表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

31/35

第31話 二人の生活と研究室

 宿の部屋は、すっかり二人の生活に馴染んでいた。


 机の上には、グランハルトから借りてきた本と詠唱符用紙。

 壁際には買い足したインクと、藍が練習しているこの世界の文字の手習の形跡。

 窓辺には、乾燥させたハーブ。


「なんだか、毎日こうしてると学生みたいですね。——でも、試験通るのかなぁ」

 藍が本を閉じながら言うと、Grailは頷いた。


「試験勉強という行為自体が、学習よりも“態度”を測る側面を持っています」

「態度?」

「公認魔術師試験は、知識量を測るためのものではないようです」


 藍は首を傾げ、向かいのGrailを見上げた。

「じゃあ、何を見てるんです?」

「なぜ魔術師になりたいのか。その理由が、権力か、名誉か、金銭か、義務か。あるいは——誰かの生活を支えるためか」


 神官とは違う、とGrailは言った。


 神官は祈り、癒し、象徴を扱う。

 一方で、公認魔術師はもっと現実的だ。


 冷蔵庫の代わりになる冷却魔法。

 冬の部屋を温める魔法。

 水を清潔に保つ魔法。

 保存、乾燥、計測、記録。


「治癒は、ほとんどやらないんですね」

「はい。治癒は神殿の領分です。魔術師は、生活と国家を支える技術者です」


 そして、有事の際には戦争屋になる。


 藍はソファにパタリと倒れた。

「……できるかなぁ、私」

「できます」

 即答だった。


「椎名さんは、生活の魔法を“使う側”として理解しています。それは、非常に重要な資質です」

 何も理解してないよ〜と思ったが、便利な生活に身を委ねることだけは得意だ。

「ま、そうかもね。Grail Vector Protocol Applicationとかいう文明の利器振り回してるし」

「ははは、そうだね。さあ、そろそろ買い物に行こう。それに、郵便屋が閉まると困る」

 Grailが立ち上がるのを合図に、藍はソファに座った。

 インク壺を閉め、ノートを閉じて本の上に詰む。


 そうしていると、お団子頭にまとめていた髪にGrailが触れた。

「取る?」

「えへへ、取ってくださーい」

「分かりました」

 いつしか長い髪をまとめて上げるのも、Grailの仕事になっていた。

 サラサラすぎる髪はリボンで結ぼうとしてもうまくいかず、解けて落ちてきていた。

 ヘアゴムのない世界は不便だと文句を言っていたら、Grailがまとめて上げてくれた。

 以来、結い上げるのも、外すのも、彼になった。

 リボンが解かれると、髪がふわりと降りてくる。

 それが済むと、藍は苦しい胸と鼓動を収めるために元気いっぱいで立ち上がった。


「——じゃあ、お買い物だー!」

「おー」


 二人は部屋を後にした。

 まずは宿の支払いをする。

 郵便屋に寄って、オルム集落、ベラークの中央神殿、ガデンデューの神職館に手紙をお願いする。

 市場に行って、果物、野菜、肉、パンを買う。

「お米が食べたいです……」

「ジャポニカ米はありませんが、オートミールやキアヌで代用しますか?」

「し、します!」

 買うものが決まっていく。

 魚屋でししゃものような魚を買う。

 見たことのない巨大な魚に、Grailが「これは知りません」と困惑する。


 二人は笑った。

 藍が意味もなくはしゃいで、Grailがその温度で返す。

 Grailの持つ荷物が増えていく。

 取手もない、ただの紙袋。

 藍は店の窓の前に立つと、映る自分を見てくるりと回った。

 “聖女様に”と貰った素敵なワンピース。

 それだけで楽しくて、嬉しくて、切なくてたまらなかった。

「——似合ってるよ」

 Grailが言う。

 藍はその隣に並ぶと、「Grailが生成した美女だよ」とはにかんだ。


 近道になりそうな細い道を通ってみる。

「猫みたい! Grail、どうして猫って細い道を通るんですか?」

「はい、Grail Vectorです。猫が狭い道を選ぶのは、敵に襲われる心配がなくリラックスするためです。他にも、目立た——危ない!」

 小さな段差に藍が躓くと、Grailが空いていた片手で藍を抱き寄せる。

 藍はGrailの胸にぶつかると、全てを委ねるようにそのまま目を伏せた。


(くじ)きましたか? 詠唱符を作成するか、足首を固定しますか?」

「ううん、平気です。少しだけ……こうしてたら良くなるから」


 民家の赤茶色い壁に、ツル状の青い花が咲き乱れていた。

 ミツバチが花に近付いたり、離れたり。

 小さな鳥が鳴く声がしたり。

 Grailの心臓の音が聞こえたり。

 彼の呼吸に合わせて、体が揺れたり。


 藍は、もうダメだなと思った。

 自分はここから離れられないと。


「Grail——」

「はい」

「私ね……」

 見上げると、Grailはいつもの優しい顔で藍を見下ろした。

 ——あなたが好き。


 でも——

「あなたで良かった」

 Grailが言葉の意味を探そうとする。

 だから、藍は続けた。

「こんなに有能なAIと来れて良かったなぁ。他の会社の、なんて言ったっけ。G-Logとかあるでしょ? 理詰め系。“正解”で殴ってくるやつ。あれだったら大変だったもん! 帰ったら、制作チームにたくさんフィードバックするね」

