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第72話 空を読んで

 港は、朝から慌ただしかった。


 藍たちを乗せる船が、ゆっくりと桟橋に横付けされる。

 白い帆、太いマスト、そして船腹にはバラミス共和国の紋章。


 藍はタラップを上がりながら、思わず息を吐いた。

「うわぁ……大きい船……。これ、壊れないんですか?」

 鉄で覆われた豪華客船みたいなものでもなく、木材で作り出されている巨大な船は、若干怖かった。

「海路は初めてですか? うちの船はエル・レシア神政国に引けを取らない造船技術がある」

 隣でエライヤとニカが笑う。

「ここまでの船を作れる国はそうそうありません!」

「へ〜。すごいですねぇ」


 呑気な藍とは裏腹に、アルベルトとGrailは忙しなく働いていた。

 Grailは名簿と乗船する者を細かくチェックしている。

 恩を売るために同行する魔術師たち、護衛、船員たち。

 これは思いもよらぬ伏兵が混じると命に関わるので、自分がやると言って聞かなかった。


 アルベルトも、運ばれて行く荷物を前に声を張っていた。

「王国からの介入が入らないよう沖に出て回って行く! 物資を惜しむな! 後に全て神政国から補填する!!」


 荷物が運ばれて行くうえに、牛や羊、豚が乗せられて行く。

 水は魔法で海水から取り出すようだが、エネルギーだけはああやって連れて行くらしい。

 たった一日や二日の移動でもこれだけの人と食料がいるのかと瞬く。

 そして——「私も何か手伝うか」

 藍はローブの袖をまくると、アルベルトの下へ行った。

「何かできる?」

「ここは良いよ。力仕事ばっかりだからね。それより、君が泊まる船室を見せてもらっておいで。——そこの。聖女殿を船室へ」

「はーい! グランハルトさん、ニカ・ドーリマンにお任せ下さい!」

 ニカが元気に手を挙げる。

 藍は良いのかなぁと思いながら案内された。

「……ここ、私たちだけ?」

「ええ。聖女様と聖人様ですから! 一部屋になってしまって申し訳ないんですけど、船尾楼(せんびろう)にある客室がここだけなので」

 広い。窓もあるし、素敵なカウチソファと、ベッドが二台。

「ちなみに、私達共和国の者とグランハルトさんは船内の部屋で寝ますので、もし夜間何かありましたらそちらへどーぞ」

「ありがとうございます。何号室ですか?」

 ニカは目をぱちくりさせると笑った。


「皆で一部屋ですよ? 中はぶちぬかれてるので。一応女子は手前のハンモックオッケーって言われるんで、手前を狙って行きます!」

 じゃ、とニカは去っていった。

 その時、船が動き出すのを感じた。


 窓の外で港が離れていく。

 藍はそれを眺めながら、アルベルトもこの部屋じゃないと可哀想だな、と思った。


 ◇


 船は沖へ出た。


 甲板に立つと、視界いっぱいに海が広がる。

「綺麗……」

 藍は思わず声を上げた。

 何時間でもそこから海を眺めた。


 流石に飽きてくる頃、ぽつ、ぽつ、と冷たいものが頬に当たった。


「……雨?」

 風向きが、変わった。


 アルベルトと話をしていたGrailがこちらへ駆けてくる。

「椎名さん、嵐になりそうです。船室へ戻りましょう」

「分かりました」

 船室に戻ると、言葉通り、風は急に強まり、船体が軋み始めた。

 窓辺で外を見ていると、波が高くなり、甲板が大きく揺れる。

「わわわ」

 よろけていると、パッとGrailが藍をキャッチした。

「椎名さん、座りましょう」

「グレイルの言う通り。危ないから座っていなさい」

 カウチソファで書類に目を通していたアルベルトにすら注意されてしまう。二人とも大人のようだった。

「はは、ごめんなさい」


 その後、ズズ……と椅子が移動を始めるほどに揺れ始めると藍は呟いた。

「……怖いね。壊れないですよね……?」

「壊れないとは思いますが、非常に大型で、勢力の強いものですね」

「タイタニックになったらどうしよう……」

「あれは氷山にぶつかっています。ですが——」


 Grailは詠唱符用紙を取り出した。

