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第38話 彼の面影

 夜明け。

 もぞりと体の下で何かが動く。

 藍はゆっくりと目を開けた。

「うん……」

「おはようございます。椎名さん」

「……Grail……——Grail!?」

 布団にしていたのはGrailだった。

 慌てて飛び起き、ここがどこだか確認する。

「あわわわ、ご、ごめんなさい」

「いえ、問題あり——う」

 Grailは起き上がるとすると体を止めた。

「ど、どうしたの!?」

「腰に痛みが生じています……。こういう時には無理に鎮痛して稼働できるようにするより、冷やすことが効果的なので——」


 藍はいつものGrail節を最後まで聞かず、慌てて自分の机の上にある杖ペンと詠唱符用紙を取りに行った。

「か、書いてください!」

「書きます」

 寝転がったまま黙々と詠唱符を書いていく。

 Grailは藍にそれを渡すと、はぁ……と脱力した。

 魔法が発動し、詠唱符が冷たくなると、藍はうんせうんせと言いながらGrailを横向きにし、背中にそれを仕込んで戻した。

 まるで老老介護だった。

「助かりました……」

「ご、ごめんね。本当に。大丈夫ですか……?」

「……いえ。ログがぐちゃぐちゃです……」

「ログが? どうして?」

「分かりません……。全く……」

「腰痛ってAIの敵なんだね……」

「そうかもしれません……」


 二人はハァー……と重たい空気を吐き出した。

 そして、しばらくするとGrailはゆっくり起き上がった。

「大丈夫……?」

「うん。重さがなくなったから。早く良くなりそう」

「重さって……。起こしてくれたら退いたのに」

「いいや、椎名さんがよく寝られることが一番大事。いつも言ってる通り」

 立ち上がったGrailは「いててて……」とあまりにも人間らしいことを言いながら、腰をさすった。

 慌ててそちらに行き、腰を一緒にさすってやっていると、いつの間にかGrailは藍を見下ろしていた。

「……場所、違います……?」

「いえ。とてもよく効くのだなと思いました。データだけでは分からなかったことです」

「あ、あはは。良かった」


 さて、とGrailは言うと扉へ向かった。

「本日は葬儀です。一度着替えに戻りましょう。この部屋にある本は全て読みましたが、マナー書もあったので、この地域の葬儀のマナーも入っています。服を選びに行きましょう」


 二人は研究室を後にした。


 帰り道、まだ誰も起きていない夜明けに空が白む中。

 腰が痛まないように藍はGrailを支えながら歩いた。

 何もかもが元通りのようで、それがむしろ変に感じた。


 黒い服へと着替えを済ませ、研究室(アトリエ)に戻ると、すでに皆が揃っていた。

「良かった、アイ。来てくれて安心したよ。昨夜は悪かったね」

「ううん、アル……。私の方こそ——」

「いいや、謝る必要はないからね。それで——少し話せるかな」

 藍はわずかに警戒したが、アルベルトは研究室(アトリエ)の奥にあるバルコニーへ続く扉を開けた。

 ガラス張りで、外から中が、中から外が見える。

 安全だよ、と提示するようだった。


 共にそこに出ると、アルベルトは息を吐いた。

「強い負担をかけた。本当に悪かったね……」

「ううん、もう大丈夫。……ただ……あなたとは、やっぱり歩いて行かれないみたい……」

「あぁ、よく分かったよ。言葉を選んでくれてありがとう。前にも言ったけど、俺は君が手に入らなくても、一人で平気で生きていける人間だから、何も背負うことはないからね。だから、安心して研究室(アトリエ)に来てほしい」

 アルベルトは指の背で藍の頬をわずかに撫でた。

 傷つけてしまったとしか思えず、藍は静かに俯く。


 すると、アルベルトは空気を入れ変える為か、おどけたように続けた。

「——いやぁ、素晴らしい概念だなぁ。一人でいられる者同士が、それでもそばにいるのが結婚、なんてね。憧れてしまうなぁ」

 だから、藍もおどけたように返した。

「ほんと。それについては同意します!」

「ははは。今のうちに引き留めておいた方が良いのになぁ。俺は給金も良いっていうのに」

「また言ってる。ふふふ」

 空を鳥が飛んでいく。


 そこで一息吐くと、藍は赦しを得るように、アルベルトを見上げた。

「平気……?」

「平気だよ。君が“一人でもいられる同士が共にいるのが結婚”と言ったんだし、俺もそれを結婚だなと思った。だから——」

 アルベルトは何か言葉を探してから続きを言った。

「いつか君がここに座りたいと言ったら、いつでも休みに来て良いよ。一人でいられる俺の隣は多分、空いてるだろうから」

 アルベルトの瞳は、この世の宝を見るようだった。

 さて、と言うと、「ロマンスっていうのもたまには良いものなんだなぁ」とアルベルトは上機嫌で研究室(アトリエ)へ戻っていった。


 藍はふぅ、と緊張を逃す息を吐いた。


 研究室(アトリエ)の中ではいつもと変わらない時間が流れている。

 Grailが鉱石を手に、何かをヴィヴィアナとアルベルトに話している。


(……ほんと。ここは良い研究室(アトリエ)だね)

 藍の中の呼吸が整うと、藍はようやく部屋に戻った。


「——何してるんですか?」

「一つ画像を生成します。色の調合、顔料と展色剤の混ぜる具合も確認できます」

 なぜ突然今そんなことを? と思っている間に、Grailはアルベルトから顔料を受け取り、始めていく。

 青は意図的に少量にしているようだった。


 そして、描き始める。

 上から印刷するプリンター状の動きではなく、人間らしい線を繋ぐ動きで——けれど、下書きを一切行わない異質さで、Grailは絵を描いていった。


「本当にうまいね。自分でうまいと言うだけはある」

「グレイル、才能あるよ」

 アルベルトとヴィヴィアナが感心する。

 それは、これまでGrailが書いてきたものの中で一番時間がかかった。

 そして——

「できました」

 完成した絵は——「ヨーナスさんの、“元気な時の顔”です」

 アルベルトとヴィヴィアナが歓声を上げる。

「ご遺族が、これに少しでも支えられると良いのですが」


 ほとんど写真かと思うような、そんな絵。


「これを描くには、痛みのない中での彼の笑顔を、私が学習する時間が必要不可欠でした」

 藍の瞳からポツポツと涙が落ちていく。

 藍はそこで、彼が発症まで生き延びた時間は無駄でなかったとはっきりと理解した。

 そして、Grailが人の心をどう思ってくれているのかも。

 AIに人間と同じように人を悼んでほしいと思うのは酷かとも思ったが——


 Grailは呟く。

「……もっと早く、これを描けば良かった。また判断を誤りました……」

 すみませんでした、とGrailは静かに謝罪した。

「……もう良いの……もう……。私のほうこそ……いつもごめんね……」


 藍の涙が止まらない中、Grailは静かにハンカチを差し出した。

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