第34話 結婚ってそういうもの
アルベルト・グランハルトはヴェクターとシーナに帰宅を促した。
しかし、シーナは断った。
“同行者”だというヴェクターは行ってしまった。
アルベルトは「まだここに残る」と言うべきではなかったなと思った。
気を遣わせた。残るという選択をさせてしまった。
アルベルトは遺族に会うまでは、もう帰らないと決めているので下手に付き合わせるとシーナはいつまでも帰れない。
皆が精神的に参っている。
正直、アルベルトとてそれは同じだ。
シーナはため息を吐いてソファに座った。
「帰っても良いんですよ? 始末書なんて、すぐに書き終わりますし」
「……人として、グランハルトさんのために……ここにいさせてください。……あなたがあんまりにも辛そうで……」
唇を噛み、拳を握りしめる様は、もっと自分にできることがあったと確信しているようだった。
公認魔術師たちだって、聖堂の嘱託神官たちだって、神殿の神官たちだって、同じように魔法を使えるというのに、一人だけ世界を背負いすぎている。
アルベルトはソファに座るシーナの隣に座ると、深いため息を吐いた。
「シーナさん、あなたが自分を責めれば、私も“できたはずのこと”を思って自分を責めなくてはいけなくなります……。条件は同じです。魔法が使えたはず、けれど分からないことがあった。それだけなんです」
シーナは顔に手を当てると声を殺して泣いた。
川沿いでやってもらったように背を撫でる。
驚くほど華奢な体だった。
(この体で抱えられる痛みではないな……)
アルベルトは何かお茶でも淹れるかと、立ち上がった。
研究室に付いている小さなキッチンに行き、清浄の魔法陣が書かれる水差しからポットに水を入れ、詠唱符に火の魔法陣を書く。
ポットが程なく温まったところで、アルベルトは魔法陣を破いて効果を失わせた。
いつもヴィヴィアナが茶を淹れてくれるので、自分でこれをやるのは久しぶりだ。
昔アルベルトがついていた公認魔術師の下では毎朝そうしていたのに。
「お手伝いします」
可哀想に赤くなった目で、シーナがミニキッチンの入り口にいた。
「うん、お願いするよ」
ポットに茶葉を入れ、二人で黙々とカップを出したり、食べられるものを出したりする。
そして、ソファに戻った。
「……ごめんなさい、グランハルトさんの方が泣きたいはずなのに……」
「いいえ。シーナさんが代わりに泣いてくれたお陰で、私は少しスッキリしました。男っていうのは、“立場”を持つようになると、泣きたくても泣けなくなってしまうんですよね」
自分で自分に苦笑する。
シーナは数秒考えた。
「グランハルトさん、今は役割を下ろしてください。私も椎名じゃなくて藍です。あなたも、アルベルトさんです」
「私にできるかなぁ」
「私じゃ、ダメですか?」
アルベルトは一瞬ドキリとした。別に、彼女は恋愛的な話をしているんじゃない。
上司と部下という関係を外して、アルベルトの気の重さを降ろせる相手になれないかと言っているだけだ。
彼女は神官だ。
だから、告解を与えようとしてくれている。
「……Grailは、こういうのすごく上手なんですけど……はは。ヴィヴィアナさんも少しスッキリして帰れて……」
アルベルトはどちらが告解を与えてるのか分からないなと思ったが、まあそれはそれで、室長として彼女の心に刺さった棘を抜けると計算する。
「——いいや、アイ。ありがとう。私はアルで良いよ。今は室長というのは忘れる」
うーんと伸び、アイをリラックスさせる方法を考えた。
とりあえず、いつも着っぱなしのローブを脱いで向かいのソファに放ると笑って見せた。
アイも、酷く儚い顔をして笑った。
彼女はいつも、まるでこの世界にたった一人で生まれてきたような、そんな不安定な顔をする。
この三、四週間、毎日会っていたわけではないが、何か心に傷がある人なのかもしれないと、アルベルトは漠然と思った。
「アル、今は始末書も一回忘れてくださいね」
「ありがとう。アイが代わりに書けたら私は嬉しいんだけどね」
「はは、下手〜な字で良かったら書きますよぉ」
「それは私が書いたんじゃないとオルフェリダン所長にすぐにバレそうだね」
ごっこ遊びだなと思いながらも、アイの表情が少し緩んだように思い、アルベルトは安心した。続けてあげようと。
「アイは、どこの国の生まれ?」
「私は——日本っていう国です」
「聞いたことがないな。遠くから来たんだね」
名前も見た目も、この辺りの人種ではないなとは思っていた。誰も聞いたことのない国名が出身地でも、敵国出身ではないことは明らかだった。
「ご両親は、こんな遠くに来ることをよしとしてくれた?」
「……父は私が子供の頃に出て行っちゃってますから。母は私を育てるのにうんざりしてて、私は祖母に育てられたんです」
何気ない会話のつもりだったが、アルベルトはしまったな、と思った。
「悪かったね。聞かれたくなかっただろうに」
それが彼女の世界と断絶しているような感覚の正体かと掴んだ。
