表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
61/85

第61話 連れ去りという物語

「——何をやっておる!!」


 ギドの怒声が、室内に叩きつけられた。


 ヘルマン・クイーンズは、黙って頭を下げていた。


 重厚な机を囲む数名の男たち。

 神殿を持つ神政省と、魔術会館を持つ魔術省——双方の上層部。

 誰もが苛立ち、声を荒げている。


「アイ・シーナとグレイル・ヴェクター、交換のはずだっただろう!」

「詠唱符の作成者を取り戻す、それが最優先だと決めたはずだ!」

「なぜ“二人とも”連れて行かれている!!」


 ヘルマンは、何も言わなかった。


 言えることが、なかった。


「——ヴェクターさえ押さえておけばまだなんとなったものを!!」

「理論を持ち、詠唱符を量産できる存在をこちらに押さえておけば、当面の危機はないと判断したというのに……」


 黙って聞いていた一人が顔を上げる。

「その前提がまず間違っていたか……?」

「いいや! ヴェクターさえ押さえておけば、魔法の中身を説明させ続けることができたはず! いつか誰かがあの頂に到達する可能性は十分にあった!」

「そ、そうだ。だからこそ、ヴェクターをあちらに置いておくというのは、理論を他国に解析される危険でもある。やはり、ヴェクターを一日でも早く取り戻すというのは必須だった」


 手元の資料を見ていた神政省の男が口を開く。

「……やはり、あちらがいくら欲しがっているとはいえ、シーナ様を出そうとしたのが間違いだったのでは」

「し、しかしアイ・シーナも、グレイル・ヴェクターを取り戻すためならば行くと了承していたのだぞ!?」

「やはり、神罰が降ったのでしょう。光路線が本来引けない者に、触れることでそれを光路線化させるなど神の所業」


 魔術省の者たちは忌々しそうに神官の“神話語り”を見た。

「勘違いされるな。決してアイ・シーナが光路線を引かせているわけではなかった。何故なら、彼女はヴェクター以外にその力は使えない。ただ、彼女はヴェクターの書いているものを正確に読み取っているだけ」

 一度水で口を湿らせてから、男は続けた。

「——ヴェクターを理解できる者を用意すれば良い。魔法の行使者など、うまく行けば替えが利く。媒介など、また探せばいい」

「そもそも、それをできる者がこの世にこれまで一人もいなかったということをお忘れになっては困ります。他者の思考回路を正確に読み解き把握するなど——」

「それは卵と雛、始まりが逆だろう。クイーンズ上級公認魔術師によれば、ヴェクターは見習いのエレノア・レーベンの思考の癖を解析し、たった一度の講義で光路線を引かせることに成功している。他者の思考回路を正確に読み解いているのはシーナではなくヴェクターだ」


