第68話 バーニー
「椎名さん!!」
Grailの声が建物と建物に反響する。
藍は引き込まれ、体に腕が回るのを感じた。
「は、離して——!」
その瞬間、腕の力は弱まった。
「ご、ごめん。つい」
「……ふぇ?」
聞き知った声。闇の中で、その男はフードを下ろした。
「やぁ、こんばんは。聖女様」
——アルベルト・グランハルト。
藍はまだ自らを抱いたままの存在に目を見開いた。
「ア、アル!? どうしてこんな——」
と、全てを言う前にGrailの怒声が響いた。
「——離せ!!」
「や、グレイル。元気そうだね」
アルベルトを見ると、Grailも毒気を抜かれたように目を瞬いた。
「グランハルトさん……?」
そして、向こうからロベルトとバーニーの声が響く。
「シーナ様!!」
「シーナ様ー!!」
三人は路地の入り口を見ると、一旦奥へと駆けた。
樽の影に身を潜める。
そして、抑えた声で話した。
「アル、どうしてここに?」
「今日の祝賀会は人の流れ込みがあるからね。バラミス共和国との付き合いで、話が海から入ってきたのさ。良いチャンスだから、来てみたよ」
「き、来てみたって……」
藍は肩の力が抜けるようだった。
向こうからバーニーとロベルトが探す声がする。
Grailはちらりとそちらを見てから、アルベルトと藍を体で隠すようにした。
「グランハルトさん、見つかればただではすみません」
「もちろん分かっているよ。さぁ、早く行こう。出入りの多い今なら共和国側の国境を越えやすい」
Grailが問うように藍を見る。
「い、行けない。今は行けないです」
「何故? 荷物かい?」
「私、まだどっちに付くって決められてない」
「なるほど? エル・レシア神政国は君を売ったからね。理論と引き換えに。与する気は失せた、かな?」
「そんなんじゃない。王国に来るのは私が自分で決めたから。ただ、ここで生きてる人もいるって分かっただけなの」
遠くから、祭りの喧騒が聞こえる。
アルベルトは微笑んだ。
「そうだね。そうだとは思ったよ。一応言ってみただけさ。私なりの予防線だった」
藍から力が抜ける。へらりと笑い返した。
「——ダメだな。来ます」
Grailは言うと、立ち上がった。
「ヴェクター様! シーナ様は!?」
青い顔をしたバーニーが尋ねる。
次の瞬間——
「そこの者!! 立て!!」
ロベルトの声が響き渡った。
詠唱符に杖ペンの先が当てられている。
いくつかの単語が書かれていく。視線をアルベルトに向けたままだというのに光路線として、成立している。
ロベルトの持つ魔術師としての技量を物語るようだった。
アルベルトはゆらりと立ち上がった。
「貴様、何者だ」
「通りすがりですよ。聖女様があまりに美しかったので、触れてみたくなりました」
次の瞬間、バーニーが目を丸くする。
「ヘルマン・クイーンズの犬!?」
「——何!?」
「ヘルマン様が有名なのは知っていましたが、私の顔まで知っている人がメギスト王国にいるとは意外ですね。戦争に出たことはないはずですが」
ロベルトの視線が鋭くなる。
バーニーは腰に下げていた小さな短剣を抜いた。儀礼用だろうが、刃は鋭かった。
アルベルトも道具鞄から静かに杖ペンを引き抜き、ロベルトとバーニーから目を離さないまま詠唱符にペン先を下ろす。
どうしたら——。
藍が悩んでいるうちに、Grailがアルベルトの前に立ちはだかった。
「ロアさん、バーニー。この人は椎名さんに必要です。傷付けられては困る。それに——私はあなたたちを傷付けたくない」
バーニーは叫ぶ。
「ヴェクター様!! そこを退いてください!!」
ロベルトはじっとアルベルトを見ると、バーニーの肩に手を置いた。
「バーナード、やめろ」
「で、でもロベルトさん!」
ロベルトの視線はアルベルトに固定されたまま、ただ首を振った。
