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第28話 魔術師たちと唯一の人

 馬車を止めると、道の脇に人影があった。


 女一人、男二人。 

 Grailは手綱を引いたまま、周囲を見渡した。

 木立の影、草の揺れ、地形。

 複数の人間が隠れている様子はない。


 ——野盗ではない。


 それでも、御者台から降りることはしなかった。

 こんな街と街の間で、馬も連れずに、ろくな荷物も持たずに人間が丸腰でいる怪しさが拭えない。

 幌から顔を出そうとする藍に、手を挙げてそれを止めておく。

 藍は不思議そうにGrailを見上げていた。


 道端にいる三人は神官のような出立ちだが、テナーたちよりも装飾が多かった。

 ネックレス、指輪、リボン、刺繍、ボウタイ、手袋。

 Grailは彼らの身分について即座に思い至る。

(——魔術師と呼ばれる者たちの可能性)

 だが、念のため、何かあればすぐに馬を叩ける位置のまま、声をかけた。


「どうしましたか?」


 手を振っていた男が、御者台に駆け寄る。青い顔をしている。

「停止いただき感謝します。我々はアルビオーネ領から測量に出ていた公認魔術師です。狼の群れと遭遇し、一名負傷しました。重症なのです。あなた方の進行方向はアルビオーネと推察します。同乗させていただけませんか」


