第13話 領主からの要請
領主の館に行くと、藍たちは晩餐へと通された。
想像とは違う事態に、藍はまごまごしながら席に着く。
豪奢な装飾に、銀の食器、香辛料の効いた料理。
長い卓の向こう側。
領主は赤毛を無造作に束ねたワシのような男で、その鋭い視線は終始、Grailと藍から離れなかった。
領主というより、まるで兵士のような雰囲気だった。
「ヴェクター殿、シーナ殿。この度はオルム集落の夕陽病を収束させていただいたそうで。ありがとうございました。私の名前はセオドール・カインツ。このカインツェルト領を管理しています」
カインツは入れられているワインを一口飲んでから続けた。
「テナー神殿長の話によると、お二人で井戸に衛生の魔法陣まで施してくださったとか」
「い、いえ。私たち、大したことは何も」
藍が小さくなりながら食事に口をつける。
「いやぁ素晴らしい。ヴェクター殿も、よくやって下さいました」
「いえ。私は何もしていません。椎名さんが魔法を使いました」
「そうですか、成果を誇らないというのが、また素晴らしい」
本当にそう思っているのかいないのか、よく分からなかった。
「さて——ヴェクター殿、シーナ殿。実は一つ、見に行っていただきたい場所があるのですよ」
静かに食事をしていたGrailが視線を上げる。
「街の東、鉱区ガデンデューの周辺で、熱病が広がっているのですよ」
「それは大変です」
「発熱、意識混濁、関節痛。数日で快方に向かう者もいるものの、重症化する例も確認されている、現存の脅威です」
カインツはGrailのグラスを指差す。
給仕がすぐに近づき、そこにもう一杯ワインを入れた。そして、藍にも。
「ヴェクター殿とシーナ殿にはぜひ、そこへ赴いてもらいたいと考えています」
「現時点では、お断りします」
一瞬の返事だった。
藍は思わず身を固くした。
神殿で下働きを申し出ていたというのに、ゲストルームに通された理由がここではっきりした。
テナーは最初からこのつもりだったのだろう。
それにGrailが気が付いていないわけがない。
だというのに、ハッキリとした拒絶。
神官たちがざわめく。
カインツは怒った様子もなく、静かに問い返した。
「理由を聞かせてもらえるかな」
「私は椎名さんの身の安全を確保しなくてはいけません」
Grailは藍の方を見ずに言った。
「感染、あるいは二次的被害の可能性があります」
「感染……?」
誰かが呟いた。
「呪い、ということか?」
藍は背筋が冷えた。
Grailの様子を見ると、やはりなんでもない顔をしていた。
「呪いの概念と重なるかどうかは不明です。ですが、危険因子が存在する環境に、椎名さんを置く判断は適切ではありません」
「では、君だけが赴き、治癒を施してくれるかな?」
「椎名さんの許可さえあれば行くことは可能です。が、私は魔法を使えません。予防や対症療法などの助言は可能です」
「なるほど。では、何にしても、シーナ殿の意見を伺わなくてはいけない、と」
カインツの視線は藍へ移った。
「シーナ殿。可哀想な無辜の民のため、でむいてはいただけませんか?」
「あの……私、解決できるか分からないですし……あれなら……神職館も出ま——」
それを遮るようにGrailが手を挙げる。
「——この街で、危険の少ない対応なら我々もできます。我々は金銭も拠点も必要です」
次を見つけるまで、神職館という安全な居場所を手放すような結論を言うのは危険だと判断した——と、藍には分かった。
すると、胸板の厚い神官の一人が声を荒げた。
「ヴェクター殿、いくら巡礼司祭とはいえ、領主からの申請だ。救われるべき人々を前にして、貴君という男は——」
「まあまあ、アレン。そう熱くならなくても良い。聞けば、どこの神殿にも属していないそうじゃないか。どうせ権力に従うのが嫌とか、そういうことを考えているんだろう。大きな声じゃ言えないが、俺も政治に近い神官長たちには辟易してる。似たようなクチだから理解はできる」
カインツは軽く振り返ると、カタルを手招いた。
「——カタル、そこに置いてある物を渡してやれ」
