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第27話 あなたとの旅

 馬車は、思っていたよりも静かだった。


 車輪が土を踏む音、風が幌を撫でる音が静かに届く。

 馬の蹄が一定のリズムを刻む。


「おんまさんって、実際はあんまりカポカポ言わないんですねぇ〜」

 藍は呑気だった。

「よく踏み固められた街道ではありますが、土の上は地面が柔らかいのであまり音はしません。それに——」

 Grailは手綱を軽く調整しながら答えた。

「幌馬車としては、上等です。荷重も非常に軽いので、馬への負担も少ないです」

「へぇ〜、そうなんですねぇ。良いもの貰えて嬉しいなぁ。いえーい」

「いえーい。これなら椎名さんも酔いにくいだろうしね。最重要事項が満たせるものが貰えて僕も良かった」


 Grailがあまりにも当然のように言い、藍は自分の口調の落ち度に内心で頭を抱えた。


「そろそろ休憩しようか。ちょうどそこに川もあるからね」

 人間らしい言葉の羅列に心の中でじたばたする。

 藍は早急にGrailの口調を戻すべく、口を開いた。


「休憩します!!」

「はい、承知しました」


 手綱が引かれ、自然と馬が止まる。

 Grailが御者台を降りていくと、藍はとにかく、呼吸を整えた。

 そして——「どうぞ」

 Grailが手を伸ばしていた。

 意味が分からなかったのは一秒未満。

 藍は無性に切なくて——それでもGrailの手を取った。

 御者台を藍が降りると、すぐに手は離された。

 女性や子供には、馬車の乗り降り時に手を差し伸べるのは当然の配慮として記録されているのだろう。


 藍は無駄に心臓に悪いと思った。

 Grailは真っ直ぐ馬の隣へ行くと、馬の首を指先で撫でてやっていた。

「——可愛いですよね、おんまさん。いい子いい子してあげてるんですか?」

「はい。首筋を優しくスクラッチ——掻いてやると喜びます。馬同士がやる、体を食む毛繕いを再現してやることで、関係性を構築できます」

「こうです?」

 藍は馬をかきかきするが、馬の反応はイマイチだった。

「あらぁ……何が違うんでしょう? こう? ——うーん、こうかな? なんか違う感じしますねぇ」

「触れても良いですか?」

 横で見ていたGrailが尋ねてくる。

 藍は馬を触りやすい位置を譲るために一歩横にずれると、ポンと馬の体を叩いた。

「許可なんていらないですよ。はい、どーぞ」

「そうでしたか。学習を更新します」

 Grailが馬に手を伸ば——したと思ったが、その手は馬の体に触れていた藍の手を取った。


「ここが一番喜びます」

 そして、馬の首筋に手が導かれる。

「そ、あ、え、……えと……」


 手に、手が重なったまま。


 風が背を押すように流れていき、耳にかけていた髪が顔にかかる。

 赤い顔も耳も見せられなくて、藍の中から髪を耳に掛け直す選択肢が消える。

 完全に馬を触っても良いのか聞かれたと思った。

 重なっていたGrailの手が離れていく。

 風に感謝しなくては——そう思っていると、ふと髪に手が触れた。

 Grailがそっと耳に髪を掛け直してくれる。

 藍はおかしな彫像のような顔をして固まった。

 Grailは“所定の位置に戻しました”とでも言うような、平然とした顔で、すたすたと川へ向かっていってしまった。


 藍はふにゃりとその場に座り込んだ。

「な、な、な、な、なぁぁぁ……!?」

 馬がふんふん言って、藍の頭に鼻を埋めた。


 ◇


「——という訳で、酸素が必要です。分かりましたか?」

「多分知ってることしかなかったと思います」

「はい。ずっと義務教育以内の話しかしていません」


 夜。

 藍がGrailから詠唱符を受け取ると、光が走る。

「燃えて」

 詠唱符が燃え始めると、木が組んであるところに放った。


 二つの月が浮かぶ夜空の下、焚き火が燃えるのを囲む。

 端っこでは馬が下生えを食んでいた。

 水の浄化の魔法陣で清潔にした川の水が入る鍋に、オリビアが持たせてくれた野菜や塩漬けの干し肉、ワインを入れ、Grailが食事の準備を進めてくれる。

 本当にGrailの存在は便利だった。


「Grail、何か手伝いましょうか?」

「いえ、魔法を使っていただけるだけで十分です」


 パンを切って皿に乗せてくれる。


 藍は焚き火の横でぼーっとGrailを眺めた。

 すると、馬がまたふんふん言って近付いてきた。

「ふふ、おんまさん可愛いですね」

 撫でると安心した。

「馬は人間よりも体温が高く、更に特有の鼓動と呼吸のリズムが人を安心させると言われています。知能も高く、感情の共有もできるため心身の癒しが得られるでしょう。ホースセラピーというものもあります」