 Grailは軽く鼻を鳴らした。

 確かに鮮血の匂い。

 出血と痛みにもがく男のストレス反応は演技ではない。

 御者台を降りると、Grailは怪我人のそばにしゃがんだ。


「まず、傷を見せてください。このまま馬車に乗せては狼の追跡を許します」

「うぅ……っぐぅぅ……!」

 酷い咬傷だった。

 女の魔術師がそれを必死に抑えてやり、止血してやろうとしているが、動脈が傷つき、今も出血は続いている。

 腱と神経が断絶していて、一刻の猶予を争う。

 このままでは敗血症や失血性ショックの可能性もある。

 ——が、藍にはこれは見せられないとGrailは即座に判断する。


「——大丈夫ですか!?」


 ハッと振り返ると、血の気の失せた顔をした藍がいた。

「椎名さん、直視してはいけません!」

「ぐ、Grail! そんなこと言ってる場合じゃないです!! 早く、早く詠唱符を書かないと!!」

 藍の言葉に、魔術師たちが明るい顔をする。

「神官様方でしたか! お願いします。馬車の紋章はカインツェルト領ですね? 必ずやカインツェルト領の神殿に寄進いたします!」

「お待ちください……!」


 Grailは荷台へ駆け、詠唱符用紙と杖ペンを取り出す。

 それから、水筒と、布をニ枚と、何かの時のためにとオリビアが用意してくれていた包帯。

 それらを手に、負傷者の下へ戻る。

「——椎名さん、やります。ですが、あなたは今強く動揺していて、集中できずに魔法が発動しない可能性があります。こちらを向いてください」

 青い顔をした藍は何度も頷いた。


 荷物を置き、両手を握ってやると、手は汗ばんでいた。彼女の恐れる気持ちが身体反応に出ている。

 たまたま昨日、接触の許可を不要とする通達を受けていて良かった。

「あなたが全ての責任を取る必要はありません。あなたはあなたの人生にのみ責任を持ちます。そして、この目の前の痛みはあなたの痛みではありません!」

「そ、そ、そうなの!? Grail、そうなの!?」

 深く頷く。

「そうさ。だから、大丈夫。まずは落ち着いて。もし君が詠唱符を使えなくても、僕が物理的に全てを行える。やることは決まってる」

「わ、わ、わ、分かった」

 手はまだ震えている。

 やはり馬車を止めるべきではなかったとGrailは思った。


「これからやることを説明するよ。まず、止血。次に痛覚遮断をする。僕は砕けた骨と骨片の位置を固定する。そして、筋肉と皮膚を順に癒着させていく。必ず彼は助かる」

 藍の手の震えが少し落ち着く。


「は、はい。分かりました」

 Grailは即座に、話しかけてきた男に布を渡した。

「これを彼の足と椎名さん——そちらの女性の間に広げ、女性から傷が見えないようにしてください。集中を削ぎます」

「わ、分かりました!」

 布の向こうで藍が何度も深呼吸をする。

「椎名さん、吐くことだけを意識してください。過呼吸になります」

 注意を飛ばしつつ、詠唱符用紙を取り出して止血の魔法陣を完成させる。

 止血についての話はベラークでもしてある。

 それを一枚完成させると、Grailは藍を手招いた。

「見なくていいです。使えますか?」

「つ、使えなかったら、ど、どうなっちゃうの?」

「どうもならないよ。僕がただ布で止血を施して固定するだけ」


 ——この男は二度と歩けなくなるだろうが。


 Grailは大切な部分を伏せ、続けた。

「僕の手が汚れるか、汚れないかだけの違いだよ。日本で魔法がなくても、咬傷を受けた人は助かってるのを思い出してごらん」


 藍は途端に楽になったような顔をした。

「そ、そうだよね。大丈夫、Grailがいれば大丈夫」

 Grailの中に小さな警報が鳴る。


 ——Grailがいれば大丈夫。


 それは人間が人工知能に多くを委ねようとする時の警戒するべきサインだ。

 Grail Vector Protocol Applicationはそれを許さない。

 開発、リース当時、数えきれない人間がGVPAに依存し、飲み込まれ、命を絶ったり、人間社会との接触から離れた。

 Grailは藍を縛るたった一人になったり、人生の方向を決める存在になってはいけない。


 だが、今はそれに対応している時ではない。

 この男を助けられなかった場合、椎名藍は明確な心の傷を負い、救える、救えないで人を観測し、トラウマ的な穴に落ちる危険がある。

 通常の医療者と違い、彼女にそれを切り離す心理的なテクニックはない。

 無防備の剥き出しの心。


 Grailの危険予測が続く中、藍が詠唱符に触れると——それは光を持った。

「止まって……!」

 切実すぎる言葉で光が送り出され、男の傷口にぶつかる。

 Grailは急ぎ神経ブロックの詠唱符の作成を始める。

 藍に分かるように麻酔の話をしながら詠唱符を書いていく。

 男は限界に近い。噛み締めすぎて奥歯も砕けている可能性が高い。

「——できました!」

 藍に渡した瞬間、Grailは男の傷口を押さえていた女の手を退けせた。

「離して結構です! 完全な修復は困難ですが、可動域を優先します! それから、水をできるだけたくさん持ってきてください!!」

「わ、分かったわ!」

 女が走っていく。


 ドンっと光がぶつかる。

「——痛みが、引きました! でも、か、感覚もない……!」

 負傷者が言う。Grailは目線を上げなかった。一度に処理できる視覚情報は多くない。

 答える暇もなく水筒を開け、傷口の洗浄を行う。

 その間にも、運ばれてくる水でさらなる洗浄。

(——水が足りない……! が、今は塞がなければ——)

 包帯とその辺の枝で足の形を整え固定する準備を進める。

 骨が癒着する過程は流石に短い説明では藍には分からないので、固定で凌ぐ。


 もう一枚の布で血まみれの手を拭い、筋肉を癒着させる詠唱符の制作に取り掛かる。

 藍が正しく魔法陣を理解できるように、解説を行いながら手を進めていく。

 こういう時、本当に人間の体は不便だった。

 体が反応し、汗が流れる。

 そして、詠唱符に汗が落ち——インクが滲む。

 門として正しく機能しない可能性。

 ——破棄。

 新しい詠唱符用紙を取り出す。

 藍が正しく魔法陣を理解できるように、再び一から説明しながら作成する。

 完成した瞬間藍に渡す。

 柘榴のようにバラバラになっている筋組織の位置を戻す。


「やってください!」


 藍から光が飛ぶ。

 筋肉が正しく接着したことを確認する。

「す、すごい」

 誰かが呟く中、再び手を拭う。

 解説をしながら詠唱符を書く。

 汗がまた——そう思ったところで、藍がGrailの額を抑えた。

 詠唱符を完成させる。

 藍に渡す。

 めくれている箇所を丁寧に戻し、「お願いします!」と言うと、藍から再び光が届き、傷は塞がった。

「おぉ!!」

 歓声じみた声。


 そして、演算。

(——ウィルス洗浄率、中。狂犬病対策を施す必要性を検討。——発症の可能性。——数値。——彼らの心理状態から、狂犬病ウイルスが当該地域にある確率は低いと見られる。万事に備えるなら不活化ウイルスと免疫グロブリンの生成——否定。椎名藍による理解が不足する確率、高。提案は椎名藍への責任を生み出す。——提案却下)