「エル・レシア神政国の。名と所属は」
「……アルベルト・グランハルト。オルビオーネ領、ルビオン魔術会館所属、公認魔術師だ。師にはヘルマン・クイーンズ上級魔術師を頂いている」
「……花咲く街の公認魔術師か。クイーンズの弟子というのは不服だが……背に腹は変えられん」
「……何だ?」
アルベルトが眉を顰める。
藍にはロベルトが何を考えているのか、ぼんやりと分かった。
「アルベルト・グランハルト……。お前を見逃す」
「え!? ロベルトさん!!」
バーニーが非難めいた声を上げる。
「ふふ、私は運がいいらしい。聖女の加護かな?」
アルベルトは真剣な顔のまま軽口を叩いた。
「ただし、条件がある」
「……条件?」
ロベルトはバーニーの背をそっと押した。
「シーナ様たちと戻る時、バーナードを連れて行け。この子はエル・レシア神政国の子供だ。名前はバーナード」
「うちの国の? それで私の名前とヘルマン様の関係を知っていた?」
バーニーはロベルトに背を押されると、途端に短剣をしまって、ぴょんと前に一歩飛んだ。
「——そうです。僕、本当は神政国の見習い魔術師なんです。一緒に連れて行ってください」
「捕虜だったのかい? おいで」
アルベルトが腕を広げると、バーニーは平気な顔でそこに飛び込んだ。
人懐こい顔でアルベルトの胸に顔を擦り付け、アルベルトはギュッとバーニーを抱きしめた。
「バーナード、君、姓は?」
「僕はバーニーで良いです。僕の中はバーナード・ロ——」
「姓は不明だ」
ロベルトの言い切りに、バーニーから「え?」と小さな声が漏れた。
「その子は以前の戦争で、ヘルマン・クイーンズの魔法で両親を失ってる。国境の街——フォーラにいたところを……私が連れ帰った。分かるのはバーナードという名だけだ。その子も幼かった」
「え、え? ロベルトさん?」
「連れて行って、帰る場所を探してやってくれ。向こうに親戚や、バーナードを探す誰かがいるかもしれない」
アルベルトに掴まっていたバーニーはアルベルトを突き飛ばした。
「ロ、ロベルトさん! 諜報じゃないなら僕は行きません!!」
アルベルトは藍とGrailに事情が掴めないとでも言うような目線を送った。
「バーニーは、ずっとロベルトさんが育ててくれてたんです。神政国に国籍があるから、諜報員として駆り出されてたみたいで……」
「アイ、それじゃあ連れては帰れないよ。バーナードはまた我が国を売るだろう?」
藍とアルベルトのやりとりを見たロベルトは頭を下げた。
「それは申し訳なかった。今回戦争が見えてきて、枢軸にいる貴族や魔術師たちからバーナードに白羽の矢が立った時……私はバーナードが神政国に帰れる良い機会だと思った」
バーニーが首振る。
「そんな……」
ロベルトは静かに目を伏せた。
(長すぎる時間を共にした……)
◇
深夜。泣き声がする。
「ぱぱぁ……ままぁ……」と重ねられる声。
ロベルトは目を覚ました。
国境の街で、思いがけず拾って帰ってきてしまった子供。
そっと扉を開けると、バーナードと名乗った子は床に敷いてやっていた布団から飛び上がった。
何度も謝り、ロベルトの服に手を掛ける。
あまりにも哀れで、ロベルトはただバーナードを抱きしめた。
その日の夜から、バーナードの隣で眠り続けた。
害さない大人がいると知ってほしい、それだけだった。
日々を重ね、バーナードは夜に泣くこともなくなった。
悪夢で目覚めることも、夜尿で肩を落とすことも。
バーナードは自分はバーニーだと誰にでも言った。
生まれの名を否定するようにも聞こえたし、必要以上に愛着も湧きそうだったから、ロベルトは決してバーニーとは呼ばなかった。
この子はいつかあちらの国に返さなくては行けないと知っていたから。