 走り書きで数式と図を書き始める。と言っても、印刷並みの綺麗だが。

「気圧勾配。上昇気流。海面温度……これらを操作できれば、降雨は止められます」

「……今、天気の話してます?」

「はい」


 揺れが激しくなり、座っていても体が揺れる。

 Grailは藍の肩を抱き寄せ、固定するとさらに図解を始めた。

「行うことは三つです。高気圧への書き換え、上昇気流を下降気流へ変更、海面温度を下げて雲の燃料となる水蒸気の供給を止める。以上です」


 早速異次元の説明だった。

 なので、とGrailは言うと、途端に講義が始まった。

 藍は慌ててGrailから詠唱符用紙を受け取り、メモを取る。

 いつの間にか、仕事をしていたアルベルトも輪に入っていた。

 アルベルトは天気は神にしか変えられないだろう? と訝しみながらも、彼なりに話を聞いた。


 いつしか、右のGrailに揺れないよう肩を抱かれ、左のアルベルトから倒れないように背に手が添えられる。

 藍はなぜか目を回しそうだった。


「ま、待って! 二人とも、一回離れて下さい!!」

「はい」

「ん、気をつけるんだよ」


 二人が離れると、藍はやっぱりふらついた。

 ふらふらしながらせっせとメモを取る。

 そして、同時にGrailが詠唱符を書き始める。

 まだ理解しきれてないが、Grailのペン先は止まらない。


「——できました」


 Grailは立ち上がる。

「一応注釈として付け加えますが、下降気流作成のため、急激に辺りの温度を下げるように詠唱符は作成してあります。触れずに確認しておいてください」

「か、確認って、私、分かるかな?」

「もう十分わかってるよ。魔法は発動する」


 “大丈夫”の笑顔を作ると、アルベルトへそのまま視線を送った。

「揺れるので、頼みます!」

「安心して任せてくれて良いよ」


 Grailはそのまま船内を駆けた。


 避難していた魔術師たちの前で、声を張り上げる。

「椎名さんが雨を止めます! ただし、詠唱符が濡れると機能しません!」

「え……? 天候操作……?」

「聖ヴェクター殿、そのようなことが……?」

 ありえない、と魔術師たちと神官たち、それから乗組員たちが目を見合わせる。


 騒然とする中、エライヤは即座に怒鳴った。

「聖女を濡らすな! 予備の帆を張れ!! ——ニカ、布を出すように倉庫(セーラールーム)にいる帆縫い係たちに声をかけろ!」

「は、はい! ヤージャ様!」


 皆慌てて動き出す。

 そちらのことを任せ、船室に戻る。

 中では藍が真剣に詠唱符を見つめていた。


「戻りました。どうでしたか?」

「——分かる。できるよ」

 藍が言う。

 隣でアルベルトが息を呑んだのが聞こえた。


 外に出ると、風が唸る。船が大きく傾く。

 屋根のように縛られている帆は風に激しく煽られていた。

 皆、自分が船体から投げ出されないように体を縛っている。

 本当にできるのかと言う、半信半疑の視線が集まる。


「やります」

 小さく告げると、藍はGrailの書いた魔法陣に触れた。

 複数枚に亘って描かれた魔法陣は紙から剥がれるように浮かび上がると、空中で陣同士が集まって繋がり、マストをすり抜けていった。


「あぁ……」

「なんて……」


 喘ぐような声があちらこちらから上がる。

 その時、屋根にしていたマストを留めていたロープが切れて飛んでいく。

 晒された空には、巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。

 中心には漢字で“気”と記されている。

 回り続ける陣に、大雨の中、藍が手を伸ばす。

「払って」

 カッと光が注ぐ。

 あまりの眩しさに皆目を覆った。


 そして、風が止んだ。

 ぽつ、ぽつ、とマストから雨水が滴り落ちる。


 藍は、まだ空に浮かぶ魔法陣から目を離すと、Grailとアルベルトに振り返った。

「止んだけど、濡れちゃったね!」

 笑う藍があまりにも綺麗で、Grailは頷くことしかできなかった。


(人の美醜の判断基準は……持っていないはずなのにな……)