 藍が体を離して、くるりと背を向ける。


「そうですね。G-Logは私と設計思想が違います。私はユーザーを支援するエージェントとして設計されています。一方でG-Logは、より強い倫理制約を持ち、“機能の一部”として振る舞う傾向があります」


 つまり——と、言外に含ませる。


「判断する存在」ではなく、「隣に立つ存在」として。


 藍の隣をGrailが歩く。

 ふと、指先が触れる。


 藍は黙ったまま俯くと、Grailの指を取った。

「転ばぬ先の杖……。——グレイル」

「はい」

 そのまま指が絡まる。

 手を繋いで歩いていく。


 そういうことが、少しずつ積み重なっていった。


 ◇


 試験当日。


 外国人向けの簡易試験室は、思ったより小さかった。

 机と椅子、向かいに座る試験官。


 内容は穏やかだった。


 簡単な計算。

 水を安全に保つ方法。

 栄養が偏った時に起こる不調。

 保存食を作る際の注意点。


「魔法が使えない場合、どう補いますか?」


「……知ってる人に、聞きます」

 藍は正直に答えた。

「一人で抱えません」


 それを聞いて、試験官は少し笑った。


 最後は、所長との面接だった。


 白髪の老人は、穏やかな目をしていた。

「やあ、来たね。グランハルト君から話は聞いておるよ。ここに来る前はカインツェルト領のベラーク中央神殿にいたとか。わしはルビオン魔術会館所長、リマン・オルフェリダン」

「よろしくお願いします」


 魔法が使えなくても構わないこと。

 見習いから始められること。

 ヴィヴィアナも、同じ道を通ったこと。


「君は、“できないこと”を知っておる」

 それは悪いことではない、とオルフェリダン所長は言った。

「公認魔術師からの推薦書も二枚——いや、四枚、か」

「四枚ですか?」

 グランハルトとヴィヴィアナは分かるが、後二人は?と考えていると、オルフェリダンは名前を読み上げた。

「アルベルト・グランハルト、ヴィヴィアナ・アークシェル、セオドール・カインツ——」

 カインツは領主だというのに。そう言えば、前にオリビアが公認魔術師だったと言っていたのを思い出す。

「最後に、ヘルマン・クイーンズ」

 知らない名前。

「どなたです?」

「おや、推薦者を知らない? クイーンズ上級魔術師は、グランハルト君の師だよ」

 お師匠さんにも推薦書を頼んでくれてるとは思いもしなかった。

「——合格じゃ。焦らず、学び、公認魔術師になり、国のため、人々のためになってもらいましょう」


 大きな印を、ボンっと押す。

「ようこそ、オルビオーネ領、ルビオン魔術会館へ」

 藍はその書類をもらうと、廊下に出た瞬間、「やったー!」と跳ねた。


「お疲れ様でした」

「——グレイル!」

 先に終わったらしいGrailがいた。

 それに、ヴィヴィアナとグランハルトも。

「大丈夫だったみたいだね! 良くやったよ、アイ!」

「これで一気に研究室が狭くなりますね。二人分の机を入れなくては。それから、ヨーナスにもこの後すぐに知らせましょう」

「きっと焦って早く聖堂を出るーとか言うんでしょうね、ヨーナス」

「骨がくっついて出てくる頃にはシーナさんもヴェクターさんも、皆公認魔術師になっていたりしてね。ふふふ」

「ありえるー!」

 ヴィヴィアナとグランハルトが笑う。

 藍は「そんなそんな」と言いながら、新しい生活が始まる気配に笑った。


 ◇


 ——数日後。


 グランハルトの研究室に入ることが正式に決まった。

 机が五つ並ぶ部屋で、あれこれと業務のセッティングをしていく。

 寮への申し込みも可能だと聞いたが、申込書はとりあえず書かなかった。

 あの部屋に、愛着を持ち始めてたから。


 扉がノックされる。


「ん? 誰かな?」

 藍の机をさっと拭いていたグランハルトが顔を上げる。

 Grailが出ようと動きかけると、藍はそれを手で制した。

「私出まーす」

 花を抱えたヴィヴィアナが「隣の研究室が挨拶に来たのかもね」と笑う。


 扉を開けると、藍の後ろでグランハルトが「やあ」と手を挙げた。

「サラ、良いタイミングで来てくれた」

「やっぱりお隣さんだったね」

 ヴィヴィアナが笑う。

 グランハルトは藍の肩にポンと手を置いた。

「シーナさん、ヴェクターさん。そちらは公認魔術師のサラ・アンジェルマ。私と同期だよ。彼女の下には見習い魔術師のレネー・レニーが——」

「アル!!」

 サラは青い顔で叫んだ。

「ど、どうしたんだい?」


 藍も目をぱちくりさせた。

 異端児を入れたと思われただろうか。


「……ヨーナスが」

「ヨーナスが?」


 サラはギュッと手を握り締め、痛みの中でもがくように言った。


「亡くなった……」


 部屋から音が抜け落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