第71話 傾国の人
バラミス共和国、港湾都市カルケーに建つ大聖堂。
その大聖堂の抱える神職館は、いつもと様子が違った。
魔術師たちが次々と館内へと入ってくる。
神官のミラ・ワーレンはその様子をじっと見ていた。
「……何? あれ。なんで魔術師たちが神聖なる神職館に?」
軽蔑するような視線を送る。
バラミスでは神殿勢力と魔術師勢力は大して仲も良くない。
女神たちの力を使うだけ使って、大して祈りにも来ない不信心者。
「——なんでも、聖女様を護送してるんだって」
隣にいた同期のフィール・バンが答える。
「何? 聖女って」
「え、ミラは聞いたことない? エル・レシア神政国に現れた、他者の詠唱符を使うとかいう人」
意味がわからなかった。
「いや、それ詠唱符書いた人が使ってるだけでしょ」
「それがさぁ、光路線になってない詠唱符を受け取って、魔法を発動させるんだって」
「嘘だ。そんなことありえない。フィールは誰に聞いたの?」
いくらなんでも、それを素直に受け取れというのは神政国のプロパガンダに踊らされすぎだった。
「え、普通に神政国から来てる商人とか」
海を渡っている間にあれこれと話が捻じ曲げられているな、と思う。
「民衆の統制が相変わらずうまい国だよね。神官と魔術師の仲が良いとそうなるかね?」
「いやぁ、でも、それが本当らしいよ? だから、こうやってメギスト王国に行ってた公認魔術師たちがわざわざ守って移動してんだって。神政国まで送るらしい」
「馬鹿馬鹿しい。宿に泊まれば良いのに」
「民間の場所だとどんなリスクがあるか分からないから、神職館なんだってさ。宿だとメギスト王国の人とか普通にいるし」
どんなトリックを使ってるんだかと、ミラは顎を出してため息を吐いた。前髪がふわっと息で浮く。
すると、にわかに談話室がざわめいた。
「あ、来たみたいだよ」
フィールが首を伸ばす横で、ミラも首を伸ばした。
魔術師たちの話が聞こえてくる。
「——あの雷の魔法は……正直、人知を超えています」
「上空で回るあの魔法陣を見ましたか? 見たこともない文字、記号……」
「神業というより、神そのものの御業としか思えない……」
「威力も、これまで考えられてきたものの中でずば抜けて高いですよ……」
どこか皆顔が青い。
それほどすごい魔法が使えるのかと思うと同時に——
(それ、聖女じゃなくて、普通に殺傷能力高めの公認魔術師じゃん)
ミラはズバリ、正体を突き止めた。
そして——魔術師たちの中、足を進める三人。
「お部屋の準備をしておりますので、聖女様ご一行はこちらでお待ちください」
公認魔術師は言い、キセルを取り出して去った。
キセルは神職館内では禁止されているので、外に吸いに行くのだろう。
それはそれとして、ミラは思わず声を漏らした。
「うわぁ……」
顔を晒している男性二人の美しさ。
特に一人は尋常じゃなかった。
非現実的にすら見える、ただの一点たりとも欠点のない美貌。
もう一人も非常に整っているが、そちらは人間の領域に収まっている。
「アイ、もう良いよ」
「お疲れ様でした」
優しく一人が声をかけると、もう一人が椅子を引く。
本当にお姫様扱いだった。
そして、聖女だと思われる人物が目深に被っていたフードを下ろした途端、呼吸を忘れた。
星の煌めきを編んできたかのように輝く髪と、湖の底を思わせる潤んだ瞳。
纏う儀式用の美しく豪奢なローブも、中に見え隠れする贅を尽くしたドレスも、決して見劣りしない圧倒的な美。
シミやそばかすなどただ一つも存在せず、産毛すらないような皮膚は、空気に溶けてしまうのではないかと思うほどに透き通っていた。
「あ、あれが……聖女……?」
人間離れしすぎていた。
凝視しているのはミラとフィールだけではない。
皆が言葉を失っていた。
聖女は自らを覆い隠していた外套を脱ぐと、それを畳んでから、ゆっくりと椅子に掛けた。
「椎名さん、私は学習をしようと思います」
「そうですね。本もたくさんありますし、やってください」
「はい、行ってきます」
お付きのように見える一人が頭を下げ、ミラの方へ向かってくる。
(え、え、え!)
