表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

51/57

第51話 動く地図、動かぬ心

 完成した地図は、他に類を見ない大きさと、精密さだった。


 床いっぱいに広げられた模造紙。

 街、丘、海岸線、そして人の手が踏み入れたことのない場所まで、等高線は正確に描き出されている。


 ヘルマン・クイーンズは、それを丁寧に集めて丸めた。

 そこに、ノックが響く。

「入れ」

 ヘルマンが言うと、外からは若い見習い魔術師が顔を出した。

「——そろそろ地図はできましたか?」

「ちょうどだ。お前、名前は?」

「僕はバーニーです。お疲れてしょうし、お茶でもお淹れしますか?」

「いや、いい。バーニー、行くぞ」

「はい! 資料をお持ちします」


 地図を見習いと抱え、フリードリヒ・ギドの待つ執務棟へ向かった。


 ◇


「素晴らしい、素晴らしいのう!」


 地図を広げた瞬間、ギドは椅子から立ち上がった。

 紙の上を指でなぞり、笑い声を上げる。

「よもやこれまで持っていた地図がゴミに見えるとはのう!」

「ギド様、まだ確認計測を行っていません」

「わしの知っておるところだけでも、この地図の正しさを完璧に物語っておる! それに、これを見ろ——」


 ギドは机の横に置かれた箱から一本の巻物を取り出すと、それを広げた。

 この魔術会館が建てられた時の資料。

「見るがいい。寸分の狂いもなく、この場所を測っておる! 誤差がない。高低差も、ここまでとは……! ひーひひひひ!!」

 跳ね回るような喜び方だった。


(……クソジジイが)


 ヘルマンは内心で吐き捨てる。


「さて、次は国境じゃな」

 ギドは、まるで次の茶を頼むような軽さで言った。

「湖まで含めて測ってもらおう。急ぎでな」


「しかし、今はまだその地図が完成したばかりで——」


 ギドは、にこやかなまま、視線を上げた。


「甘いことばかり言っておると、この街が焼かれる。違うかのう?」


 脅しでも忠告でもない。

 事実を述べる声だった。


 ヘルマンは、何も言えなかった。


 ◇


 研究室(アトリエ)へ戻ると、アイとグレイルが静かに過ごしていた。

 疲労が溜まっているのを感じる。


「おかえりなさい。ヘルマン様」

「おかえりなさぁい」


 ヘルマンは頷き、短く告げた。


「……国境へ行く」


 空気が変わった。

 グレイルは何も言わなかったが、アイは即座に頷いた。

「わかりました。準備ですね」

「悪いな……」

 アイの判断が入ったからか、グレイルが立ち上がる。


「では、準備を始めます。ですが——椎名さんには休息が必要です。スケジュールを聞かせてください」

 犬が主人を守る様に言う。

 ヘルマンは告げた。

「野営の準備が必要だ。数日かけて、湖から始まる国境線を計測する」

「受け取りました。では、そのように準備を進めます」


 その時だった。


 扉が乱暴に開く。


「ヘルマン様!!」


 エレノアだった。

 顔色が悪い。


「マール様が……!」


 ◇


 隣の研究室(アトリエ)|に駆け込むと、ヨネ・マールが床に倒れていた。

 意識はあるが、体が動かない。


「呼吸が浅い……」

 ヘルマンが膝をつく。

 グレイルも即座にマールに触れた。

「急性の神経系障害。循環は保たれていますが、このままでは——」


 グレイルが道具鞄から即座に詠唱符用紙を取り出し、ペンを走らせる。

 だが、書かれた文字は光を帯びていなかった。

「おい、それは光路線になっていない。破綻して——」

 ヘルマンが言いかけた、その時。


 グレイルは、詠唱符をアイへ差し出した。


「椎名さん」


 アイは、迷わずそれを受け取った。

 二人の間には、間違いなく戦友のような絆が走っているのをヘルマンは感じる。


 その時——黒かった文字が、瞬時に光路線へと変わる。

 魔法陣が詠唱符容器から浮かび上がり、アイから柔らかな魔力が放たれた。

 ヘルマンはアルベルトから聞いていた話を思い出した。


 ——あの二人は、グレイルが書き、アイが行使します。


 エレノアが隣で息を呑む。

 マールは、ゆっくりと目を開き、微笑んだ。


「……あら……少し、楽になりましたよぉ……」


 グレイルはすぐに言う。


「数日は、絶対安静です。無理をすれば、再発します」

「はいはい……。神官様みたいねぇ……」

 エレノアが呼んでいたのか、魔術会館の聖堂付きの神官たちが駆け込んでくる。

 マールは、運ばれながらヘルマンを見上げた。

「私が来られない間……エレノアを、頼みますねぇ」


 ヘルマンは深く頷いた。


「任せてください」


 ◇


 出立は、すぐだった。


 四人乗りの公認魔術師用の馬車に乗り、ヘルマンは外を眺める。

 隣でアイが眠る。

 グレイルの隣にはエレノアがいて、あれこれ一生懸命グレイルに話していた。

 そして、それを優しく聞いて受け止めている。


 馬車は進む。

 何事もなかったかのように。


 国境に着く頃には、すでに夕暮れが訪れていた。

 風が強く、地平線が遠い。

「ここで一つ測量をしたら、すぐに移動する。国境に近くて危険だからな」

 グレイルとアイは慎重に頷いた。

 エレノアが必要な物品の用意を始める。


 それを皮切りに、バインダーの上に詠唱符用紙を載せ、グレイルはアイへ手を差し伸べた。

 しかし、何故かアイはちらりとエレノアを確認すると、首振った。


(……これで、本当にアイが必要なのか、そうでないのかが分かるな……)