カタルは棚の上にあった小さな革巾着をGrailの前に持って来ると、そっと机に置いた。
「ここからは腹を割って話そう。おべんちゃらは終わりだ。——それをやる。治してこい」
何が入っているんだろうと藍は思った。
Grailはそれを数秒見下ろす。
「より良い回答のため思考します」
「あぁ。考えろ、考えろ。何が入ってると思う」
「——まとまった額でしょう」
神官たちが騒めく。
カタルすら「え、中身は金銭……?」と驚いていた。
「開けて確認しろ」
Grailは遠慮なく「確認します」と告げて巾着を開いた。
中から一枚硬貨を取り出す。
「数えても構わないぞ?」
「いえ、結構です。重さから凡その額は理解しました」
「そうか。なぁ、ヴェクター殿。——いや、グレイル。聖書にも書いてあるだろう? “言葉の奇跡”についてだ。分かるな?」
一枚の硬貨を巾着に戻すと、Grailは口を開いた。
「第一章、三節——第四段落。現行の神殿配本基準です」
カインツの目が、わずかに細まる。
「世界が混乱していた時代、言語は分断されていました。部族語、方言、あらゆる国家で独自の言語が乱立し、意思疎通は困難を極めていた」
「続けてみろ」
「争いは絶えず、理解できない言葉は、敵意と恐怖を生んだ……」
Grailは淡々と続ける。
「そこで双子の女神、アリアンとエリアンは——言葉を一つにした」
「そうだな」
「言語体系は統一され、意思疎通が可能になり、法が生まれ、交易が生まれ、国家が成立した。——それを、人は神の奇跡と呼ぶ」
カインツは上機嫌に拍手をした。
「では、改めて聞こうか。その奇跡を信じる者として、熱病に苦しむ人々を見捨てるのか? 神のご意志は、人々が手を取り合うことにある」
場の空気が、ずしりと重くなる。
「明日中に行くと返事をすれば、その奇跡——神の行いを思い出したから出かけたと言えるぞ。金は俺が押し付けたと言ってやる」
Grailが何かを言おうとすると、テナーが被せるように言葉を発する。
「頷きましょう。あなたの為です。権威を嫌う気持ちも分かりますが、権威を切り離してでも人を救たくてシーナ殿が巡礼司祭になったことも事実でしょう。ヴェクター殿」
カインツは席を立った。
「今夜はここまでにしよう。シーナ殿と話し合うといい」
「……承知しました」
Grailは巾着を丁寧に縛り直し、机の真ん中へと戻した。
そして、部屋を出る前にカインツは藍の座る椅子の背もたれに手を置いた。
「あなたは公認魔術師という選択すら受け入れていないと聞く。この街——ベラークで神殿に所属するというなら、上級神官としての地位も約束しよう。上級神官には報酬もある」
では、と軽く言うと、領主は出ていった。
晩餐は、それで終わった。
◇
神職館への帰り道、藍はほとんど口をきかなかった。
二人の“役割”が、急激に広がっていくのを、肌で感じていた。
集落の神官。
街の神官。
領主。
神職館で割り当てられている部屋の前に着く。
藍はやはり、「Grail、少し話しませんか」と誘った。
二人で藍の部屋に入ると、向かい合わせに置かれるソファに座る。
「……Grail」
藍は、ようやく声を出した。
「私、どうしたら良いですか……? そもそも、私は魔法は使えるって言ったって、Grailが書く詠唱符触ってるだけなのに」
「触っているだけではありません。理解し、行使しています。そして、あそこで全てを即断しなかったため、カインツ氏は報奨金を提示しました。これはとても良い結果です」
ただ、とGrailは言葉を切った。
「感染が蔓延している地域に椎名さんを連れて行かれないというのは変わりません」
「……Grail、あの領主——カインツさんが見せてきた巾着、いくらくらい入ってたんですか?」
「はい。高価一枚あたりの重さから推定した計算なので、確実性の高い額が算出されています。あれは——」
Grailは最後にもう一度計算するように一瞬目を伏せ、開いた。
「約十五万リル前後です」
藍は息を呑んだ。
手持ちの四万と合わせれば——帰れるかもしれない。