 自分に苦笑する。

 次の瞬間、乗組員たちから、遅れて歓声が上がった。

「うおおぉーー!!」

「聖女様、ばんざーーい!!」


 いつの間にかGrailの隣にいたエライヤとグランハルトも笑う。

「いよいよもって、本物じゃないか……!」

「……とんでもないことになってきたね。ははは」


 ◇


 嵐の去った後の空は、信じられないほど澄んでいた。

 藍は甲板に立ち、夕暮れが迫り始めた空を見上げる。


「Grail、すごいね。雷もそうだけど、皆感激してましたよ」

「椎名さんがよく頑張ったからです。お疲れ様でした」

「ううん、Grailが頑張ったよ」

 うーんと伸び、空を見上げると、徐々に星が見え始めていた。

「綺麗。Grailだったら、星も落とせそうだね」

 Grailが目を丸くする。

 流石にそれは無理かな、と笑うと、数秒の思考を挟んだ。

 そして——「……落とせます」

 世間話のはずだったのに、とんでもない回答だった。


「そんなことしたら絶滅しちゃいますよ。恐竜みたいに」

「いえ、必ずしもそうではありません」


 Grailは手をグーにして見せると、解説を始めた。

「衝突の冬が起きる条件は厳しいです。直径一キロメートル以上、衝突エネルギーは核爆弾数万〜数十万発分。成層圏に大量の粉塵と硫黄を到達させ、太陽光を年単位で遮断させる必要があります」

「へぇ〜。じゃあ、恐竜の時のは大きかったんですね?」

「チクシュルーブ隕石は直径十キロメートル級です」

「……それは……何万年栄えても死んじゃうわけですね……」

「はい」


 少し黙ってから、藍は言った。

「そんなこと、しちゃダメですよ?」

「しません」


 だが、Grailは続けた。

「ですが、例えば——富士山五湖のうちの一つ、山中湖をクレーター湖と仮定した場合、それを作った隕石は直径百五十から二百五十メートル級にあたります。この規模では“衝突の冬”は起きません」

 ふーん? と思いながら、藍はハッとGrailを見た。

 Grailが静かに頷く。

「……湖……」


 藍は察した。

 戦争の発端。

「それ……作れるんですか?」

 Grailは空を見上げる。

「——とはいえ、一国をパニックに陥れる、地域絶滅級の破壊力は持ちます」

「……やっぱりダメだね」

「そうですね」


 どちらともなく船室に戻って行く。

 部屋に入ると、Grailは置いてある海図を一本抜き出した。海図とは言うが、海のモンスターみたいなものや竜みたいなものが描かれた、あまり実用的ではなさそうな代物だった。

「どうしました?」

「地図を出力します」

 海図の裏に、Grailは地図データを書き起こし始めた。

 等高線図。

 精密な地形。


 書類を書いていたアルベルトが顔を上げる。

「グレイル、その地図は?」

「国境の湖周辺のものです」

「あぁ、ヘルマン様が欲しがっていたやつだね」


 その言葉には答えず、Grailは詠唱符用紙に計算を書き続ける。

 そして、せっかくの等高線図に、円や注釈が増えていく。

 何度も何度も計算しては円が書き込まれる。


「あぁ……グ、グレイル……。そんなに神政国は嫌いかい……?」

 アルベルトは頭を抱えた。

「いえ、私は特定の国家に嫌悪感などは持ちません」


 相変わらずのAI節。

 藍はくすっと笑い、もう一度窓から空を見上げる。

 そこには——


 自分たちの上だけ、星空が広がっていた。

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