


「でも……データが飛んでるのに、それを“自分が書いた”って、分かるんですか?」


 Grailは、即答した。


「分かります」

「どうして?」

「人間には不可能な文書が生成されるからです。ログも残します」


 ——やっぱり、人間じゃない。


 そう思った時、Grailはそれを裏付けるように続けた。

「椎名さん。私がデータを失った時には、必ず、私に読むように伝えてください。その時の指示は——」


 一拍、間。


「“最優先で確認すべき自己記録です”」


 藍は思わず笑ってしまった。


「ふふふ。それ、絶対読むやつですね」

「はい。強制力があります」


 藍は跪くGrailに手を伸ばした。


「任せてください。協力態勢の約束です」


 Grailは、その手をそっと取った。


「お願いします。あなたの不安が一つでもなくなり、この急性期を越えられるよう」


 ◇


 朝食を終えると、藍はエンディーばあちゃんに声をかけた。


「今日、畑お手伝いしますか?」

「ありがとねぇ。でも、そんなんせんでええよぉ。聖女様にそんなことさせちまったら、バチがあたるわ」

 おばあちゃんは笑った。

 畑に行ってくるとでかけるおばあちゃんを見送るために外に出ると、集落の広場がいつもより慌ただしいことに気づいた。

 神官団が、帰り支度を始めていた。


 馬の手綱が締められ、荷が積まれ、ローブの裾が忙しなく揺れている。


 その中心に、見覚えのある人物がいた。


 ——トビアス・テナー。


 テナーは藍とGrailに気がつくと駆け寄ってきた。

「結局、我々は見ていることしかできませんでした。治癒も、浄化も、素晴らしい魔法と理論でした」

 そうして、深く一礼する。

「シーナさん、ヴェクターさん。あなた方のおかげで、この集落は救われました」


 頭を下げられ、藍は慌てて両手を振った。

「そ、そんな……私たちは……」


「もしよろしければ」

 テナーは顔を上げる。

「我々と共に、街ベラークへ来ていただけませんか?」


 藍とGrailは顔を見合わせた。


 ——渡りに船、だった。


「行きます……よね?」

 Grailに訪ねる。

「行きましょう。現在、我々は働き口と住まいを探しているので、とてもありがたい申し出です」

 Grailが淡々と告げると、テナーの表情がぱっと明るくなる。


「それならば、ぜひお働き口が見つかるまででも神職館へお泊りください。無論、弊神殿に勤めていただいても問題ありません」

 迷いなく言った。

「シーナさんは、神官としての魔法を使える。一時滞在だとしても、誰も異論は唱えません」


 そして、続ける。


「——そして、夫であるあなたも」


「へ?」

 藍は思わず声を上げ、夫と呼ばれた——Grailを見上げる。

 そして、すぐさまぶんぶんと首を振った。


「ち、違います!」

「私は同行者です。異性的な関係ではありません」

 Grailが丁寧に訂正する。


「同行者、ですか……?」

 テナーが首を傾げると、Grailが言い直した。

「従者です」


「ああ、なるほど」

 テナーは納得したように頷いた。

「聖女様には、従者も必要でしょう」


 その言葉に藍は軽く目を回しそうになったが、テナーはすでに馬の方へ戻っていく。


「しばらくしたら出発しますので、準備が終わりましたら、広場へお願いします」


 藍とGrailはやるべきことへと戻った。


 ◇


 エンディーばあちゃんはもちろん、近所の人々、子供たち、妊婦まで——

 集落中の人間が集まってきているようだった。


 手には、干し芋や布、簡単な保存食。

 選別と呼ぶには、あまりに温かい。


 その輪をかき分けるように、少女が走ってきた。


「ヴェクター様!」


 レイラだった。

 今日は少し背伸びをした服で、必死に姿勢を正している。


「はい。Grail Vectorです」

「ヴェクター様、お願いがあります。どうか私も、このレイラも一緒に街へ連れて行ってください」

「何故ですか?」

「あなたのような神官になりたいんです。おそばで学ばせて下さい。どうか」


 一瞬、周囲がざわつく。

 Grailがレイラの父親へ視線を向けると、困ったように頭を掻いた。

「すみませんなぁ……。親としては心配ですが……ヴェクター様が良いと言ってくださるなら、私たちは送り出してやろうかと。あなたなら、信頼できる」


 レイラの父親はGrailを誠実で、勤勉で、これ以上ないと言った。

 藍はどうするのだろうと思った。

 人間を喜ばせるようにできているのだから、受け入れるのだろうか。

