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第11話 街と顔料

 街に入った瞬間、空気が変わった。


 石畳。

 人の多さ。

 乾いた音で響く足音と、商人の声。


 集落とはまるで違う世界だった。


「……街だ」


 藍が呟く中、Grailは周囲を見渡していた。

「人口密度が上昇しています。視覚情報量も増加、言語の使用頻度も高い環境です」

「分かりやすく言うと……にぎやか、ですよね?」

「その表現で問題ありません」


 美しい前庭を越えた先にある神殿の前で、藍たちは神官らとともに馬車を降りた。

 神殿の壁は、井戸に設置した魔法陣のような光る文字——魔法陣がたくさん描かれていた。

 オシャレなデザイン、などと思っていると——

「こちらです」

 テナーに案内され、神殿の中へ進んでいく。


 礼拝堂のようなところを抜け、横手にある小さな扉をくぐり、階段を上がっていく。

 その間にも、旅の一行が目立つせいか、あるいは“整いすぎた顔”のせいか、すれ違う人々は目を丸くして藍たちを見送った。


 長い廊下を抜け、旗や豪華なカーテンで装飾された部屋に通される。

 中には若い男性の神官がいて、頭を下げた。

「テナー様、おかえりなさいませ」

「戻りました、カタル君。——ヴェクター殿、シーナ殿。あちらは新人神官のカタル・クロイスです」

 藍は聖女という呼び名を辞退したので、椎名殿と呼ばれるようになっていた。


 カタルと呼ばれた若い神官が二人の前にくる。

「よろしくお願いいたします、カタル・クロイスと言います」

「よろしくお願いいたします。私はGrail Vectorです」

「聞きしに勝るとはこの事ですね。絶世の美男だと聞いていましたが、美男なんて言葉すら生やさしいように感じます」

 カタルはGrailと軽く握手をすると、今度は藍へ手を伸ばした。


「椎名藍です。よろしくお願いします」

「はい、アイさん。よろしくお願いします」

 またやってしまった。

「えーと……クロイスさんの感覚では藍・椎名です。椎名が姓です。藍でも構わないですけどね」

「そうでしたか。では、せっかくなので、アイさんと呼ばせてください。歳も近そうです。私のことも、ぜひカタルとお呼びください」


 社交辞令で藍でも良いと言ったのだが、採用されてしまった。

 藍は笑いだけ返しておいた。


「さて、ヴェクター殿、シーナ殿。このベラーク中央神殿はカインツェルト領最大に近い神殿です。神職館に宿泊していただくため、いくつか確認を取らせていただいてもよろしいでしょうか?」


 藍は異世界の常識チェックかとドキドキした。

 Grailは何も感じないように頷いた。——いや、事実感じていないのだろう。

「構いません。どうぞ」

「では、所属教区を」

「特定の教区には属していません」

「どこで学ばれましたか?」

「学習は、断続的に行ってきました」

「どちらの国に属する神官ですか?」

「現在、特定の国には属していません」


 他にもあれこれと聞かれたが、全てがNOだった。

 テナーとカタルは顔を見合わせた。


「……つまり、巡礼司祭、ということですね?」


 そこまでの情報を書き記したのか、カタルはペンを置いて呟いた。

「まさか隠遁者? なんて、その身なりで隠遁者はないですよね。ははは」


 Grailは否定も肯定もしなかった。

 藍は悪いものだと思われているのなら、違うと言いたかった。

 だが、Grailが何も言わないのだから、藍が横からどうこう言うのもおかしい気がして黙った。

「では、続いてシーナ殿。シーナ殿も巡礼司祭でしょうか? 公認魔術師ではないと以前仰っていましたね」

 なんと答えるべきか分からない。

 神殿で働かせてほしいというなら、巡礼司祭だと称したほうが良いのだろうか。

 悩んでいると、Grailが一歩前に出た。


「——それに準ずる存在に近しいです」


 また、驚くほどぼんやりした答えだった。しかし、違和感を覚えないくらい言葉がはっきりしている。

「なるほど。確かに、公認魔術師並みの魔法が使えて、なおかつ治癒もできるとなると……巡礼司祭に近い、という以外にはありませんね。全てに納得いたしました。ありがとうございました。ヴェクター殿」

