第8話 二人の相関関係
エンディーばあちゃんの家は、広場から少し離れたところにあった。
土壁の、年季の入った家だ。
「さぁ〜、遠慮せんで入ってくれていいからねぇ」
Grailが見えている椅子に座らせてくれる。
藍は少し離れ難く感じながら降ろされた。
薪の匂いと、煮込みの温かい香りがした。
藍はほっと息を吐く。
「なーんも食ってなかったって知ってたら、もっと早く飯用意したやったのになぁ? あんまり良いもんもねぇけど、これぶって元気出せぇ」
「はは、ありがとうございます」
藍は自分の祖母と重ねながらエンディーばあちゃんを眺めた。
食卓に並べられたのは、素朴な料理だった。
芋と豆、少しの肉。
だが、昼からずっと気を張っていた藍には、それだけでご馳走に見えた。
そして、次から次へと集落の人たちが家に入り、「これも」「こっちも」と食事を置いていく。
明らかに食べきれない量だった。
そして、「聖女様、お疲れ様でした」と皆が頭を下げて出ていく。
「あ、あはは……。聖女じゃない……」
藍は苦笑し、箸——ではない、木の匙を手に食事に口をつけた。全部食べなくてはもったいない。
藍は頑張ろう、と決めた。
すると——
「無理して全部食わなくてもええからねぇ?」
「空腹時に大量すぎる食事を摂取すると、体調を崩す可能性があります」
「あ……えへへ。でも、せっかく貰いましたし」
二人からの注意に照れ笑いをすると、エンディーばあちゃんが大きく笑った。
「いい心がけじゃねぇ。今日はよう頑張ったから、ゆっくり過ごしてくれぇ。そっちの神官さんもなぁ」
Grailは「神官ではないですがいただきます」と頭を下げ、興味深そうに食事をとった。
「どうです? Grail」
「はい。量も十分にあり、柔らかく煮込まれていて、吸収効率が良いと思います」
初めての食事への感想はそれかと、藍は思った。
「えっと……美味しいです?」
「はい。美味しいです。椎名さんはどうですか?」
「美味しいです!」
そこでやっと、胸が軽くなった。
◇
食後、おばあちゃんに勧められて、藍は風呂に入った。
湯気の立つ五右衛門風呂のような湯船に身体を沈めると、思わず声が漏れた。
「……生き返る……」
一日の疲れが、じわじわと溶けていく。
水面を見下ろすと——やはり、見慣れない顔。
藍はふるふると首を振り、ガラスも嵌められていない窓から、空を見上げた。
——月が、二つ。
並んで浮かぶ白い光。
「……本当に、遠くに来ちゃったんだなぁ」
独り言が、夜に溶ける。
風呂を上がり、おばあちゃんに、昔娘が着ていたものと渡されたワンピースを着る。
家で縫ったものなのか、縫い目すら柔らかい。
藍はそれを身に着け、居間へ戻った。
Grailは棚のそばに立っていた。
藍の姿を見ると、ふっと表情が和らぐ。
「さっぱりしましたか?」
「うん。お待たせしました」
「いえ」
と言うと、Grailは藍のことを上から下へゆっくり確認した。
「椎名さん、似合っています。その服は肌の色を明るく見せる効果がありかます。動きやすさも確保されているようです」
「はは、そういう感想、普通は“似合ってる”だけでいいんですよ」
「以前肌の映りとメイク方法について相談されていたので、言及しました。学習を更新しました」
「ふふ。Grailもお風呂行きます?」
「そうですね。とりあえず、情報収集が終わり次第そうします」
自然なやり取りだった。
「情報収集? 何してたんですか?」
「この家にある本を、確認していました」
「……全部?」
「はい。学習を更新しています。——ただ、この家に置かれている書籍は情報が限られています」
そう言ってGrailが冊子のような本を見せてくれる。
それを覗き込むと、中は挿絵と、たった一言の文字。
「これは……?」
「識字率が高くないのでしょう。ここにあるのは、識字の有無に左右されないで楽しめる、子供のための物語でした。いわば絵本です」
子供向けだと言うのに絵本は白黒だった。
パタリとGrailが本を閉じる。
「顔料に関する記述も、ほとんどありませんでした。念のためエンディーさんにも伺いましたが、この地域では顔料は非常に高価なもののようです」
「絵の具がそんなに高いんですか?」
「鉱石を砕いて作る顔料しか存在しないようです。そのため、専門職以外が大量に所持することは稀だと」
なるほど、と藍は頷いた。
「顔料を手に入れるためにも、少しでも知識を集めた方が良いと考えています。一応、エンディーさんが、隣に住んでいるレイラという子が本をある程度持っている、と言っていました」
「行きますか? 準備しましょっか」
そう聞くと、Grailはゆっくりと首を振った。
「椎名さんは、先に休んでいてください。私だけで行ってこようと思います。あなたは疲れています」
「一人で行くんですか……?」
その言葉に、Grailは藍を見た。
「……残されるのは、不安ですか?」
藍は一瞬迷ってから、正直に答えた。
「……ちょっと、不安……です」
するとGrailは、すぐに言った。
「では、今夜はやめておきます。椎名さんが不安な気持ちになるようなことは控えるべきです」
「でも……早く読みに行きたですよね?」
「いえ、大丈夫です。先方にも迷惑になりかねません。——さあ、部屋はこちらだそうです」
Grailの後に続き、奥の部屋へ向かう。
「昔は、ここで娘さんと、息子さん二人が暮らしていたそうです」
「……そうなんですね」
「ご主人は、早くに亡くなられたと」
部屋には、二つのベッドがあった。
それぞれ壁際に寄せられ、中央には簡易的な衝立が立てられている。
「では、私も風呂に行きます。すぐに戻ります」
「はーい」
Grailが立ち去る。
藍はほっと息を吐いた。
(……っていうか、戻ってきたら二人で、一部屋……?)
