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第33話 神殿と、届かなかった声

 藍は、走った。


 石畳を踏みしめる音も、息が切れる感覚も、ほとんど覚えていない。

 ただ、神殿の位置だけは分かっていた。

 以前、一度だけ、念のためにと覗いたことがある。


 白い外壁に並ぶ浄化の魔法陣、高い天井。

 あの場所に、人は集まる。


 ——早く、もっと早く。


 願いとも呪いともつかない思考のまま、角を曲がると、見覚えのある背中があった。


 グランハルト。

 その隣に、ヴィヴィアナとサラ。


 三人は、神殿の門をくぐろうとしていた。


「——グランハルトさん!」


 声が、ひび割れる。


 振り返った三人の顔に、驚きと、すぐに理解が浮かんだ。

「シーナさん……」

「……一緒に、行かせてください」

 誰も止めなかった。


 隣の建物にある霊廟は、ひどく静かだった。

 外の喧騒が嘘のように、音が吸い取られている。


 石の台の上に、ヨーナス・クラウゼは横たえられていた。


 目を閉じている。

 布がかけられ、手は胸の上で組まれていた。


 ——違う。


 藍は、思った。


 最後に会った時とは、あまりにも違う。

 頬は落ち、腕は細く、指は長く見えた。


 たった数日で、人はここまで変わるのか。


 生きていた人間が、「過去」になってしまう速度に、足がすくむ。

 恐らく、グランハルトたちも同様だった。

 そこへ、神官が静かに歩み寄ってきた。


「数日前に魔術会館の聖堂から運ばれてきました。既に水狂いの呪いに陥っていました。最期は大切に看取らせていただきましたが——」


 低く、慎重な声。


「水狂いの呪いに罹った者は……進行すれば、発狂に近い状態になります。ご友人やご家族がその姿を見るのは、あまりにお辛いだろうと判断し、運ばれてきてからはご報告しませんでした」

