第62話 諜報員のこと
その日の朝、藍はGrailと並んで馬車に乗っていた。
物語のお姫様が乗るような馬車は、ライデンが牽いていた幌馬車とは全然違う。
藍は流れていく景色を眺めながら呟いた。
「測量、するんですよね」
「はい。地形を知ることは、支配と防衛の両方に必要です」
「そんなこと、分かってますよ。そうじゃなくて……皆が神政国にいるのに……ここを測って……良いんでしょうか……」
虚偽の情報を混ぜれば、実地確認でばれるだろうし、何より王が選んだことの重さを知った後では——。
「国内の測量です。安心してください。直ちにエル・レシア神政国に影響は及びません」
直ちにではなく、ゆっくり影響が及ぶのかと藍は思う。
その時、馬車が止まり、扉の外から声がかかった。
「到着しました!」
「分かった。開けろ」
Grailが短く告げると、扉はすぐに開いた。
バーニー——バーナビー・ロアは深々と頭を下げた。
「今日は僕が補佐に付きます。道具の準備も、配置も、全部やらせていただきます。神政国で見ておりましたので」
「分かった。お前に任せる」
Grailの返答を見ると、バーニーは一緒に走ってきていた幌馬車へ準備に行った。
藍が馬車を降りると、測量地点はなだらかな丘陵だった。
視界を遮るものは少なく、風がよく通る。
遠くにちらほら民家が見えた。
バーニーは箱を開け、石を入れ、紙を用意し、迷いなく動く。
「お待たせしましたー!」
バーニーが手を振っている。
藍は箱の方へ行った。
十数名近い魔術師たちが遠巻きに様子を見ている。
皆、「さて、どれほどのものか」と品評するような雰囲気だった。
「——椎名さん」
「あ、はひ」
「やりますね」
Grailは微笑むと、詠唱符を書き始めた。
◇
昼食には幕が張られた。
「いやぁ、よもやこれ程とは」
「噂話にすぎんと思っておったわい」
「陛下の決断力には頭が下がる」
魔術師たちが口々に測量の感想を言い合う。
藍は早速データを読み始めたGrailの隣でほっと息を吐いた。
「いやぁ、本当に素晴らしい魔法ですねぇ! あ、おかわりいかがですか?」
バーニーがニコニコと果物の詰め合わせを差し出してくる。
藍は、首を振ってから聞いた。
「……エル・レシア神政国の魔術会館には、あなたみたいな人がたくさんいるんですか?」
「諜報員ってことですか? それなら、僕だけですよ」
バーニーはいつもの笑顔のまま告げた。
全然信用ならない、と思った。
その藍の心の中の動きに気が付いたのか、バーニーは続ける。
「国外の者がエル・レシア神政国の魔術会館に入るには、最低二名の公認魔術師からの推薦と細かな調査が必要なので、滅多に入り込めるものではありません」
やっぱり。
藍はこの子は信用ならないと強く思う。
確かに藍が外国人試験を受ける時、ヴィヴィアナとアルベルトからの推薦があった。他に、ヘルマンとOBであるカインツの推薦。調査があったかどうかは、藍は知らないが。
「——あなたを推薦して引き入れた公認魔術師たちがいるはずじゃないですか」
「いえ、いませんよ?」
バーニーは、何でもないことのように言った。
沈黙。
Grailはデータでいっぱいの紙を顔の前から下ろした。
「……お前、神政国の生まれか」
「はい。そうです」
即答だった。
藍は絞り出すように言った。
「……信じられない……。理解できない……」
「ひどい言われようです」
バーニーは苦笑したが、すぐに気を取り直した。
「まぁでも、なんて言われても、僕はかまいません。大丈夫です!」
Grailは伺うように目を細めた。
「……金か?」
「ふふ、もちろんお金も大好きです」
正直すぎる答えだった。
「あなたがやってること……両親は知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、第二次紫黒戦役で、ヘルマン・クイーンズ上級公認魔術師の魔法に巻き込まれて——目の前で、焼け死んでいますよ」
馬車の中が、静まり返る。
「即死です」
バーニーは言った。
「いやぁ、クイーンズ様の書く詠唱符って、本当にすごいですよねぇ。あの人、火の系統相当うまいです。皿を焼く昇炎式の窯と上昇気流の論理らしいですよ」
だから方向を持って、人にぶつけられる訳ですね〜と人ごとのように言った。
「まあ、そういうわけです。僕はしばらく国境付近の街とか村とかを彷徨ってました。金が必要でしたし、一生懸命働きましたよ。大変だったなぁ」
藍は脳みそを殴られたようだった。
「子供でしたからね。できることは多くないです。その時、僕を拾ってくれたのはメギスト王国の魔術師でした」
わー、とバーニーは手を叩いた。
「だから、僕は僕をゴミにした神政国があんまり好きじゃないんですよねえ」
藍は、言葉を失っていた。
「生まれた場所に、肩入れする理由ってあります?」
Grailは、短く息を吐き、言った。
「……君の生まれも、育ちも、理解した。話を聞かせてくれてありがとう。先入観で語って、すまなかった」
「いえ」
バーニーは微笑んだ。
「お気になさらないでください。僕も、地図なんてものを向こうであなた方が作ったと聞いた時は排除するしかないと思っていたので」
背が冷える。
バーニーは罪悪感なんて一つもないように——いや、どこか悔しそうに続ける。
「クイーンズ様は本当に用心深い人ですよね。僕が何度どこでどうやって口にできるものを用意しても一つも食べないんですから。あなたたちにも出さなかった」
バーニーはふぅ、と一息吐いた。
「——でも、あなたたちは外国人でしたし、何よりこちらに来ていただけたんで、本当に良かったです。心から感謝しています。とっても嬉しいです!」
バーニーの言葉が終わると、Grailは静かに告げた。
「まず、大切なことを否定しようか」
「……なんですか? こちらに着いたわけではないとでも?」
「いつかはそれもあるかもしれないけれど、それよりも大切なことだよ」
バーニーが不審がるように眉を寄せる。
「君はゴミじゃない。君は子供が置かれるべきでない場所に置かれ、生き延びた——人間だよ。よくやった。頑張ったよ」
意味がわからない、とバーニーの顔には書いてあるようだった。
「……は、はい……?」
「君はもうそこにはいない。辛い記憶が襲う時には、“僕は大人”“今ここに危険はない”と言って、信頼できる人のそばですごすんだよ」
「は、はぁ……。わかり……ました……?」
藍はGrailの人を支援する言葉を聞きながら、一つ涙を落とした。