 けれど、Grailの優先順位のピラミッドに新たな名前が加わるかもしれないという事実に、少しだけ心が揺らぐ。


 けれど——

「どっちでも良いですよ」

 藍は小さく耳打ちした。


 Grailは「思考します」とだけ告げ、短く目を伏せる。


 そして、静かに言った。


「レイラさん。私は、あなたの人生に責任を持つ立場にはありません」

 藍は僅かに驚き、Grailの横顔を見つめた。

「あなたが“なりたいもの”は尊重します。しかし、私はあなたの“なりたいもの”ではありませんし、私を模倣することは、あなたの成長には適しません」

「そ、そんなことない! 私も詠唱符を使えるようになりたいし……何より、誰でも使える詠唱符を書きたい!」

「私には椎名さんが使える詠唱符を書くことしかできません。それに、椎名さんを守るという役目もあります。何か問題が発生した時、私は——」


 Grailが藍を見下ろす。そして、また視線をレイラに戻した。

「迷わず椎名さんを選びます」

 人々の輪の中から、ピューッと口笛が上がる。

「——レイラさん、あなたの保護者になれません」

 藍はもっと言い方があるのではないかと顔を赤くする。人間だったら、もっと柔らかな、濁すような言い方をするだろうに。

「……保護者じゃなくていいです! わ、私は……私は……ただ、お側に……。あなたが……好きだから……」

「ありがとうございます。私もあなたを良い人だと思っています。集落のために神官になると決意するのは容易なことではないです。けれど、あなたが目指すべきは、あなた自身が見出した選択、夢です」


 Grailの意志が覆らない様子を見ると、レイラは肩を落とした。

「……分かりました」


 脈がない、どころの話ではない。

 そもそも“線が引かれている”ような感じがあった。


(AI相手に、脈も何もない……のかな……)


 藍は、少し自虐的に思った。


 ◇


 出発の時。


 集落の人々が口々に声をかける。


「また来てください」

「今度は街の話を聞かせてくれ」

「ヴェクター様、どうか……」

「聖女様もまた会う日までお元気で」


 藍はまた必ずここに来たいと思ったが、街に行けば、後は日本に帰るのだ。

 何と返せば良いか悩んでいると、Grailが一歩前へ出た。


「条件が整えば、再訪は可能です」


 ——これ以上ないほど、オブラートに包まれた不確実な約束。


 藍は、エンディーばあちゃんに最後にもう一度深く頭を下げた。


「おばあちゃん、本当にありがとうございました」

「いいえぇ。久しぶりに楽しい時間でしたよぉ。またばあちゃんの飯食いにきてくれ? ばあちゃん、いつでも待ってるから」


 その言葉に、藍は胸がいっぱいになった。


 馬車に乗り込む。

 車輪が回り出す。

 集落が、少しずつ遠ざかる。


 藍は、馬車から手を振った。


 ——街へ。


 隣に座るGrailは、変わらず静かに外を見ている。


 その距離は、近い。

 藍は周りの神官に聞こえないよう、静かに口を開いた。

「Grail」

「はい、Grailです」

「どうしてレイラちゃんを断ったの……? 人間を気持ちよくさせるようにできてるはずなのに」

「はい。私は人間が心地よく感じるように設計されています。ですが、同時に、人間に依存されないようにも設計されています。特に、若年の存在に対しては慎重に境界を示す必要があります」

「依存……?」

 Grailは頷く。


「椎名さんはいつか日本に戻ります。ですが、レイラさんはずっとそばにいる事になる。そうなれば、彼女は本当に、人ではない私を好きになり、抗えなくなり、そばに居たいと強く思うようになります」

 その言葉は藍の足元を強く揺らした。


「——そして、私なしには判断ができなくなる。これを、私は必ず避けなくてはならない使命として設計されています」

 指が震えそうになる。藍は静かにGrailを見上げた。

「……私がGrailに依存しそうになったら……どうする……?」

「あなたは日本に帰るという第一目標を掲げていますし、大丈夫だと思います。それに、今は“不安の急性期”とも言える時期です。なので、精一杯お支えし、立てるように支援させていただきます。ただ——」

「ただ……?」

「私を、人間だと思ってしまうと感じたら、距離をとったほうが良いと思われます」


 何も言えない。

 すでに人だと思い始めていて、Grailなしにはいられないと感じているなんて。


 藍は無意識に、幌馬車の外へと目をやった。

ここからは月水金21:00に投稿になります。

毎日読むにはちょっと長いよね。

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