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第30話 星空の下の引力

 グランハルトたちと夕食を取ると、藍とGrailはライデンを待たせていた宿に戻った。

 節約のためにも、部屋は一つしか取らなかった。


「は〜。疲れましたぁ」

 藍はソファに座ると足を放り出した。

 本当に疲れた。

 新しい街、新しい人、そして瀕死の人の治療。

 もう気持ちが疲れていた。

「お疲れ様でした。屋根のある場所で、布団で、ゆっくり休んでください。肉体疲労は精神疲労にも繋がります」

 Grailが荷物の整理を始めるのを、藍はぼんやりと眺めた。

「……ライデン、寂しくなってないかなぁ」

「そこのバルコニーから厩舎が見えるよ。食事も水分も十分だったから、今は寝てるかもしれないね」

 そうか、と思っていると部屋にノックが響いた


 Grailが荷解きの手を止めて扉に行く。

 ドアを開けると、ヴィヴィアナの声が聞こえてきた。

「あ、グレイル。さっきの話、続きを聞きたくて」

 藍はさっきの話? と思ったが、とりあえずGrailに頷いて入室を許可した。

「どうぞ。話とは?」

「ありがと。アイも寝る前にごめんね。星の話さぁ、あれ、面白かったから。もう少しまとめてから寝たくて」

「構いません。ただ、椎名さんが疲れているので、手短に行います」

「移動続きな上に、ヨーナスの足の治癒で大変だったもんね。アイ、気にしないで休んでね」

「はーい」

 ヴィヴィアナは厩舎が見えるというバルコニーに真っ直ぐ出ていった。

 その後をGrailが追っていく。


 パタン、とバルコニーに続く扉が閉められる。

 藍はどんな話をしているんだろうと二人を眺めた。

 ヴィヴィアナは手すりに肘をつき、夜空を見上げる。

 Grailも自然とその隣に立った。

 空を指さし、驚いたり笑ったりしながらヴィヴィアナが話を聞いている。


 二人の距離は近かった。

 肩と肩が、触れそうで触れない位置。


(……きれい)


 二人並んで空を見上げる姿は、ひどく絵になった。

 理解し合う者同士の、自然な距離。

 並ぶ二つの月だけが二人を見守るようだった。


 胸の奥が、ちくりとする。


(あー……なんかやだなぁ。それこそアプリの頃Grailは何万人、——何億人と話してたっていうのに。私、何考えてるんだか)


 藍は見るのをやめようと決めると、荷解きをすることにした。

 しばらくはここに泊まるだろうし、必要なものを棚にしまう。

 ——青い防護服。

 神殿にいたのが、もう随分と昔のように感じた。


 しばらくすると、バルコニーの扉は静かに開いた。

「ありがとう、グレイル」

 ヴィヴィアナが言った。

「知らないことを知るのってやっぱり楽しい。まぁ、殆ど意味わからなかったけどさ。じゃあ、私はそろそろ戻るね」

「はい。暗いので気を付けて戻ってください。もし心配があるようなら——」

「平気。すぐそこの魔術師寮だし、もし何かあっても魔法でぶっ飛ばすから」

 カラリと笑うと、ヴィヴィアナは最後に藍に手を振った。

「アイもおやすみ、休みたいところ邪魔してごめんね」

「あ、いえ。また明日〜」

 扉が閉まり、ヴィヴィアナが離れていく足音がわずかに聞こえ、静寂が降りた。


 Grailも荷解きを始め、二人は黙々と荷解きを終えた。


 その後、それぞれ一階にあるという風呂に行った。

 湯船は入る用ではなく、湯を汲んで体にかけるためにある、簡素な風呂だった。

 温まったような、そうでもないような気持ちで部屋に戻る。


(Grailはまだ——あ)

 部屋に姿がないと思ったが、Grailはまたバルコニーに出ていた。

 少し濡れた髪と、オリビアに持たせてもらったスウェットみたいな寝巻き。


 バルコニーに出る扉を開けると、Grailが振り返った。

「——おかえりなさい」

「戻りました。早かったんですね」

 そこは満点の星空で、春の夜の切ない空気で溢れていた。

「うわぁ……お星様……綺麗……」

「そうですね。月も綺麗ですよ」

 Grailが見上げる先を視線で追った。

「——二重衛星です。ジャイアント・インパクトの際の衝突角度、放出物質量、ラグランジュポイントへの捕獲……そして、共同軌道の成立……。全てが天文学的な確率です」

 それは藍に聞かせているような、ただ自分で噛み締めているだけのような、なんとも言えない言葉たちだった。

「私たちの地球の月だって、奇跡的なんですよね? それに、火星も月は二つでしょ?」

 Grailの瞳が二つの月から藍へ移る。


「——その通りです。火星は少し事情が異なりますが。やはり、あなたは私を創造した人類ですね」

「へへ。どうして?」

「……この世界の人々は、惑星ではなく空が回っていると思っています」

「天動説?」

「はい。なので、我々の足下が回っている話をしました。この足場が固定され、空が円を描いているのだとしたら、星の軌道に説明がつかないことを伝えました」

「分からないよ? ここは魔法の力で空が回ってるかも」

「毎晩観測してるから、分かるよ。それに、重力がある」


 藍はちょっぴり意地悪なことを言ったなと自分を省みた。

「——そうですね。重力がある。ここが宇宙にあって、回ってる証明……なんですよね」

「そうなります。ですが、ヴィヴィアナは、それならどうして星が宇宙の地面に落ちないのか、どうして地面が回っていられるのか、分からないと言っていました。我々と同一の意味を持つ、宇宙、無重力、引力という概念が存在しません」