 ざわざわと言い合いが続く中、これまで黙ってただ葉巻きを吸っていた男がポカリと口を開いた。

「どのみち——」


 全員が口を閉じ、その男——マグヌス・アグノクスを見た。


「あの二人には替えは効かん。どちらも、これまで誰もが到達したことのない場所におる」


 ギュッと灰皿に葉巻きが押し付けられる。


「……最悪だ」

 誰かが吐き捨てる。


「ヴェクターが向こうに行った以上、何が起こるか分からん……」

「詠唱符を量産されては……一体この先どうなるか……」

「あぁ……こんなことなら、聖女もヴェクターもあの時にあちらへ渡そうとせず、開戦してでも連れ戻すべきだった……」


 そして、自然と全員の目がヘルマンに集まる。

「何故ヴェクターをあちらへ行かせた」

 ヘルマンはため息を吐くと、静かに答えた。


「……グレイル・ヴェクターは、自らの意思で走ったのです。止まらせたとしても、幽閉しなければ結局は出て行った。無駄だと判断したまで」


 ——同時に、アルベルトの下から引き剥がし、ここに連れてきてしまった罪悪感もあったかもしれない。

 触るなと言われたあの日の中庭の言葉。

 戻れと言いながらも、きっと、ヘルマンは心の中で言ってしまっていた。


 行け、走れ——

 ここと背中は任せれば良い——

 お前の愛はそれで良い——

 振り返るな——


 そう、心が言ってしまった。

 だが、ヘルマンとて大人だ。それを本当に口にはしない。

 それでも、あの時グレイルには届いたと思った。

 ——ライデンを頼みます


 信頼。

 許さないと言ったと言うのに、その信頼。

 ヘルマンは思わず口角が上がりそうになった。


 その時、ドンと机に強い衝撃が落ちた。

「聖人が国を捨てたとでも言うつもりか!」


 ——言えるわけがない。


 聖人が、神政国が聖女を捨てたから、それを追って国を見限ったなど。

 そんな話を、民に流せるはずがなかった。


 議論は、すぐに別の方向へ舵を切る。


「——民衆への説明が先だ」

「立ち会った者たちが話す前に、こちらから解釈を与える必要がある」

「どう説明する」


 誰かが、重く言った。


「……力尽くで奪われた、とするしかない」

「聖女には刃が向けられていた」

「聖人の意思は介在していなかった」


 ヘルマンは、黙ってそれを聞いていた。


 ——嘘だ。


 だが、国家とは、そういうものだ。


「そういう筋書きを流せ」

「民は納得する」


 醜い話し合いだった。

 だが、誰も止められなかった。


 ヘルマンは、静かに立ち上がった。


「……失礼します」


 誰も引き止めなかった。


 廊下に出ると、張り詰めていた空気が少しだけ薄れる。

 だが、胸の奥は重いままだった。


 ——グレイルは、自分で出て行った。


 耳の奥で、あの声が蘇る。


 ——感謝しています。


 ヘルマンは窓の向こうに広がる空を見上げた。


 ◇


 寮に着くと、ヘルマンは馬小屋に立ち寄った。


 そこでは、ライデンが主を探すように鼻を鳴らしていた。

 落ち着かない様子で、地面を踏み鳴らす。


「……あぁ」


 ヘルマンが近づくと、ライデンは顔を上げる。


 そこに、エレノアがいた。

 桶に水を汲んで、馬の首を撫でている。


「……どうでしたか」


 エレノアが、小さく聞いた。


「……奪還作戦などはない」

 ヘルマンは即答した。

「だが——必ず戻って来させる。……必ずだ」


 それが、願いか、確信か、自分でも分からなかった。

 だが、言葉にしなければ、崩れそうだった。


 ◇


「——攫われたぁ!?」


 ベラーク中央神殿に、アレン・レッドウッドの声が響き渡った。


「お、お声が大きいです、アレン様……」

 オリビア・アスタロサが慌てて制する。

「グレイルの野郎は何をしてたんだ!」

「……あの……それが、ご領主様によると、ヴェクター様も同様に敵国に攫われたそうで……」


 オリビアの声は、低かった。


「……だから魔術会館に入るなんてやめておけば良かったんだ。敵国に攫われるくらいなら、治癒で金むしってる方がまだましだ」

 アレンはギュッと手を握りしめた。


「……アイさん、首元に刃を向けられたとか噂も聞きます……」そう言いながら、カタル・クロイスは歯を食いしばる。

「……国家がやっていいことじゃないですよ……」


 三人のやり取りを見ていたトビアス・テナーは、神殿に掲げられた旗を見上げていた。

 そこには、藍を象った紋章と、グレイルを模った紋章が並んでいる。

 カインツが作って、領内の神殿に配っているものだった。


「……女神たちの加護がありますように」


 その祈りは、どこにも届かない気がした。


 ◇


「——それでグランハルトに何ができるってのよ!!」


 研究室(アトリエ)で、ヴィヴィアナが声を荒げていた。


 グランハルトは苦笑する。

「何ができるかは分かりませんが、とにかく、ヘルマン様に呼ばれた以上首都アルサニアに行かなくちゃいけませんからね」

「戦争に行けって言われたらどうするの!?」

「そうしたら、行くのが仕事ですよ」


 淡々とローブを羽織り、よし、と一息吐く。

「そういうわけだから、ヴィヴィアナは研究室(アトリエ)に残ってください」

「え? 私も一緒に行く!」

「いやいや、等高線図を書けるようになれって、オルフェリダン所長に言われてるんだから、だめそれはダメです。グレイルが実際に書いていたのをそばで見ていた人間が一人は必要です」


 詠唱符用紙を入るだけ目一杯道具鞄に詰める。

「——あれは職人技みたいなものでしたからね」

 本当にグレイルは絵がうまいからな〜とグランハルトは笑った。


「……あんた……死ぬ気!?」

「それは飛躍しすぎ」


 肩をすくめる。


「そもそも私はね、何より自分の命が惜しいタイプだから」


 じゃ、と出て行こうとすると、腕を掴まれた。

「ん?」

 そのまま引っ張られ、胸ぐらが掴まれる。

 これは殴られる——と思った時、ヴィヴィアナの踵が上がった。

 強引に唇が重なり、グランハルトは硬直した。

 静かに離れると、ヴィヴィアナは泣きそうだった。

「……行かないで」


 震える声。


「あなたがいないと、やっていけない。グランハルトさん……お願いします……」

 まだこの研究室(アトリエ)に来たばかりの頃のように、ヴィヴィアナは言った。

 グランハルトは、一瞬だけ、悲しそうな顔をした。

「……私は、一人でいられるたちなんだよね。ごめん」


 ヴィヴィアナの手を放させる。

 グランハルトは振り返らずに出て行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