第65話 祝宴という名の楔
国土の半分にも及ぶ新しい地図は、魔術宮の広間で広げられていた。
紙の上を走る線は滑らかで、山脈は重なり、河川は呼吸するようにうねっている。
それを囲む魔術師たちの視線は、皆一様に熱い。
「……信じられん精度だ」
「半年、国中の術式部屋を出して叶えるものが、よもやこの短期間で……」
「陛下にお見せするのが楽しみですなぁ!」
口々に上がる感嘆の声。
ロベルト・ロアは、少し距離を取ってそれを眺めていた。
「そういえば——お二人は?」
誰かが尋ねる。
「本日も、別の地点の測量に駆り出されておりますよ」
ロベルトは苦笑して答えた。
「……聖人たちを働かせすぎると、天罰が降りそうですね」
冗談めかした言葉だが、誰も否定できない。
ロベルトは、心の中で同じ言葉を繰り返した。
——働かせすぎだ。
一度、術式部屋の方へ足を向ける。
確認したかったのは、ただ一つ。
(今回の測量も、バーナードはお供させてもらっているかな……?)
聖女らの術式部屋をノックする。
返事はない。
そっと扉を開け、バーナードの道具鞄が残ったりしていないかも確認する。
机の上は片付いているし、茶器も、道具も、いつもの場所に戻っていた。
——ちゃんと一緒に行けている。
それだけで、十分だった。
(……三人とも……早く神政国へ行けるといいな……)
誰にも言えないことを胸に、ロベルトは踵を返した。
◇
季節は、いつの間にか秋へと傾いていた。
屋敷の庭は、緑の名残を抱いたまま、金色へと移ろい始めている。
藍が階段を降りると、Grailがよそ行きの装いで待っていた。
「素敵です」
「また〜。それより——……いるだけで、いいんですよね?」
「ええ。王とのやり取りは、全て私が行います」
藍は、ベールのついたマスクを整え、小さく息を吐く。
(……素敵はどっちだか。やっぱり無駄に顔がいい)
見慣れたと思っても、ちょっといつもと髪型が違うとか、風呂上がりの様子だとか、疲れて頭を抱えてる瞬間だとか——ともかく些細なことで、この生成顔に唸らされる。
藍が腕を組んでうんうん頷いていると、玄関の扉が叩かれた。
「お迎えに上がりました〜」
「入っていいぞ」
Grailが言うと、ひょこりとバーニーが顔を出す。
バーニーも、やはりめかし込んでいる。
「バーニー似合ってるねぇ。素敵〜」
藍はすっかり仲良くなってしまった後輩まがいの存在に拍手を送る。
バーニーは照れくさそうにした。
「いやぁ、シーナ様が言われるともはや嫌味ですよぉ」
「え? どうして?」
「どうしてって、ご自分の素敵さお分かりですか!? もう、いかにも、聖女様って感じですし……なんか……宗教画のエリアンみたいです」
それって誰だっけと一瞬思ったが、藍の中の貧弱な脳の中でもちゃんとヒットした。
(あ、双子の女神の片割れ)
正解に至るとともに、すぐにその過剰すぎる評価に気がついた。
「ねぇ〜……。言い過ぎ。それにこれ、Grailが神殿の人たちと一緒に選んでくれたんです。……似合ってない気がして不安……」
例え生成フェイスが美人でも、表情の作り方が一般人では美人度も下がるというものだ。
バーニーは藍の言葉を数度咀嚼すると、Grailに振り返った。
「——なんて言ってますよ? ヴェクター様」
「似合ってるのにね?」
また一段と人間臭い返事をしている。
Grailが自然にそう言うと、藍はじとっとした目で見た。
「Grailは私が何着てもそう言うから信用ならないです」
この世界に来たばかりの頃に、「そういう時は似合ってると言うもの」と学習させたので本当に信用ならなかった。
「本当に似合ってるから、そう言うしかないんですが——でも、そうですね」
Grailは小さく笑って、バーニーの肩に手を置き、耳元で告げた。
「君の口からも、言ってあげて。私じゃない、人間の意見としてね」
「聞こえてますからね!」
藍の抗議に、Grailはおかしそうに笑って玄関を出て行った。
◇
その日、メギスト王国、王都アトラクトにある王城では盛大な祝賀会が開かれた。
メギスト王国が保有する国土のうち、実に半分もの広大な土地が、実在の地形と寸分の狂いのない測量を終えた——。
これは歴史的な快挙であった。