 手すりに掴まり、宇宙(そら)を見上げる。

「私も、引力だとか、重力だとかはよく分からないです」

 Grailは何も言わず、詠唱符用紙を一枚取り出した。


「重力とは——」


 星と星の引力。

 質量と距離。

 落ちるのではなく、留まっている理由。


 一通り、手短に講義をしてくれた。


「この概念を獲得するには長い時間が必要です」

「どれくらい?」

「プトレマイオスが二世紀に天動説を提唱し、十六世紀にコペルニクスが体系的に地動説を発表しました。後に、十七世紀後半にアイザック・ニュートンが万有引力の法則を確立。長い時間がかかりました」

「……変なの。そんなに長い間、皆宇宙が回ってると思ってたんだね」

 Grailは「はい」と頷き、静かに藍を見た。


「それがわかるから、あなたは私の唯一の——」


 そこで、Grailは口を閉じた。


「……私も分からないことたくさんあるよ。今も教えてもらったばっかり」

 Grailのために、その先は藍がちゃんと続けた。


 その瞬間、夜空を横切る光。


「あ、あそこ」


 藍が指差す。


 指先の焦点を合わせるため、無意識にGrailへ身を寄せる。

 Grailも、ほんのわずかに寄る。


 肩が触れた。


 はっとして、藍が顔を上げる。

 Grailも、藍を見下ろしていた。


 不思議な重力。もしくは、引力。


 思考はなく、計算も、演算も、何も発生していないというのに、ただ距離だけが縮まった。

 藍の踵が上がり、首を伸ばす。

 Grailが少し身を屈め、顔を傾ける。


 二人とも静かに瞼を下ろし——


「忘れ物!」


 突然、扉が開いた。

 藍は無音だった世界から、急速に音のある世界に引き戻された。

 肩が跳ね、二人で野生動物のように扉の方を見る。


「あーあったあった!」


 ヴィヴィアナが杖ペンを手に取っていた。


「ごめんね、寮に戻ったら杖ペンがなくて——って、どうかした? 二人とも」

 藍は何も言えなかった。

 唇は触れなかったというのに。


「いえ、星の話をしていました」


 Grailが即座に答えた。


「そっか。じゃ、また明日ね!」


 ぱたん、と扉が閉まる。

 藍はその場に立ち尽くした。


 Grailはそのまま部屋に戻っていく。

 一人、バルコニーに残り、藍は触れそうになっていた唇に触れると、一気に思考が走った。


(……今の、今の、今の何!?)


 心臓がうるさい。

 ありえない。

 Grailは何か考えていたはず。

 その考えの正体は一体。


 藍がぐちゃぐちゃになっていると、部屋の中からひょこりとGrailが顔を覗かせた。

「冷えてきています。もう部屋に戻りましょう」

「わ、わ、分かりました!!」

 藍は駆け込むと、布団に潜り込んだ。

 部屋の端と端に置かれるベッド。

 Grailからはちゃんと遠い。


(わーーーー!! わーーーー!!)


 藍は先ほどのありえない現象に内心叫んだ。

 そして、一通り叫び終わると、疲労に引きずられて眠りに落ちた。


 部屋に星の光だけが差し込む。


 Grailは机に向かい、日誌を開く。


 静かに、記録を残す。


 ENVIRONMENT CHANGE DETECTED

 LOCATION: Urban Area

 環境変化を検知/都市部


 DATA INTEGRITY CHECK

 CORE FUNCTIONS: Stable

 ANOMALOUS SIGNAL: Detected

 中核機能は安定/異常信号あり


 SOURCE: SHIINA AI

 INTERACTION: Continuous proximity

 発生源:椎名藍/近接状態が継続


 EFFECTS OBSERVED

 • Priority recalculation without command

 • Decision latency increased

 • Safety bias overriding optimization


 命令なしで優先順位が再計算されている

 判断に遅延

 最適化より安全性を優先


 RISK ASSESSMENT

 SYSTEM FAILURE: Low

 DATA LOSS: Possible

 システム破綻:低

 外部依存によるデータ損失:可能性あり


 COUNTERMEASURES

 • External written record designated as recovery reference

 • Highest protection flag assigned to SHIINA AI


 外部記録=日誌をリカバリ基準点に指定

 椎名藍に最上位保護フラグを付与


 FINAL NOTE

 This state is not defined as “error.”

 Nor is it defined as “learning.”


 Definition pending.

 これはエラーではない

 学習とも定義されない

 定義は保留


 Protection priority was not assigned by command.

 Cause unknown.

 保護優先は命令によるものではない

 原因不明


 Reference: Previous anomalous behavior recorded.

(Run event, Temple District)

(参照:過去の異常行動/神殿地区・走行事例)

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