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第45話 雷光測量

 命令は、アルサニアに到着した翌朝には下りていた。


「アルサニア魔術会館を起点に、可能な限りの測量を行え」


 簡潔で、逃げ場のない文言だった。

 ヘルマンは紙を畳み、深く息を吐いた。

(……どの広さ、精度かを一発で確かめられる場所ってわけか)

 他の研究室(アトリエ)に調査させるにも早く済むし、何より既存の地図もこの街が一番細かく記されている。

 照合は早ければ早いほど良い。


 測量に使っていた物品についてはアルベルトから既に聞き取りが終わっていて、必要だと思われるものは全て用意されている。

 朝、二人が丁寧に挨拶をして研究室(アトリエ)に入ってくると、ヘルマンは上からの命令を伝えた。


「——可能な限りって、本当にできる範囲を全てって意味ですか?」

「そうなるな」

 アイは悩むと、グレイルに振り返った。


「ここは坂が多い街です。どうします? 坂の裏が取れないかも。もしくは……坂のてっぺんが取れない」

「前回の高度を考えれば自然な推測です。なので、方法は二つあります」

 グレイルは指を一本立てた。

「一つは、この地点から取れる、坂の裏や坂の頂上は諦め、別日に異なる地点より計測を行う」

 言葉を切り、二本目の指を上げる。

「——もう一つは、前回打ち上げたよりもさらに高くまで上げることです。有人航空機による測量は高度数千メートルにまで達します」

「……じゃあ、それですね」

「……私は一つ目の方法を推奨します」

「でも、可能な限りって言われてるから」

 グレイルは何か言いたげにしたが、静かに頷いた。


「あなたの判断に任せます。私は補助輪に過ぎません」


 ヘルマンはこの二人の力関係をはっきりと理解した。


 グレイルが研究室(アトリエ)に置いてある黒板に、見たことのない文字を書き込んでいき、聞いたことのない言葉を並べる。

 アイはかなり年季の入ったノートに、ヴィヴィアナが持たせたペンでメモを走らせていく。


 昼食の時間になってもそれは続き、ヘルマンはランチを三人分買いに行った。

 戻ってきてもそれはまだ続いていて、アイは髪をぐしゃぐしゃと掻きながら何度も何度もノートに何かを書いては消していた。

 そして、「——ヘルマン様が昼食を買ってきてくれたようなので、休憩しましょう」とグレイルが声をかけることでそれは中断された。


 昼食の間もあれこれと聞きながら、アイは唸っていた。

「——少し高度を下げてはどうですか?」

「でも、早く測り終わったら、早く自由にして良くなりそうですし」

「その推察は……妥当です。ですが、早く終わったとしても、必ず自由になれるとは限りません。この仕事はこの仕事。自由の条件は、また別だと心に留めることを推奨します」

「グレイルの言う通りだな……」

 アイは困ったように笑うと、「それでも、できることから一つずつ、です」と答え、昼食をとりながらグレイルの話に耳を傾けた。


 ◇


 中庭には、大きな木箱が用意されていた。

 事前にアルベルトから話に聞いていた“弁当箱”とは比べものにならない。

 そして、中には、何百枚もの紙が、ぎっしりと詰め込まれていた。


(確かに頼んだ通りではあるが……これは流石に……)


 なんともオーバーな気がした。


「これでもできそうか? 必要なら、弁当箱にしてきてやっても良いぞ?」

 ヘルマンの問いに、アイは箱を見つめたまま答えた。

「……いえ、好都合です。やれるところまでやります」

「無理はしないでください……」

 グレイルが静かに言う。


「分かってます。……たぶん」


 三人が中庭に出ると、空気が微かに変わった。

 噂は、すでに会館中を巡っている。

 人が集まり始めていた。皆遠巻きに眺めている。


(さて……どれほどのものか)


 ヘルマンは腕を組む。

 再現性がなければ、評価は一瞬で反転する。

 ——いや。

(再現できなければ、“できるまでやれ”と言われるだけだな)


