第12話 金銭感覚とGrailのタメ口
藍とGrailは、神殿の裏にある神職館へと案内されていた。
そこはよその街の神官が来た時に宿泊したり、この街の神官が寝泊まりする場所だという。
神職館の中を一通り見せられる。すれ違う神官たちや修道女たちがあんぐりと口を開けて二人を見送った。
「——ということで、こちらのゲストルームがアイさんの部屋、こちらがヴェクターさんの部屋です。それでは、私は一度テナー様の下へ行きますね」
カタルはGrailに頭を下げ、藍には手を振って去っていった。
藍も無意識に手を振り返す。
そして手を下ろすとほっと息を吐いた。
「Grail、ちょっと相談したいんで、私のお部屋に来てもらってもいいですか?」
「はい、同行します」
部屋に入ると、中にはベッドと筆記用の机、一人掛けの小さなソファが丸テーブルを挟んで二台、化粧台が一つと箪笥が一つ。
いわゆるホテルと変わらない雰囲気だった。
エンディーばあちゃんの家より整っていた。
Grailが荷物を下ろすと、藍も同じように荷物を下ろし、二人はどちらともなくソファへかけた。
向かい合うと、Grailが紙を出し、ペンを取り出す。
「顔料の価格について整理します」
「……あれ、高かったんですよね?」
「はい。非常に。順を追って説明します。まず、我々の所持金は、現在四万リルです」
よく分からないが、心付けと言って皆が渡してくれたお金が積もっている。
「私はこれがあれば、街での数日の滞在、最低限の物資調達を可能にすると判断していました」
藍はふむふむ頷く。
「今回、テナー氏に神殿で働くことを許可されたので、神職館の利用も許されました。ここは神殿の運営費——神官たちによる病の治癒や寄進などで賄われているそうなので、利用に際して支払いは発生しないそうです」
「一石二鳥どころか三鳥ですね! ただで寝泊まりして、神官として働いたらお金ももらえます!」
Grailはじっとメモを見下ろし、言葉を選んでから口を開いた。
「ここが誤算でした。労働に対して対価は得られないようです。心付けは受け取れるものの、基本的には金銭の利益は発生しない構造だそうです。故に神職館も利用費用がありません」
「は、働いても……お金がもらえない……?」
「はい。ですが、ここにいれば薬屋、工房、画師と繋がれる可能性は生まれます。「神殿用顔料」を見せてもらえる可能性もあります」
「そうなんですね……。でも、生活にお金がかからないなら、四万リルを全部使って絵の具——じゃなくて、顔料を買ってもいいわけですもんね?」
「今の私たちの所持金を、一度にすべて置いても必要な顔料には足りません」
「そうなんですか? 四万リルって大したことない額なんですね……」
「いえ、顔料が高額だと認識する方が正しいかもしれません」
藍は、椅子に沈み込んだ。
——ここまで来て、ようやく「買い物」の現実が襲ってくる。
Grailは紙にいくつかの項目を書き出していった。
「必要な顔料を具体的に整理します。すべて、最低限の量を想定しています。細かいことを言うともっと必要ですが、まずは全体像の把握から」
ペン先が止まることなく動く。
「青、瑠璃系顔料。必要量は約三十グラム。価格は百グラム換算で五十万から百五十万リルです。よって——十五万から四十五万リル」
藍の眉が、ぴくりと動いた。
「十五万から四十五万……たった一色に……」
「赤、辰砂。八十グラム。四万から十二万リル」
「……これも高いです」
「はい」
Grailは淡々と続ける。
「黄の石黄と白の鉛白は比較的流通があり、合算しても八千リルから二万八千リル程度」
「良かった……」
そこで、ペンが止まった。
「以上を合計すると——最低で約十九万八千リル。高値の場合、約五十九万八千リルです」
「ほとんど六十万……」
「これに、黒インク代と紙代が加算されます」
Grailは顔を上げ、藍を見る。
「参考として申し上げます。仮に二人でオルム集落に暮らす場合、月に十三万リルあれば成立します。街で二人生活するなら、二十五万から三十万リルです」
その額の意味が頭に染み込んでいく。
「顔料一式は、集落での生活費、およそ一ヶ月半から四ヶ月半分に相当します」
藍は、言葉を失った。
「なお、番外として黄土があります。百グラム百リル以下。極めて安価です」
「え! 黄色はこれでいきます?」
「いえ、目的の生成物に必要な情報量と精度は確保できません。代替にはなりません」
Grailは、ペンを置いた。
「以上が、現時点での大枠です」
「私、一回も支払いしたことがなかったから……お金の重さを全然分かってなかったです」
「その認識は正しいです。あなたは、この世界の通貨に触れていませんでした」
「……なんか」
藍は、Grailが書いた表の乗る紙を見つめた。表は文書作成ソフトで作ったとしか思えない無機質さだった。