国土の半分が解明されたことを祝う祝賀会は、盛大に催され、国内のみならず、隣国のバラミス共和国、更にはあまり国交の深くない国々にまで亘って重鎮が招待され、メギスト王国の権威を広く国内外へと知らしめる場となった。
「——あの地図、本当にそれほど正確なんでしょうか?」
バラミス共和国から来ていた見習い魔術師——ニカ・ドーリマンが呟く。
そばで立っていたキセルを抱える女——公認魔術師のエライヤ・ヤージャが笑う。
「確認する術はないけど……少なくとも、あの細かさを“正確なのかもしれない”と私たちに思わせただけでも、王国は一個頭を突き抜けたね」
ぷかりと煙を吐き出す。
「あれを国土全体でやれたら、現国王ディオニコ・デ・ストライスの統治は一気に盤石になるだろうよ」
「へぇ〜」
ニカが分かったのか、分からないのか声を上げる。
その時、広間中に管楽器の音が響いた。
「——それより、一番の問題はこっちさ」
「こっち……?」
ニカが首を傾げると同時に、儀典長の宣誓じみたアナウンスメントの声が被る。
「地図の作成、人々の救済を行う、女神エリアンとアリアンの使者! ——聖女、アイ・シーナ様! 聖人、グレイル・ヴェクター様です!!」
エライヤの目が細められる。
「聖女と聖人、ねぇ」
そして、アナウンスメントは終わらない。
「——お二人は、二人で一つの詠唱符をお使いになります! どうぞ、陛下の御前へ!!」
エライヤはキセルを齧って様子を見た。
「エライヤ様……二人で一つの詠唱符なんて、あり得るんですか?」
「ありえないね。いくらなんでも、荒唐無稽すぎる。けれど、馬鹿げていると思われかねないことをここでわざわざする意味はなんだ? 戦争の仲介でもさせたいのかねぇ」
「おとぎ話みたいなことで、他の国に一目置かれたがってる、侵攻されないようにしてる、ってことですか?」
「……ともすれば、ね。それだけ今回の神政国との戦争が危ういのか、それとも……」
「それとも?」
「——本当なのか」
ニカが眉をひそめる。
その時、場内が明らかにざわついた。
儀典長がアナウンスメントを行ったというのに、声が広がるなどというのは、ともすれば聖女と呼ばれた者たちへ無礼な行為だったが——エライヤはキセルを落とした。
「何だと……」
王の前へ進んだ二人は、作り物のような顔をしていた。
もはや神聖性すら感じさせる超越した美は、人々を圧倒した。
装いも、聖人と呼ばれた方はある種の質素さを感じさせたが、聖女は凄まじかった。
毛一つ生えていないように見える透き通った背中を晒し、長いドレスを引きずっている。
金銀財宝で飾り立てられ、ともすれば王より豪奢に感じるような冠を戴いて——その姿はどんな宗教画よりも美しかった。
二人は前に進む。
聖人が詠唱符を書き込み始めるが、それは光路線ではない。
そして、聖女に渡したその瞬間——魔法陣が宙へと浮かび、光が炸裂した。
どこか薄暗かった広間の、あかりの灯されていなかったシャンデリアの全てに火が灯る。
一体どうやったのか分からない。
エライヤは絶句した。
「まさか……本当に二人で一つの詠唱符を使うのか……」
ニカも言葉を失っている。
「……報告が必要だな」
下手をすれば、神話が書き換えられる。
双子の女神は二人で一つの魔法を使った——と。
王が二人へ感謝の言葉を述べていく。
二人が頭を下げる。耳を澄ませると、王の声は確かに聞こえてきていた。
「——そこで、お二人には是非我が国の爵位を授けたい」
囲い込みか、とエライヤは思った。
だが——聖人は首を振った。
「ありがたいお申し出ですが、お断りいたします。領地を持てば、救うべき人のもとへ行けなくなる可能性があります。我々はそもそも巡礼神官です」
エライヤは思わず笑いそうになった。
王はここでこの宣言を受け取らせたかっただろう。
普通なら飛びつく提案だ。
隣でニカが小さく呟いた。
「……爵位すら貰わないって、清貧の局地ですね」
「清貧、か。ニカにはそう見えるんだね。私にはここに縛られる可能性のある楔を全て突き返したように見える」
責任も国籍も、一つも引き受けるつもりのない、ある種の冷たさ。
二人は報酬金だけを受け取った。
二人が下がると、場内には音楽が満ち、ダンスが始まった。
「——これはこの辺りの情勢が一気に変わるな」
危険すぎる。
エライヤは歴史の目撃者になったと、人生の価値観を狂わせられるような感覚に襲われた。




