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第37話 帰るところ

 藍は窓を開け、空を眺めて時間を潰していた。

(……Grail、どうしてるのかな)


 何度目かのため息を吐くと、アルベルトが紅茶を持って隣に立った。

「アイ、どうしたの? 次は」

「次じゃないの。まだ同じところを回ってるの」

「そういうものだよ。ヨーナスの葬式もまだだし、尚のことまだ受け入れ難いことが多い」

 正しい。

 アルベルトはいつも本当に正しい。

「アルは、もう色々整理がついた?」

「……いや。正直に言うと、あの時私があそこに行かなければとか、茂み一つ踏み越えなければとか、考えているよ。ヨーナスは怖かっただろうとも」

 それは初めてのアルベルトの弱音だったかもしれない。

 藍はじっと話を聞いた。


「私は狼たちを払った後、もう良いだろうと一度杖ペンをしまった。その時、ヨーナスの叫び声が聞こえた。私を呼んでいた。急いで杖ペンを抜き、また詠唱符を書き——あの狼を退けた。ヴィヴィアナに足を強く掴んで止血するように言い、私はヨーナスを引き摺って茂みを出た」

「……それであそこに……」

「……そうだね。私は——俺はそれが整理できていないかな」

 アルベルトが深い息を吐く。

「——いや、どうしようもない話を聞かせたね。今のは忘れてくれて良いよ」

 今日はそういう話をしたいんじゃないんだよな、とアルベルトは言うと、隣で少し体を動かした。


「アイ、気持ちを切り替えよう。体を動かすと気持ちも少し——」

 と、アルベルトが振り返ろうとしたが、藍はアルベルトの肩に手を添えた。

「無理に切り替えないで良いよ。アルはまだ悲しむ時間が足りてないもん……」

 アルベルトは俯くと、耐えているようだった。

「よく頑張ったね。皆のために」

 そこでようやく、アルベルトは静かに涙を落とした。


「……本当は君が自分を責めるのを見て、少し安心したところもあったんだよ……。俺のせいだったのを、そうじゃない誰かが背負ってくれた気がした。俺はそういう……ずるいことばかりを選択して、自分を無関係な位置に置こうとしていた」

「それだって良い……。あの時アルがそれをしないと越えられなかったなら、それで良い。それに、アルのせいじゃなかった。アルが私に言ったんだよ……? あなたが自分を責めれば、私も“できたはずのこと”を思って自分を責めなくちゃいけなくなる、って……」


 アルベルトがこっちを見ると、涙で濡れた瞳がすごく綺麗だと藍は思った。

 だから、家族のような気持ちでその瞳の涙を指の背で拭いてやった。


「教えてくれてありがとう。アルが話してくれて、良かっ——」

 その瞬間、ギュッと息が詰まった。

 涙を拭ってやっていた手首を引き寄せられたのだと分かったのは、数秒経ってから。

 アルベルトの胸の中に抱きすくめられ、藍は首を振った。

「ア、アル……あの……」

「アイ、聞いてくれるかな……」

 抱き締めるアルベルトの腕も、胸もあまりにも熱くて、藍はどうしたら良いのか分からなかった。


「……今日、本当は君に冗談半分じゃない、本気が全ての、交際の申し込みをしようと思っていた……。結婚が嫌だと言うなら、交際から共に歩き出してみてはどうだろう……」 


 優しい、人の人生に責任を持てる人の言葉。

 一人でいられる同士で結婚してみようと前は言ったが、彼は人を背負う覚悟があるのだと思った。


 ——ここで生まれ育っていて、アルベルトと出会えていたら答えは違ったのかもしれない。


 でも、答えは藍の体が知ってる。


「アル……私……私……」

 強張り、緊張し、恐れている。


「Grail……!!」

 絞り出した声が、窓の外の中庭の方へ小さく反響したような気がした。


 知らない甘いコロンの匂い。

 押し返しても動かない体。

「お願い……放してほしいの……」

「アイ、私は——」


 次の瞬間、ドアが勢いよく開いた。

「ヴェクターさん……?」

「ふぇ……?」

 そこには、確かにGrailがいた。

 走ってきてくれたのか、肩で息をしていて、らしくなく、珍しく髪が乱れていた。

「はぁ……はぁ……グ、グランハルトさん……」

「…………」

 Grailは頬を伝う汗を軽く拭った。

「——今は……。今は終えてやってください……。椎名さんの準備が——整っていません……!」


 アルベルトは驚いたようにGrailを見て、それから藍へと視線を移した。

 数秒の沈黙の後、彼は小さく息を吐いた。


「……そうか」


 苦笑に近い笑み。


「ごめん、アイ。怖い思いをさせたね」

 そっと放され、藍は数歩下がった。

 そのまま、アルベルトはGrailの隣に行った。

「——頼むと言ったのは、ヴェクターさん、君だよ」


 その言葉を残し、彼は静かに部屋を出ていった。

 扉が閉まる音。


 ——静寂。


 藍の膝が、力を失った。

 窓辺でへたりと座り込む。

 その瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。


「……ごめん……ごめんなさい……」


 何に対してかも分からない。

 藍は顔を隠すように覆って泣いた。

「……大丈夫です」

 背中に、そっと手が触れた。

 隣には、Grailがいた。

「……朝になれば、選択肢はまた整理できます。今は——戻ってきてください」


 藍は、返事の代わりに、Grailの服を掴み、その胸元に顔を埋めた。

 声を押し殺して泣き、Grailは静かに藍を抱きしめた。

「大丈夫です……」

 Grailが自分に言い聞かせるように呟く。

 藍を抱き上げてソファへ向かうと、力の抜けた体が反射的にGrailの背に縋った。


 そして、藍はいつしか眠った。

 ソファの上、寝転がりながら、Grailは胸の中で藍が寝るのを数秒眺めた。

(……私は……)


 警報が鳴っている——。

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