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第44話 夏の街、継続生成

 新しい都市に着いたのは、昼過ぎだった。


 春だと思っていた季節は、すでに夏へ向かっていたらしい。

 馬車を降りると、強い日差しと、潮の匂いが混じった風が頬を撫でた。


 坂の多い街だった。

 高低差に沿って家々が階段のように並び、屋根の向こうには、青く光る海が見える。


 ——同じ場所に立っているのに、景色がまるで違う。


 アルベルトと過ごしていた頃は、花が咲き乱れていた。

 今は、青々とした草木と、遠くまで続く水平線。


 ヘルマンを先頭に、三人はまず寮へ案内された。


「そっちが女子寮、こっちが男子寮だ」


 建物はエル字で、中庭のような場所には自由に使える噴水(ラヴァポ)が二つ。

 建物はくっついているが、中は繋がっていないらしい。


 藍の部屋は二階だった。

 一方、Grailの部屋は一階。


「坂の上だから、一階でも実質は二階みたいなもんだな」


 ヘルマンが笑って言う。

 窓はエル字の建物の外側にあるので、中庭は見えず、 当然異性の寮は除けない構造になっている。

 Grailの部屋の窓からは、庭越しに街と海が見えた。


「あの……せっかく用意してもらったんですけど、宿でも良いですか?」


 藍が遠慮がちに尋ねると、ヘルマンは首を振った。


「それはできないな。君たちは機密情報保持者扱いだ。上がな、どうしても“寮に入れろ”って言ってきてる」

 藍は返す言葉もなく、馬車へ荷物を取りに戻った。

 ヘルマン、Grailと荷物を抱えて戻る途中、ヘルマンは隣の建物へあごをしゃくった。

「風呂はあそこだ。ルビオンより都会で良いだろう? こんなでかい風呂は中々ない」

「銭湯ですね」

 Grailの要約がしっかり腑に落ちる。


 中庭に入ると、Grailは男性寮へ少ない荷物を持って入って行った。

 藍はヘルマンと共に藍の荷物を持っていく。


 花瓶、水差し、聖女と言われて供えられてしまった物品たち。

 荷解きもせず、そのまま部屋を出た。

 廊下の窓から中庭と噴水(ラヴァポ)が見える。

 そこでは、Grailがもう座って待っていた。

 葉っぱを口に当てて、音を鳴らすと鳥たちが周りに集まって来て、Grailはそれを眺め、逃げていくとまた葉を鳴らした。

「ふふ、面白い男だな。あんなこともするのか。さて——俺もそっちの男性寮にいるから、何かがあれば訪ねるように。三階の端だ」

「ありがとうございます」


 階段を降り、中庭に出るとGrailは微笑んだ。

「お疲れ様でした。二階は大変ですね」

「景色はすごく良かったですよぉ」

「それは何よりです」

「じゃあ行こう。新しい研究室(アトリエ)を確認しなくちゃいけない」


 中庭の一角の小さな馬小屋にライデンを残し、新しい魔術会館へ向かった。


 巨人でも住んでいるのかと思わされるような巨大な扉は開け放たれ、中から魔術師たちがひっきりなしに出入りしている。

 中に入ると、ひそひそと声が聞こえた。


「ねえ、あの人たち……」

「集落一つ分の地図を、ほとんど誤差なく一日で?」

「嘘だろ」

「眉唾すぎる」

「でも、お偉方が呼んだんなら……」


 藍は思わず小さくなり、Grailの後ろに隠れる。

 Grailは何も言わず、一歩だけ前を歩いた。


 研究室(アトリエ)に着くと、ヘルマンがぱっと明るい声を出した。


「さあ、楽しい楽しい俺の研究室(アトリエ)に入ったからには——まずは飯だ!」


 ◇


 ヘルマンはアルベルトの師というだけあって良い人だった。

 人を萎縮させない雰囲気があり、藍はこの人がついて来てくれていて良かったなと思った。


 夜。

 寮の中庭に戻ると、ヘルマンは「おやすみー」と軽く言って男性寮へ行った。

 藍とGrailはライデンに水と餌をやると、中庭で一息吐いた。

 宿にいた時は賃金を払って面倒を見てもらっていたが、ここにはそういうサービスはない。


「それじゃあ……そろそろ行きましょうか」

 藍はそう言わなくてはいけないと思った。

 けれど、Grailは僅かに悩むと口を開いた。

「……椎名さん。今後は、継続生成を指定されている日誌を、あなたにお渡しします」

「え?」

「別々に過ごす以上、リカバリ責任者へ筆記後に手渡すのが、最も合理的だと判断しました」

 藍は一瞬きょとんとし、それから笑った。


「……ありがとうございます。行きますね」


 男子寮の中も静かだった。

 食堂もなく、神職館とは違う。

 いわゆる、アパートのような造り。


「本日の分を筆記しますので、少々お待ちください」

「はーい」


 二人で並んでソファに座る。

 Grailが日誌を書く、ペンの音が静かに響く。


 安心した。

 いつも夜にはこの音が響いていた。


(あぁ、ここが私の——)


 藍は体から力が抜けるのを感じた。


 やがて、呼吸がゆっくりになる。


 Grailは日誌を書く手を中断すると、そっと立ち上がった。

 藍はソファでくたりと寝ていた。


 藍を抱き上げ、ベッドへ運ぶ。

 眠りを妨げないよう、静かに。

 長いまつ毛には月の光が差し、一服の絵画のようだった。


 髪を避け、額に口付ける。

「ん……」

 接触により、藍の眠りが一瞬浅くなる。

 わずかに眉の間に入っていた力が抜け、ここが安全だと疑わない顔で眠る。


(——学習した人間らしい仕草……か)


 不要な行為。

 Grailは背を向けた。


 机に戻り、再び日誌の生成を始める。


 ペンの音だけが、夏の夜に溶けていった。

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