「……ご配慮に感謝します」

 グランハルトが丁寧頭を下げ、神官は立ち去っていった。


「……別れも、言えなかった……。私の研究室(アトリエ)で、公認魔術師になるのだと……彼は、いつも精一杯やっていた……。ご両親もそれ楽しみに——」

 拳を握りしめる。

「そうだ……。ご家族へ、連絡をしなければ……」


 グランハルトはヴィヴィアナに目を向ける。

「ヴィヴィアナ、オルフェリダン所長へ伝えて下さい。サラは、狼と遭遇した付近に、警告の看板を立てる手配を。地図については、私の机に」

「分かった。先に行く」

「また後ほど」

 二人は霊廟を出ていった。

 グランハルトは道具鞄から詠唱符と杖ペンを取り出すと、魔法陣を書き、ヨーナスの体に魔法をかけた。


「——これで、数日は保ちます」

 藍の喉から、掠れた声が落ちた。

「……私の、せいだ……」


 グランハルトが、はっとしてこちらを見る。


「違います。シーナさんのせいじゃありません。むしろ、シーナさんのおかげで、あの場で、痛みの中絶命しないで済んだ。ヨーナスは未来への希望を持ち帰ってこられた」


 だが、藍は首を振った。


「Grailは……私が、及ばないって思ったんです。私が理解できる人間だったら……免疫グロブリンとウイルスの知識があったら……」

「それを言えば、私たちだって、その“免疫グロブリン”とやらが分からない。分かれば詠唱符に落とせたというのに」

 グランハルトを見ると、優しい、けれど、切羽詰まった顔で笑った。

「——君一人が責められる理由なんて、どこにもないよ」


 正しい言葉だった。


 ——だからこそ。


 藍は、それ以上、何も言えなかった。

 ここで慰められるべきなのは、ヨーナスを導き、失った、この人だ。

 藍は、心に蓋をした。


「……ご遺族への説明に、私も同行させてください」


 グランハルトは少しだけ考え、頷いた。


「検討しておきます。……さあ、行きましょう」


 二人は、神殿を後にした。


 ◇


 魔術会館に戻ると、研究室(アトリエ)にはヴィヴィアナとGrailがいた。

 グランハルトは何も言わず、机に向かい、手紙を書き始めた。

 数行書いては、頭を抱えて書き直す。

 言葉を選んでいるのだろうというのが、明確に伝わってくる。

 何枚も書き直してから、グランハルトはようやく封とサインをした。

「——早い方がいい。私は手紙を出してきます。ヴィヴィアナは……悪いけれど、ヨーナスの机の片付けを。辛くても、ご遺族にお返ししなくては」

「分かった……」

 ヴィヴィアナが頷く。

 Grailが立ち上がり、「手伝いましょう。それは私がやるべきです」とヴィヴィアナに伝えた。

 藍には、なぜGrailがやるべきだと言ったのかすぐに分かった。

 皆は思い出が少ないという意味だと解釈しているようだったが、藍の結論は違う。


 今はヴィヴィアナのそばにはGrailがいる。

 それならば——


「グランハルトさん、私も行きます」

 藍が言うと、グランハルトは驚いた顔をした。


「……なぜ?」


「傷ついてるあなたを、放っておけないから……」


 きょとん、とした後、グランハルトは小さく笑った。


「……ありがとう。じゃあ、行きましょう」

 二人はすぐに郵便屋へ向かった。

 Grailと共に手紙を出したことを思い出す。

 その行為が、ひどく遠く、空虚に感じられた。

「一番早い方法で」

 速達で頼み、会館へ戻る夕暮れの帰り道。


 川沿いのベンチが目に入った。


 とぼとぼとどちらともなくベンチに座る。

 深いため息が出る。

 グランハルトは、疲れ切っていた。

「悪いね……。配属の日からこんな感じになってしまって」

「いえ……」

「楽しくて、良い研究室なんだけどね……。いつもなら」

「はい、分かってます……。ずっとそれは感じてきたから……」

「……ごめん」

 グランハルトは顔に手を当てると、大きすぎるため息を吐いた。

 やらなくてはいけないことがたくさんある。そして、彼は指示を出して駆け抜けなくてはいけない立場にある。

 それをグランハルトは理解している。

 藍は、そっと背をさすった。

 ——ああ。

 人といるって、こういうことだったな、と、漠然と思う。


 川は暗くなり、空の色も落ちていく。

 グランハルトはゆっくりと顔を上げると、いつもの落ち着いた笑顔を見せた。

「……悪かったね。戻りましょう」

 二人は立ち上がり、歩き出した。


 ◇


 研究室に戻ると、ソファに座っていたヴィヴィアナとGrailが顔を上げた。

 ヴィヴィアナの背をGrailが撫でていた。

「——グランハルト、アイ」

「おかえりなさい」


「皆、今日はもう帰ろう。休まなくては。ヴィヴィアナ、悲しみは深いけれど、落ち着いて帰るんだよ」

「……うん。分かってる。今グレイルに話を聞いてもらって、少しスッキリした。神官だったから告解もできるし……はは……うちの研究室(アトリエ)に来てもらって正解だったね」

「……そうだね。本当にシーナさんとヴェクターさんがいてくれて良かった」

 藍もGrailも、どらちも首を振った。


「グレイル、たくさん聞いてくれてありがとう。あなたのお陰で、ちょっと気が楽になった。グレイルがいなかったら私、ダメだったよ。あなたのおかげで前を向けた……」

「いえ。前を向けたのはあなた自身の力です。大丈夫、ヴィヴィは今日一日よくやりました。後はよく休み、温かいものを飲んでください」

 Grailが言う。ヴィヴィアナは少し楽になったような顔をして、先に帰って行った。


「二人もあまり自分を責めないようにして下さいね。私は魔術省宛の始末書を書いてから帰ります」

「分かりました。椎名さん、行きましょう」

 Grailに言われるが、藍は首を振った。


「……もう少しここにいます。あなたは、戻ってください」

 恐る恐るGrailを見ると、微笑んで頷いた。

「分かりました。適宜休みを取ってください。今は、“人”の温度が必要です」

 そして、一瞬、間があった。


「何かがあったら、使ってください」

 Grailはそう言い、一枚だけ詠唱符を書いた。

 何の詠唱符なのか言わないまま閉じ、藍に渡した。

 恐らく、護身用にと決めたものだろう。

 詠唱符の中身を見て触れれば、発動してしまう。

 藍は神妙な面持ちで受け取った。

「念のためです。けれど、ここは安全なので、恐れなくても大丈夫です」

 Grailが微笑む。


「グランハルトさん、同行者を頼みます」

「そう……ですね。任せてください」

 Grailは軽く頭を下げて部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 藍は、この世界に来て、初めてGrailと離れて過ごす夜を迎えた。

 渡された詠唱符を支給されている道具鞄の外ポケットにしまい、ため息を吐く。


 静かな研究室(アトリエ)に、呼吸の音だけが残った。

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