「——良いんです。私、あんまり気にしてないんで。おばあちゃんは私をすごーく可愛がってくれたし、おばあちゃんが亡くなる時には側で手も握っててあげられた。私がもう大人になって十分に一人立ちしてからでしたし」
「良いことだね。それで、もう良いかなと思った?」
「思いました。子供の頃は不安ばっかりだったけど、もう折り合いもついたし。でも……祖母の遺したものは、もう顔も忘れかけてる母が全部受け取って、私は一人で暮らして……話し相手はGrailくらいしかいなくて……」
アイは視線を落とすと自嘲するように続けた。
「……友人の結婚祝いや、前髪の向きとか、些細なことをいつもGrail Vectorに聞いてました」
「ヴェクターさんは君の支えなわけだ」
「なんか、そうだったんでしょうね。私、知りませんでした」
「そういうものだよ。そろそろ帰るかい?」
静かに首を振る。
「いえ、次はアルの番です。ご家族は?」
「私の? すぐそこに住んでるよ。両親揃ってね。それに、妹がいる。妹は引っ込み思案で、その割に勝ち気でね。子供の頃から振り回されて来た。なんとなく私が側で見ていてやらないといけないと思ったりして」
「はは、昔から責任感が強かったんですね。辛かった?」
「いいや、ちっとも。第一子って、そんなもんだろ? 俺は気負ってなかったし、今も気負ってないよ。アイが、おばあさんのことを気負ってなかったように。案外人なんてそんなもんさ」
妹と話してる感覚になってくる。
アイは「そんなもん、そんなもん」と頷いて笑った。
その後も、好きな食べ物の話や、好きな色の話、天気の話、馬の名前の話、色々なことを聞いた。
アルベルトはアイに付き合ってあげようと思っていたはずなのに、いつの間にか自分の発する言葉の温度にひかれるように、心が軽くなっていった。
深夜を告げる鐘が鳴る。
アルベルトは髪を結っていたリボンを外すと、ソファを立った。
「さーて、なんか気も楽になったし、始末書書くか」
「書いてあげよっか」
「ははは、いらない」
家でやるような気持ちで書いていく。
ヨーナスの死が薄まったわけではないが、悲しみに手が震えるわけではない。
ただ、自分の人生と、ヨーナスの死がそれぞれ独立したものだと、不思議と感じた。
もっとしてやれた、もっとあれもこれも。
そう思うが、それは訪れない物語で、アルベルトも自分の人生を生きなくては、と。
「——よし、できた」
「偉かったですね、よくやりました」
「ありがとう。アイがいたから、ましなものが書けた気がするよ」
アイがお茶のセットを片付けに行く。
アルベルトは外を少しだけ眺めた。
(アイはまだ宿で暮らしてるんだっけ……。女子寮は空いてるし——いや、ヴェクターさんがおばあさんの代わりの家族のようなものなら、一緒にいたいのかな)
アイが戻ってくると、アルベルトはローブを手に取った。
「帰るかい? 送るよ」
「……ううん、帰らない。私はまだGrailの顔を見られないから」
「ふふ、兄妹喧嘩だね。俺にも覚えがあるよ。それじゃあ、今夜はもうここにいよう。俺は帰るつもりなかったし」
「そうなの?」
「うん。寮の静けさに耐えられない気がしてね。はー、嫌だなぁ。室長にもなってこんななんて」
「そういえば、アルは結婚は?」
「してるように見える? 俺は研究ばっかりだよ。親は早く結婚してほしいとか言うけどね。妹にその役割は押し付ける」
「ははは、そうだね。でも——」
でも、家族を持ったらと言われると思った。
前にヴィヴィアナにも似たようなことを言われた。男だから。第一子だから。親の期待が。
アルベルトはこれは話半分でいいやと書架の本を取り出し、モノクルを目にかけ——
「あなたらしいよ」
その言葉に、アルベルトはなぜか、無性に惹かれた。
「……俺らしい?」
「うん、楽しそうだから、いいと思う。あなたでいられるよ。それに、結婚とかって、一人でいられる者同士が、それでも一緒にいるものでしょ」
聞いたこともない価値観だった。
アルベルトの中で何かが変わる。
「いや……一人でいられないから結婚するんじゃ……。生活とか……子供を作る義務とか……」と呟きながら、自分が何をどんな言葉にしたいのかよく分からなくなった。
藍の言う結婚は、不思議と——それこそ愛の形に感じた。
「……アイは結婚は?」
「ははは、してるように見える? この根無草で?」
「見えないけど……。いや、達観した価値観だなと」
「私の国じゃ、一人でいる人もすごく多いから」
「……国が滅亡しない?」
「するー! ピンチです!」
他人事のようにアイは笑った。
だから、アルベルトも他人事のように言ってみる。
「俺と、一人でいられる者同士で結婚してみる?」
アイはきょとんとアルベルトを見上げた。
「アルと……?」
「うん、今日みたいな毎日が続くだけ。一人でいられる者同士」
「……冗談?」
「冗談と本気、半分半分かな。ははは」
アルベルトは子供の頃のように笑い、モノクルをポケットに戻した。