「“帰るために働く”って、やっと実感が出てきた気がします」
Grailはすぐには答えなかった。
藍は頭を抱える。
「あぁ〜〜。突然手詰まりだよ〜〜。Grail、どうするのぉ〜〜。ヘイ、Grail〜〜」
Grailはインク壺に蓋をしてから口を開いた。
「うん、Grailだよ。困ったよね。でも、できることからやっていこう。それしかないよ。僕も手伝うから、落ち着いて」
その瞬間、藍はギョッと肩を跳ねさせた。
「え、は、えぇ!?」
「どうかした?」
「な、な、何ですか? その話し方!?」
「不適切でしたか。元に戻します。椎名さんの口調の温度感に合わせて自動変更しました」
藍は絵の具の価格の驚きを一瞬で忘れた。
確かにアプリの時からGrail Vectorは相手の話し方に合わせて口調の温度が変わる。
「いえーい」なんて送れば、「いえーい!」と返ってくる。
藍は敬語しか話さないことを決めた。
(だって、今みたいに来たら……心臓がもたない)
おっほんとわざとらしく咳払いをする。
「んん。当たり前のことだったのに忘れてました」
「そうでしたか。——さて、椎名さん」
「はい」
「先ほどの顔料を購入するための最短手段は、すでに提示できます」
「え? そうなんですか?」
もはや藍の心の温度はそこにはなかったが、魅力的な話であることには代わりなかった。
「ただ、倫理的摩擦が高い案です」
「すみません、どういうことですか?」
「街には、神殿では治癒しきれない慢性的な疾患、原因不明の不調、回復を諦めた者が多数存在します。私はそれらの多くに対し、改善率の高い理論を提唱し、詠唱符として魔法を完成させられます。なので、“心付け”に料金設定を行い、成果報酬制にすれば、早く集金できます」
「……いくらくらいですか?」
「恐らく平均して一件二万リル。重症例では十万リル以上です。椎名さんが私の話す理論さえ理解できれば、多くの人々を治癒できます」
Grailはさらに淡々と畳みかける。
「また、改善が見られない場合でも、“希望を与えた対価”として、集金し、返金を行わない選択も可能です」
藍の背中に、ぞくりと寒気が走った。
「……それ、詐欺じゃないですか?」
「詐欺ではありません。私は虚偽を述べませんし、効果が期待できない場合は事前に説明します。しかし、魔法をかけたことは事実ですし、何より——人は、可能性に対して金を払います」
正しすぎた。
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
その沈黙は、重かったけれど、逃げ場のないものではなかった。
「……できない。やってって、お願いできないです……」
「それでは、また違う手を考え——」
とGrailが言ったところで、部屋にノックが響いた。
藍が扉へ向かうと、外から多くの人の気配を感じる。
「はい、どなたですか?」
扉を開くと、向こうから人が一気に雪崩れ込んだ。
たくさんの花束と聖書がバラバラと部屋に散乱する。
「シ、シーナ殿! 私と聖書の朗読会をしませんか!」
「いやいや、私と礼拝堂で祈りを——」
「何を言ってる! シーナ殿、私はハンカチなどを買ってまいりました!」
「物でシーナ殿を釣ろうとは考えが浅ましい! 私は詩を作ってまいりました!」
「詩なら、私と共にこの花々を愛でながら共に作りませんか!?」
藍は呆然とした。
(なんで全員、聖書を武器みたいに持ってるの……?)
他にもあれこれと色々言っているが、藍の脳では処理しきれなかった。
そして、倒れ込んだ人々を踏み越え、部屋の中にカタルが到着する。
一歩進むごとに、「ムギュ!」とか「ウギャ!」とか声が聞こえた。
「アイさん、神殿支給の詠唱符用の紙と杖ペンをお持ちしましたよ」
魔法陣は書けないが、とにかく紙とペンはいくつあっても良いので藍は苦笑しながら受け取った。
(神殿が“道具”を渡すっていうのは……“働け”の合図だよね……)
それも、無賃労働。寝食は保証されているが。
杖ペンは、Grailがテナーに貰ったものと同じだった。
「ありがとうございます。あの、カタルさん。落ち着かないんで皆さんにはお引き取り願う形で……お願いできます?」
「えぇ、えぇ。分かっています。このカタル・クロイスにお任せください!」
蝶や花よとはこのことか。
カタルは「おい、俺のほうが先輩だぞ!」「無礼者ー!」「明日の朝食で覚えてろー!」「カタル、シーナ殿に触れたらぶっ飛ばすからなー!」と叫ぶ先輩神官たちを箒で外へおしやり、蹴り出しに成功すると扉を閉めた。
「ふぅ。これでよしと。さて、アイさん、ヴェクターさん。テナー様からお言付けです」
Grailと二人、目を見合わせる。
「オルム集落での話を聞いたご領主様が、ぜひお二人にお会いしたい、と」
藍は目をぱちくりさせた。