 アイとグレイルは、箱の前に立った。

 自然な動作で、手が重なる。

 アイの空いている手で、紙が押さえられるのを皮切りに、グレイルの詠唱符への書き込みが始まる。

 光路線は書けないと聞いていたが、彼の書き込みは確かに光路線になっていた。


 一枚、また一枚。速度は落ちない。

 彼の口から零れる言葉は、ヘルマンの知る理論とはかけ離れていた。

 もちろん、周りの魔術師たちも同様だった。

「……聞いたことがないな」

「今の用語は何だ?」

「概念から理解ができない……」


 詠唱符は、光を帯びたまま成立し続けている。それは、魔法として機能する正しい理論という証拠だ。

 じっと見ていると、ふと背後から声がかかった。


「ヘルマン君、あれは……?」


 振り返ると、そこに立っていたのは——フリードリヒ・ギド。


 ——今や、魔術省の中枢にいる男。


「ギド様」

 ヘルマンは一歩下がり、頭を下げた。ギドは——ヘルマンのかつての師だったから。

「あれが、私がルビオン魔術会館から連れて来た、測量を行う二人です」


 ギドは目を細め、アイとグレイルを見る。


「ほーう、ほうほう。あの二人が?」

 穏やかで、優しげな笑み。

「若いとは聞いていましたが……ここまでとは。信じられんのう」

 髭を軽くしごき、孫を見るような目をしていた。

 その間にも、詠唱符は書き連ねられていく。


「ジャイロ機能の代替品を入れます」


 グレイルの声に、アイは反応しない。

 受け取った詠唱符を、淡々と箱に収めていく。

 最後に、グレイルが小石を入れた。


 蓋が閉じられる。


 次の瞬間、アイが呟く。


「行け」


 箱の周りに、アイすら覆ってしまうほど巨大な真球の魔法陣が浮かぶ。

 あんなものは初めて見たと目を細めた——次の瞬間、ドンっと空気を裂いて飛び上がっていく。

 凄まじい勢いで空高くへと。


 よもや、物体を飛ばすとが出来る魔法があるとは。

 これまで多くの魔術師たちが鳥の羽ばたきを再現して飛ばそうとして、それでも尚失敗し続けてきた。

 だというのに、あれは翼もないただの箱だ。

 ヘルマンは心の中で「ありえない……」と漏らした。

 箱はもはや肉眼では捉えられないところまで行ってしまった。


 そして——


「——光れ」


 その瞬間。

 空を覆い尽くす魔法陣。


「望遠鏡を覗くな!!」


 グレイルの声が、中庭を裂いた。


 遅れて、人々がグレイルを見る。

 ——何だ?

 ——なぜ?


 問う間もなく、空を覆い尽くす魔法陣から激しい光が、何度も炸裂した。


 閃光。

 閃光。

 雷のような、光の連続。


 魔法陣は消失し、箱は海からの風に煽られ、ゆっくりと流されていく。


 やがて——

 中庭の隅に、落下。

 強すぎる衝撃で箱は全壊し、中の紙がバラバラに飛び出した。


 次の瞬間、アイが崩れた。

 肩で大きく息をし、立っていられない。

 呼吸を、止めていたのだと分かる。


 グレイルがアイに駆け寄り、肩を抱いた。


 ヘルマンはハッと我に帰ると、散らばる紙の近くにいる魔術師たちに指をさす。

「——紙を拾え!! 風で飛ばされれば“事”だ!!」

 慌てて回収作業が始まる。


 そして、風に流されてアイに話しかけるグレイルの声が聞こえた。

「椎名さん、成功しています。光の軌跡からいって、前回の数倍の範囲を捉えました」


 聞き取れた言葉にヘルマンは息を呑む。

「……ばかな……」

 前回ですら、集落一つ分。

 本来なら、何チームもの魔術師が二週間かける量だ。

 しかも、前回の測量結果は過去に類を見ない精度だった。高度まで書き込まれた——等高線図とグレイルが呼んだ地図はこれまで存在しなかった。


 ふと、隣でギドが笑う。


「素晴らしい。ふふ……素晴らしいのう」

 目が愉悦に歪む。

「国境と、湖を測らせるのが楽しみでならん。それに、あの魔法……。ふふふふ」


 そう言い残し、踵を返して行った。


(……たぬき親父が)


 ヘルマンは、内心で吐き捨てた。

 ——大人の都合だけで生きる、意地汚い大人。


 好きになれない師が去ったのを確認すると、ヘルマンはアイとグレイルの下へ駆けた。

「地図ができたのか……?」

「いえ。データが取れただけです。これから、丸一日かけてデータを解析し、地図へと書き起こします。回収していただきありがとうございました」

 話していると、ちょうど回収が終わったらしく、紙の束を持った者が来た。

「クイーンズ様、どうぞ」

「あぁ、助かる。お前、名は」

「私はエレノア・レーベンです」

「そうか、良くやったぞ。エレノア」

 エレノアから紙を受け取りる。

 大量の紙には表裏共に、真っ黒になる程大量の“1”と“0”が書き込まれていた。


 そして、アイが、疲労の中からふらふらと立ち上がろうとした。

「あ、アイ。大丈夫か」

 ヘルマンは反射的に手を伸ばした。


 次の瞬間。


「——触るな」


 低く小さな声。


 ヘルマンは、声を主——グレイルを見た。

「お前は、悪意ある人間ではない。だが——」


 グレイルの眼光が鋭くなった。


「俺は許していない。お前はグランハルトよりも“近かった”。止められるところにいた。それを、俺が知らないと思うか」


 ——猟犬だな。


 そう思った。

 ヘルマンは両手を上げ、降伏の姿勢を見せて一歩下がる。

 グレイルは、それ以上何も言わなかった。


 視線をアイへ戻す。


「大丈夫ですか? 部屋に戻りましょう」


 アイは、かすかに頷いた。


 中庭には、誰も声を出せないまま、雷光の余韻だけが、残っていた。

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