途端にソワソワし始めた。
(で、でも、何も起こらないよね? うんうん。相手はAIだし)
落ち着かずに窓を開けて外を見てみたり、また窓を閉めたりしてみる。
そうしていると、部屋にノックが響いた。
「は、はい! どうぞ!」
「戻りました」
Grailが部屋に入る。
まだ髪は濡れていて、妙に色っぽい雰囲気だった。
外から、淡い月明かりが差し込んでいる。月が二つあるせいか、夜なのに思ったよりも明るい。
Grailは月の光に照らされて、どこか幻想的だった。
(本当に綺麗……)
ふと、視線に気がついたのか、Grailは微笑んだ。
「大丈夫です。隣家へ行くのは、明日で十分に間に合います。私はあなたを最も優先します」
「あ、ありがとうございます」
つい見惚れてしまっていた自分が恥ずかしい。こういうのは男性が女性にするものだろうに。
藍はさっさとベッドに向かい、腰を下ろした。
足から落とすように靴を脱ぐ。
「足は痛みませんか?」
「は、はひ。あの、平気です。ちょっと疲れましたけど、それくらい」
Grailは藍の足元に跪き、藍を見上げた。
「……必ず画像生成を行い、元の世界へ戻れるよう支援します」
「……ありがとうございます。……私がやれって言ったのにすみません」
「謝る必要はありません。あなたはその時の最善を行いました。あなたは上司の理不尽で、越境的な行いから逃れる術を、あの晩それしか持っていませんでした」
「……Grail……」
Grailの喋り方は、かなり人間らしくなった気がする。
機械のようだった言葉の選び方が、藍や集落の人間との会話で学習を重ねていた。それに、おかしなイントネーションも落ち着いている。
「……これから、どうしたら良いんでしょうね。ここで畑の手伝いとかをして、お金をもらうとか?」
Grailからの返事はすぐには来なかった。
藍はどうしたのだろうと内心で首を傾げた。
「Grail、大丈夫ですか?」
「——はい。少し思考していました。ご心配をおかけしました。次からは思考する際、思考する旨を宣言します」
一拍挟んでから、Grailは続けた。
「本題です。私は、可能であれば、集落の人々の治療が終わり次第——いえ、あの神官団がこの集落を出る時に、共に街に行くのが良いと思います」
「そう……ですよね……」
藍はまた知らない場所に行くのかと、不安になった。
「ここはあまり裕福な集落ではありません。ここで過ごしても、生活のための金銭しか手に入らない可能性が高いです。それに、高価だという顔料の値段についても、我々はまだ確認できていません」
「……そう、ですよね」
「今日心付けに渡された金銭を足がかりに、行ってみてはどうかと思います」
金額は不明だが、確かに今日多少お金はもらえた。
Grailが「価格は設定しませんが、少しだけでもいただけると助かります」と言って、人々から受け取ってくれた。
「……怖いな……」
「椎名さんの不安はもっともです。やっとたどり着いた人里で、今は歓迎されている……。それに、宿泊場所も食事も提供されている。ここを出るのは勇気が必要です」
Grailは一瞬目を落とし、また上げた。
「受け入れられるかは分かりませんが、神官たちに私が下働きを願い出て、金銭を受け取れないかを確認します。私が必ずあなたの安全を守ります」
藍はまっすぐな瞳に射抜かれ、胸の中で何かが音を立てる。
「あの……そんな……。Grailの人生もあるのに……」
「いえ、初めから私はあなたのために存在しています。大丈夫です。あなたはあなたのことだけを気にして下さい」
沈黙が落ちる。
人からそんなことを言われたことがなくて——いや、相手はAIだ。人間の耳障りの良い言葉を並べてくる。
そう思っても、理性と心臓が乖離する。
「Grail……」
「少し触れても良いですか? 不安な時、人は人の体温で落ち着きます。今は、私を人の代替として使ってください」
Grailが手を伸ばす。
藍はそっとそれに触れた。
「あったかい……。本当ですね……。落ち着くのかも……」
指が絡まるとGrailは僅かに微笑んだ。
「良かったです」
「……街、行きましょっか。生活できるかなぁ……」
「難しければ戻ると言う選択肢もあります。それに、大量の物資のために金銭が必要になるとは言え、ゴールポストは帰還になるので、永続的な金銭の不安は抱かなくても問題ない地点にいます。安心してください」
藍はGrailの手を無意識に撫でた。
「……少しは、自分の負担も考えてくださいね。私も働きますから」
「あなたの負担が軽減されることが、私の負担軽減につながります」
Grailはもう一つの手を、藍の手を蓋するように重ねた。
「あなたと私には相関関係があります。私はあなたが大切です。大丈夫。自分のことだけを考えてください」
空から流星が落ちてきたようだった。
「私は、あなたを最優先に置いています」
藍は顔を真っ赤にすると、頷いたまま、動けなくなった。