二人でピクニックに行ったり、本屋で王国と神政国の文字の対応表を買ってみたり、観劇に行ってみたりもした。
大きくなると、魔術宮の仲間たちはバーナードを快く迎えてくれた。
あんな国捨てて正解だよと言われるたびに、バーナードは祖国を見限るように同意して笑った。
ロベルトは、自分がどれだけ取り返しがつかないことをしたかを、日々突きつけられるようだった。
若いお父さんね、と言われるたびに否定し、時には親戚のお兄さん? とも言われた。
「うちも軍属のコックだったから、戦争の間親戚に子供を預けたよ」と言われた時、ハッキリと認識した。
この子を探す人がいる。
ロベルトはただそばにいて、彼が判断がつく歳になる日を待った。
バーナードは勝手に育った。
そして、——諜報員としてあちらに渡って欲しいという話を聞いた時、その日が来たと思った。
そのままあちらに居着いてくれと思って送り出した。
なのに、バーナードはまたここに帰ってきてしまった。
ロベルトは目の前の神政国の公認魔術師を見て確信する。
このグランハルトという男は、たとえ仇のヘルマン・クイーンズに師事しているといっても、人間性は信用できる。そんな気がした。
「ロベルトさん! 何言ってるんですか!?」
バーナードが叫ぶ。
ロベルトはこちらに戻ってこようとするバーナードへ手を挙げて押し留めた。
「バーナード、お前を本当に愛してくれる人があちらにはいる。行くならもう今しかない。事情は話した。お前は裁かれない!」
「な……」
グランハルトたちへもう一度頭を下げる。
「シーナ様たちも、頼みます。この子は何も悪くなかった。敵国に拐われ、右も左も分からず、大人たちの言うことに従うしかなかった」
シーナは黙って頷き、ヴェクターはグランハルトを確認した。
「……本当に私たちと来ると言うなら、軍事法廷に上げられても保護観察で済むようにします。私の研究室に迎え、私が保護観察官となることもできるでしょう。共に暮らし、内通の有無を監視します。ですが……」
グランハルトはバーナードを見た。
それに釣られて、ロベルトの視線もバーナードへ移る。
バーナードはグランハルトを睨みつけていた。
「あんた、偉そうに保護観察官だの軍事法廷だのって。どうせクイーンズが何か言ったら全部覆すんだろ。あんたみたいな正義ヅラした人間が僕は一番嫌いなんだ」
「いや、ヘルマン様が裁くと言っても私は君を守ると約束するよ。それに、アイとグレイルもそれを後押ししてくれるだろう。この二人の言葉は私なんぞの言葉より余程重要視される。子供は守られるべきだ」
「僕は大人だよ。あんたら大人が好きなように振る舞ってやってるだけだ。俺はもう自分でどこだって行かれる」
「バーナード!!」
ロベルトは咎めるように声を荒げた。
「やめろ! グランハルトさんも、シーナ様たちもお前の力になってくれる! 私がお前を連れ去ったりしなければ、お前の人生はもっと違うものになった。もう行け!」
「そんなの、詭弁ですよ!? 僕はロベルトさんといたいのに!」
呼吸ができなくなるようだった。
ロベルトは首を振った。
「もうこれ以上は私が無理なんだよ……。バーナード……」
「僕の何が悪かったんですか? 諜報だってうまく——いや、最初からシーナ様とヴェクター様、お二人必要だって報告できなかったからですか?」
「違うよ。お前は本当によくやってきた。でも、お前はずっとそうやって、大人の道具になろうとするだろう。向こうに行けばお前の人生を生きられる」
バーナードの泣きそうな顔が、幼い頃の彼の顔と被って見えた。
変わったことは、生意気な口をきくようになったところだけ。
「僕は別に大人の道具になろうとなんかしてない! ただ……ただあんたの役に立ちたかっただけだ!!」
「それが大人の道具になろうとしてるって言ってるんだよ!」
ロベルトはあまりの息苦しさに胸を掴んだ。