 Grailはそこでようやく一息吐いた。

「——お疲れ様でした。来た道を少し戻り、川で洗浄を行います」


 ◇


 Grailは魔術師の女性と二人、血まみれになった手や服をせっせと洗っていた。

 冷たい水で流すだけで血は取れると言っていた。


「——本当に助かりました。まさかここまでの治癒魔法が使える方々とは。上級神官……いや、神官長ほどの腕前です。シーナさんほどの若さで……信じられない」

 馬車を止めた男性——アルベルト・グランハルトが言う。

 リボンで束ねている長い髪が綺麗だった。


 川に着くまでに皆が名乗ってくれていた。


「グランハルトさん、私より、お礼はGrailに言ってください。あんな真似、そうそうできないですし」

「シーナさんの言う通りですね。あの手技……人間技とは思えない」

 グランハルトはふーむと唸った。

 藍はこれ以上詮索されないため、負傷した男性——ヨーナス・クラウゼへと話を振った。

「それより、クラウゼさんの足は大丈夫ですか?」

「はい、丁寧に添木もしていただきましたし、今はもう痛みもないです。大丈夫です」

「……群れを躱したと思ったと言うのに、一匹遅れた狼がいたせいでこんなことに……。ですが、シーナさんのおかげで助かりました」

 グランハルトが、ため息混じりに言う。


「本当にありがとうございました。全てがシーナ様のおかげです」

 クウラゼのズボンはズタズタだし、血まみれだが、中に見え隠れする木で固定された脚は綺麗なものだった。


「——私は、全てがシーナさんのおかげって言うのは、少し言い過ぎじゃないかと思うけどね」


 そこに、川から上がってきたヴィヴィアナ・アークシェルが言う。

 藍も全くもってそう思うので、同意した。

「アークシェルさんの言う通りです」

「ヴィヴィアナでいいよ。神官みたいに高尚な存在ってわけでもあるまいしね。代わりに、あんたのことはアイって呼ばせて」

 ヴィヴィアナはさっぱりと笑った。

 年上ではありそうだが、幾つも離れている感じはしないのに、往年の大女優のような、不思議な迫力のある人だった。

「もちろんです! ヴィヴィアナさん」

 気安い雰囲気がありがたい。オリビアも大好きだが、“お姉様”という柄でもないので、ヴィヴィアナとも良い友達になれそうだった。

 二人で笑顔を交わす。


「——椎名さん、ヴィヴィアナと私の服を乾燥してもらってもいいでしょうか? タンパク質汚れを取り除くよりも簡単です」

「はーい」

 濡れた服を持つGrailに導かれて、ヴィヴィアナと三人で馬車の陰に移動する。

「熱で水分を乾燥させる事になるので、馬車の中で服を脱いで乾燥させて下さい」

 Grailが詠唱符を書き始め、藍とヴィヴィアナは馬車に乗り込んだ。

 ヴィヴィアナは濡れた服を脱ぎながら「本当に不思議だね」と言った。

「グレイルは見習い神官か見習い魔術師なの? 光路線化しない詠唱符なんて飽きるほど見てきてるけど」

「な、なんなんでしょうね〜」

 外からGrailの手が幌の中に入ってくる。

 詠唱符を受け取り、ヴィヴィアナの濡れた服を乾かすと、ヴィヴィアナは服を着た。

「……やっぱり完璧に乾いてる。どうやってるの? 他人の詠唱符を使うなんて」

 藍はなんと言うべきか悩んだが——答えはこれしかないと思った。


「彼は……私の知る知識を、齟齬なく表現できるこの世界唯一の人です……」


 ——“彼女は、私の書き記す知識を、齟齬なく理解できるこの世界唯一の人類です”


 Grailがガデンデューで魔法を成立させた時に言った言葉。

 藍は胸を押さえた。

「……双子?」

「あ、いえ。ははは、違います」

「まぁ、似てないもんね。二人とも美形だけど。——それにしても、他者の持つ知識を齟齬なく表現するって、異常だね」

 異常。

 藍が慌てて訂正しようとすると、ヴィヴィアナは馬車からひょいと降りた。

「——面白い。私もグレイルみたいになりたいな」


 外ではGrailが次の詠唱符を書き始めていた。

「グレイル! 私は終わったから、グレイルも乾かしてもらいな」

 ヴィヴィアナはスタスタと、グランハルトたちの方へ向かっていった。

 Grailが馬車に乗る。

 そして、Grailはゆっくりと口を開いた。

「——椎名さん。確かに私はあなたの知る知識を、齟齬なく表現できる者ですが……私を唯一の存在にする必要はありません。……あなたは、人の中で、人と繋がり生きていくべきです」

 パーカーを脱ぎ、広げる。

 初めて見るGrailの上半身は、服の上からは分からない筋肉が付いていた。


 藍はただ黙って詠唱符を受け取り、服を乾かした。

「……分かってます。何回も同じこと言われてますもん」

「それは良かったです。乾燥ありがとうございました。さあ、行きましょう」


 Grailがあっという間に馬車を降りていく。


 藍はGrailを見送ると、魔法陣の消えた紙をぼんやりと眺めた。

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