彼はミラの前に立つと、後ろを指さした。
「本を見ても良いでしょうか?」
「は、はい! ど、どうぞ」
そういうことかと、慌てて道を譲る。
彼は本棚の一番左上から一冊取り出すと、パラパラとめくっていった。
「あ、あの……お名前は……?」
つい聞いてしまった。
一瞬ちらりと視線を向けられるが、視線はまたすぐに本へ落ちた。
「私はGrail Vectorです」
「グレイル・ヴェクター様……」
ヴェクターはミラの隣でもくもくと本を読んでいった。
ミラは、この人たち、本物なのかも——と、その振る舞いだけで、思わされた。
◇
「ちょっと視線が強めですよね」
藍はアルベルトの耳に口を寄せ、こそこそと言った。
「ドレスアップしてるアイはいつにも増して綺麗だからね」
「えぇ……野宿直後で酷い有様なのに……。皆そう思ってるんじゃないかな……」
「ふふ、それは自分を低く見積りすぎだよ。君はどんな花よりも美しい」
アルは笑うと髪をすくって、当たり前のように口付けた。
「それにしても——グレイルは共和国文字も読めるのかい?」
「読め……ます。うん、読めます。すごく勤勉。すごい。Grail、さすが」
藍の言葉はロボットのようだった。
「やはり、外国の文字も読めれば読めただけ知識の幅は広がるから良いのかねぇ」
アルベルトは納得するように肘をついてGrailの背を眺めた。
「……まだお部屋できないのかなぁ」
藍が呟く。
「ん、時間がかかってるね。あまり利用しない部屋を当ててくれるつもりなのかな?」
布団で寝られるなら、何も文句はないとアルベルトは笑う。
「ねぇ、アル? 明日、船に乗る前に買い物する時間ないかな?」
「ん? 買い物? 何が欲しいんだい?」
「この服のままだといられないから」
「ふーむ……」
アルベルトは数秒悩むと立ち上がった。
「悪くないよ? 中は? 見せてごらん?」
ローブを脱ぐと、周りから「わ」と声が上がり、藍は顔を赤くした。
「ほら……。少なくとも普段着じゃないよぉ……」
「なるほど?」
くるくる周りを回って歩き——背筋につん、と触れられると跳ねた。
「ひゃっ! な、なに!?」
「いや、随分良い背中だなと」
意味がわからない。
「勝手に触らないで!」
「ははは、ごめんごめん」
アルベルトがおかしそうに笑って座ると、藍はローブを着直し、続くように座った。
「——グランハルトさん、あなたは信用できますが、許可なく触るのはどうかと思います」
Grailが戻ってきて座る。
「また怒られてしまった。いやぁ、アイの準備ができるのはいつだろう」
楽しそうに鼻をツンと触られ、藍はじとっとした目でアルベルトを見た。
「準備できない。結婚しない。付き合わない」
キッパリと言い切った。
「まぁまぁ、すぐに決める必要はないよ」
「もう決めてるの!」
Grailが苦笑している。
なんとか言ってくれと思っていると、この神職館に入る前に挨拶をした神殿長が現れた。
「お待たせいたしました。お部屋のご準備が整いました」
やれやれと立ち上がり、神殿長の後に着いて行こうとすると、ふとアルベルトが足を止めた。
「——アル?」
「アイ、ふざけて言いそびれたけれど、服はそのままが良いと思うよ」
「まだふざけてる……」
そう思ったが、アルベルトの顔は真剣だった。
「いや、今エル・レシア神政国には聖女の奪還、再訪の物語が必要なんだ。君のその装いは、国にとってこれ以上なく都合が良い。聖女だと一目でわかる」
「……国にとって……?」
静かに頷く。
「聖典領ルメルディー、首都アルサニアに直接船を付けてもらえそうだし、そうさせてくれないかな」
その方が良いのか、悪いのか、Grailを仰ぐ。
「——神政国内ではどのような話に?」
「……アイの首元に刃物が当てられていたから、グレイルが仕方なく従ってメギスト王国へ渡ったと。無論、私はヘルマン様から直接そうではないと聞いているよ。けれど、世の中はその筋書きで回ってる。君たちの帰還は国にとって良い意味で事件だ」
「……納得しました。では、立場は魔術省、神政省よりも我々の方が上だと思って良いですね」
「もちろん。国がアイを売ったから、グレイルがブチ切れて神政国を見捨てた……と、真実を言われては困るからね」
Grailの口角が上がる。
不思議と、それは残忍なものに見えた。
「良いです。椎名さん、そのままで行きましょう。私もこのまま、儀典用の服で行きます。今の筋書きなら、我々は思うように動けます」
ただ「有利な盤面を理解した顔」。
だが、そういう顔をするのかと、藍はGrailを眺めながら、静かに頷いた。