 ヘルマンはそんなことを考えた。

 魔術会館で見せられた、他者の詠唱符を使う姿が未だに信じられなかったのだ。


 グレイルはひどく優しい顔をして言った。

「触れたくないというあなたの気持ちを尊重します。押し殺さずに、教えてくれてありがとう」

 アイの瞳が震える。

「ご、ごめんね……Grail……」

「良いのです。あなたの心の中の自由を、私はいつでも尊重します。——僕は君の健やかな日々を支えたい」

 グレイルは一人で詠唱符を書き始める。

 それはやはり、光路線ではない。

 グレイルが話す言葉に、アイは静かに耳を傾け、時間が過ぎていく。

 日が落ちた頃、詠唱符は完成し、グレイルはアイへ差し出した。

「あなたならできます。私は知っています。あなたが、どれほどの思いで立っているのか」


 アイがそれを覚悟の瞳で受け取ると、詠唱符は輝いた。

 前回と同じように箱の中に全てを入れると、真球の魔法陣が生み出され、それが打ち上がる。

「……本当に……二人で一つの魔法を使う……」

 ヘルマンは紫色になっている空を仰ぐ。

 空を覆い尽くす巨大な魔法陣が現れ、閃光が何度も迸り、地面が照らされる様を眺めた。

 エレノアも信じられないようだった。

 箱が落下して行き、少し離れた場所に落ちる。

 箱は完全に壊れ、中身が散らばる。

 中身の回収を行うと、四人は急いで馬車に乗って移動した。


 境界から少しでも遠くへ。


 馬がばてると、一行は馬車を降りて野営の準備をした。

「さて……情報はどうだ? 夜でも取れていたか?」

 焚き火の横で、グレイルは大量の紙を確認した。

「——広範囲で取れています。はっきり言います。隣国の情報すら取れています」


 ヘルマンの顔に、思わず歪んだ笑いが浮かぶ。

「や、やりすぎだな。だが——戦いに出る者たちの命を守る情報だ」

 Grailは頷くと、片手間に夕食をとりながらデータを読み込んでいった。


 食事が終わると、アイとエレノアは先に二人でテントに入った。


 ヘルマンは焚き火を見つめながら言う。

「本当にお前とアイ、二人で一つの魔法を使うとはな。驚いたよ。まるで神話の世界だ」

 ヘルマンは唸る。


「お前は魔法の才能がかなりある。エレノアもたった一回の指導で光路線を引きかけた。だから、きっとお前は本当に他者の思考を読んで、理論立てて、理解させる形で魔法陣を出せるんだろうな」

 あまりのことに、言葉が続かない。

 だが、本人が作るそれが光路線とならない理由は分からなかった。グレイルは確かに理解しているはずなのに。

「すごいことだよ、ありえない。お前は、エレノアや俺が使える詠唱符も作れるのか?」


「……ここの知識、理論、前提条件はかなり学習しましたが、それは難しいでしょう。私の中には私の中で体系化されている基礎情報があります。それとの些細な齟齬により、恐らく魔法は発動しません。星という言葉一つとっても、理解している形は異なります。……それに——」

 グレイルは資料を下ろすと、ただの事実のように続けた。

「彼女は、私の書き記す知識を、齟齬なく理解できるこの世界唯一の人類です」


 ——本音。

 ヘルマンは今のグレイルの言葉をそう理解した。


 これはただの客観的事実だとか、そういう話ではなく、Grailが藍を唯一の存在だと思っていることの吐露。

 ヘルマンにはそう聞こえた。


「お前、その深い相互理解を鼻にもかけないんだな」

「いえ、相互理解ではありません」

 意味がわからない。

「——これは、私が彼女の構造を理解しているだけで、彼女が私を理解していることにはならない。非対称性があるものです」

「……理解してほしいと思わないのか」

「思いません。私に理解は必要ありません」

 ヘルマンはグレイルを猟犬だと思っていたが、認識を改めた。


 ——番人。


 城に入らせないために立つだけの、主従の労いすら必要としない、役割を果たすためだけにいる、見向きもされない、そこにいるだけの、そんな孤高の——。


 ヘルマンはアルベルトは選ばれないな、と内心思った。


 番人であるだけでいられる男は多くない。

 普通なら玉座に付きたがる。もしくは、導こうと周りに街を作る。


 ヘルマンは悟るように呟いた。


「お前、愛してるんだな……」


 グレイルはゆっくりとヘルマンを捉えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