 勝手に言っていないことをどんどん納得していく様に、藍は苦笑した。


「ところで——」


 Grailの視線が、はっきりとカタルの手元に吸い寄せられた。

「以前、詠唱符用紙と杖ペン——をいただきましたが、他にも紙、インク、ペン、顔料を購入可能な場所を教えていただけますか?」

「もちろんです。インクと詠唱符用紙は神殿でも売られておりますが、顔料は薬屋(アポセカリー)ですね。神殿のすぐ近くにありますよ」

「ありがとうございます。どなたか案内をお願いできませんか」

「では、カタル君。お願いできますか? 私はオルム集落のことをご領主の下へ報告に上がらなくてはいけません」

「分かりました」

 二人の間で短いやり取りが行われ、カタルからテナーへと書類が渡る。


「そういえば……聖書は……必要ですかな? 確かお持ちでなかった……」


 すでに一度読み込んでいたが、その問いに、Grailは迷いなく答えた。


「はい。必要です。ぜひお願いいたします。おいくらですか?」

「同じ教区ではありませんが、これらの大切さは分かっております。金銭は不要です。どうぞお持ちください」

 Grailは聖書を、両手でどこか恭しく受け取った。

 しっかり馴染んでいるように見え、藍は思わず感心する。

 けれど、あれは実際に聖なるものを受け取るというよりも、必要な参照下資料を、相手の気分を損なわないように受け取っているだけなのだろう。

 とはいえ、動揺したりする事もなければ、不必要に自分を語ることもないので、とても誠実な人間に見えた。


 正直、異世界人だとか、そんなことを疑われる隙は微塵もなかった。


 テナーが退室するのを、カタルは深々と頭を下げて見送った。——ので、藍とGrailもそれを真似た。

 そして、頭を上げた時には、カタルが年相応らしい笑顔を見せた。


「それじゃ、インクと紙を買いに行きましょう!」

「あ、はい!」

「よろしくお願いします」


 三人はまた神殿内の廊下を行き、神殿を出た。

 中庭に建つ小さな堂に入ると、物販所のようになっていた。


「紙とインクはこちらでどうぞ」


 Grailが買いに行くと、受け付けの女性はGrailの顔を見てポカンと口を開けた。

 やはり、異常に整っているので驚いてしまうようだった。

「——それにしても、アイさんもお綺麗ですね」

 藍は「え?」と素直に疑問を口にし、カタルを見上げた。

 どこかうっとりするような表情。それまで人生で男性から唐突に向けられたことのない——いや、あの糞上司はこうだった。

 似た温度の視線だと思うと居心地が悪くなる。


 そして、自分の顔も生成だったのだと思い出し苦笑する。

 見た目がここまで人の扱いを変えるとは。

「えっと……ありがとうございます。でも、外見を褒められると複雑な気持ちになりますので、あんまり触れないでもらえると嬉しいです」

「そうですか?」

 カタルは「まあこれだけ綺麗だと嫌になる程褒められてきてますよねぇ」など、勝手に自分の中で納得できる物語を膨らませて、うんうんと頷いていた。

 そして、戻ってきたGrailは紙の束とインク壺の入った、取手のない紙袋を抱えていた。


「顔料の購入のため、あまり多くは購入できませんでした。が、必要な最小限は確保できました」


 三人は物販所も後にした。


 藍は生まれて初めての海外旅行のような気分で街を行く。

 美しい石畳の道や、日本文化圏では見ない建物たち。

 楽しかった。

 店のウインドウには素敵な服や帽子が飾られていたり、小さな本屋には隣に装丁工房が隣にあったり、藍はあちらこちらを覗き見た。

 そして、歪みのあるどこかレトロなガラスに自分の姿が映ると少しだけ居心地を悪くする。

(……美人すぎる……。別人すぎる……)

 Grailの影に隠れると、カタルは道の先を指さした。


「あちらが薬局(アポセカリー)です」


 藍が思ったより大きな建物だった。

 中へ入ると、一角は花屋、一角は宝石屋、また一角は薬屋のように見えた。

「なんでこんなに植物と宝石? 綺麗なところ」

 Grailは花屋、宝石屋をぐるりと確認してから答えた。

「植物たちは漢方の原料となるものに近いです。生薬となるのでしょう。また、宝石たち——鉱石は顔料かと思われます」

 絵の具——顔料として、あのまま石で売っているのかと藍は目を丸くした。


「こんにちは。赤、青、黄、白の顔料のそれぞれの値を教えてください」

 鉱石が置かれたカウンターの中にいる男性が笑顔を向ける。若い人だった。

 店主は、慣れた手つきで小さな木箱を引き寄せた。


「いらっしゃいませ。赤の辰砂(シンシャ)は——こちらです」


 蓋が開く。


 中には、細かく砕かれた深い赤。

 光を受けると、粉なのに、どこか濡れているように見えた。


「こちらが計り売りの価格になります」


 店主は、カウンターにそっと指を置いた。

 藍は文字が読めないし、ここまで金を使ったこともないので一つも情報が入ってこなかった。


 反射的に、Grailの顔を見上げる。

 Grailは表情を変えず、ただ頷いた。


 Grailは藍が影になる位置に、自然に半歩ずれる。


「想定の範囲内です。では、青は?」


 店主の笑顔が、ほんの少しだけ引き締まる。


「青……ですね」


 今度は、別の箱。

 中にあるのは、夜空を砕いたような青だった。

 粒は荒く、ところどころに金色の筋が混じっている。


「こちらは神官様方くらいしか購入されません。一袋で、良い職人の月の稼ぎが消えますからね。絵描きも滅多には買いませんよ」


 藍は、息を吸うのを忘れた。


(……月の、稼ぎ)


 基準がない。

 相場も分からない。

 でも、「普通じゃない」ことだけは、嫌というほど伝わった。


「黄はいかがですか?」

「石黄は、こちら。赤ほどではありませんが——扱いが難しい。白は鉛白。こちらは比較的、流通があります」


 次々と示される顔料。

 次々と、重くなる空気。


 最後に、Grailは静かに尋ねた。


「背景用として使用可能な、低価格の顔料はありますか」


 店主は、少しだけ安心したように笑った。


「ええ。黄土(オーカー)なら。こちらは……働けば、誰でも手が届きます」


 藍の胸が、ちくりとした。


 ——働けば。


 Grailは、一度だけ、藍の方を見た。


「ありがとうございます。では——本日は、購入を見送ります」


 店主は当然のようにすぐに頷いた。


「賢明な判断です。顔料は逃げませんから。いつでもまたいらしてください」


 見送られ、外に出ると、カタルが道の向こうを示した。


「それでは、神職館へとご案内します」

 ——藍は頷きながらも、青の箱を開けたときの店主の顔が、頭から離れなかった。

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