「もう良いから、早く行け、バーナード! お前が助けてもらえるのはこれが最後かもしれないんだよ!! 取り計らってくれる、これだけの身分がある人たちは二度と出会えない!!」
「俺は行かないよ!!」
バーナードの目からぽろぽろ涙が落ちていく。
可哀想で可哀想で、今すぐにでも涙を拭ってやりたかった。
何度そうしたか分からない。
ロベルトにとっては、添い寝をしていた日々すら昨日のことのようだった。
「なんであんたまで——」
バーナードの拳が震える。
「なんであんたまで俺から父さんを奪うんだよ!!」
ロベルトの息が止まる。
意味が分からなかった。
バーナードは数度肩で呼吸すると、硬直させていた筋肉から力を抜いた。
「……僕は本当に、もうどこにだって行けますよ。大人だから。それでもここに好きでいるのに、邪魔じゃないって言うなら、どうして出て行けなんて言うんですか……」
ロベルトはあれこれ言葉を話した。
別れる日に言おうと決めていた言葉はたくさんあったはずなのに、何も思い出せない。
「お前……」
「……親戚がいるかなんだか知らないけど……僕はもうあなたの息子として育っちゃいましたよ……」
バーナードが悲しそうに笑う。
ロベルトの肩から力が抜ける。
「……帰らないのか……?」
「帰るって、僕の家、ロベルトさんの家のつもりで生きてきたんですよ……?」
思わずハッと笑ってしまった。
自身の罪の象徴だと思っていたはずの子供は、大人になっていた。
ロベルトとて、民家を一つも焼かなかったかと言えば、答えはNOだ。
バーナードはロベルトの隣に来ると、並んで聖女たちを見た。
「僕のことは気にせずに行ってください」
ヴェクターが頷く。
「今慌てて不可逆な決断をする必要はないでしょう。バーニー、元気で」
アルベルトも肩をすくめた。
「気が変わって神政国に暮らしたくなったら、研究室に手紙を出してくれれば、口利きはしますよ」
「バーニー、色々ありがとうね」
聖女がバーニーに手を振る。
「いえ。シーナ様もヴェクター様もお元気で。お二人のおかげで、王国はこれから大きく発展していくと思います。だから……できれば、敵対しないで下さい」
「……うん。私たちもそのつもり」
グランハルトだけが苦笑する。
「館はそのまま残しておくようにします。お二人が下賜されたものですし、荷物もたくさんありますしね」
「バーニー、ありがとう。ロベルトさんもありがとうございました」
聖女がロベルトに頭を下げたところで、ロベルトははっと我に帰った。
「あ、いや——シーナ様……」
「バーニーのこと、何かあったらいつでも言ってください。出せるなら、手紙を出します」
「あ、て、手紙なら王城へ直接。あなたの名前なら、国境を通されます」
三人は駆け出した。
ロベルトは現実ではないようにふわふわした気持ちだった。
「……行ってしまわれた……」
呟く。
そして、バーナードを見下ろす。
「お前……本当に良いのか」
「良いですよ。嫌になったら勝手に出て行きますから。難民だって言って」
ロベルトは目を閉じる。
バーナードかロベルトに向かって走ってきて抱きついてくれていた、あの日々が瞼の裏に走る。
守らなくては——
「——聖女と聖人が攫われた! 衛兵!! 衛兵!!」
最後に自分のやるべきことを果たす。
衛兵たちが慌てて集まる。
三人が向かった共和国との国境ではなく、山々が連なる稜線への道を指差す。
山を越えて行くつもりに違いないと説明する。
衛兵たちが強く頷き駆けて行く。
追われはするだろうが、これで時間は稼げる。
ロベルトは衛兵が駆けて行く背を眺め、ふっと息を吐いた。
そして——
「バーニー、仕事だ」
彼と出会って、初めてそう呼んだ。
「はい。行きましょう、父さん」
バーニーは笑った。