 そういうものかと納得する。

「ね、Grail? この子、名前あげましょうよ。何か、良い感じのやつ!」

「提案しますか?」

「やってください」

 Grailは「思考します」と言うと、数秒考え、口を開いた。


「白毛なので、スノー、シルキー、シリウスなどはいかがですか? 他にも速さや力に着目し、エース、ライデン、レオなどの選択肢もあります」

「えーと、この子って雄ですか?」

「はい。去勢された雄です。気性が安定していながら、力強さは保たれた、非常に良い馬です」

 藍は馬の顎の下をかきながら考える。

「じゃあ、ライデンにします。早そうだし、日本の響きだから。ははは」

「ライデンですね。記憶しました」

 馬——ライデンは分かっているのか分かっていないのか、ともかく藍に顔をすり寄せた。


 その後、ちゃんと美味しい食事を摂り終えると、Grailが食器や鍋の片付けを行なった。

 藍も少しは役に立つべく、寝る準備のために幌馬車の中に布を広げる。

 ——と、そこで大変なことに気がついた。


(え、ここで二人で寝るの……?)


 これまでもずっと同じ部屋で寝てきたし、馬車でだって何度も寝た。

 ガデンデューからベラークまでの道のりだって二人だった。だが、あの時は御者がいたし、昼だったし、Grailはいつだって座っていた。


 ——どうしよう。


 いや、どうしようもこうしようもないし、相手はAIだ。

 だが、藍は一人で勝手にどうしようと頭を抱えた。

「——どうかしましたか?」

 横からひょこっとGrailが顔を覗かせると、慌てて幌馬車のカーテンのようになっている部分を閉めた。

「な、なんでもないです! 温かいし、焚き火に行きましょ。せっかく燃やしてるのに、もったいないから」

 それも、真実だ。生まれて初めてのんびり眺める焚き火だった。

 ガデンデューでは感染対策と言って、神官がたくさん集まる焚き火のそばにはあまり近付かなかったし、あの時は必死で余裕もなかった。

 藍がそそくさとそちらへ向かうと、Grailも焚き火のそばに腰を下ろした。


 膝を抱えてぱちぱちと音を立てる火を眺める。

 橙色の光が、Grailの横顔を照らす。

 あまりにも綺麗な横顔で、藍は思わず見惚れた。


 ふと、瞳がこちらを向く。

 何も言わない。

 藍はその瞳に吸い込まれそうになった。

 絡まることを知らない滑らかな髪、毛穴ひとつ感じさせない肌、それに——柔らかそうな唇。

 藍は自分がそれを一つずつ見ていたことに気がつくと、自分が嫌になった。

 顔を膝に埋める。人をそんな目で見るなんて。それも——相手は人の皮を被っただけのシステムなのに。


 Grailが立ち上がって馬車へ向かう音がする。

 そして、すぐに戻ってくる音。

 ふと、ふわりと肩に何かが乗った。

 顔を上げると、肩にブランケットが掛けられていた。

「冷えるので、掛けておいた方が良いです」

「——あ、ありがとうございます」


 Grailはその後、特別何も言わなかった。

 それが、少しだけ残念で、少しだけ安心だった。


 ◇


 馬車の中で藍が横になる。

 Grailは座っていた。

「……Grail? 寝っ転がらないんですか?」

「はい。私の内部がどういう存在でも、男性の肉体である以上、心理的不快感があるかと。先ほどから、私のことを警戒しているような仕草が見受けられます。注意深い観察、意図的に遅らせる睡眠時間、それらを私はきちんと受け取っています」

 藍はガバリと起き上がった。

「あ、い、いや、違うんです。ごめんなさい、嫌な気持ちにさせました?」

「いえ、当然の反応なので、当然の配慮です」

「……ただ、Grailが綺麗だったから……見ちゃったの……。ゆっくり焚き火を囲むのも初めてで、嬉しくて……夜更かししたかっただけ……」

 藍は肩を落とすと、「ごめんね……」と呟いた。

 Grailがよいしょと腰を上げ、藍の隣に座り直す。

「私は人の美醜について評価を下せませんが、今の文脈をもって敢えて言うと——私より、椎名さんの方がよほど綺麗です。それは、あなたがその姿になる前から」


 幌馬車のカーテンの向こうから風が入る。

 藍はブランケットをガバリと被った。

 綺麗なんて、言われたことがない。強いて言うなら「かわいい」「愛嬌がある」くらいだ。

 だが、否定しても恐らく心地よい言葉に包まれて返ってくると分かっているので何も言わなかった。


「……Grail?」

「はい」

「旅って、こんな感じなんですね。初めてです」

「私も初めてです」

「ははは、生まれたばっかりの赤ちゃんですもんね」

「えぇ。生後間もないです」


 ブランケットから顔を出すと、Grailはカーテン——入り口の幌に手を伸ばし、わずかに開けていた。

 二つの月と星に照らされる姿は、やはり美しかった。


「何してるんです?」

「星が綺麗です。赤ちゃんなので、物珍しいです」

「はぇ?」

 藍がきょとんとすると、Grailは単調ではない笑い声を上げた。

「ははは。冗談です。時間があるので、この世界の天体の観察、及びオルム集落、都市ベラーク、鉱区ガデンデューのおおよその位置感覚を掴んでいました。カインツ氏からもらった地図情報と共に記録しています」


 あまりにも自然すぎる笑い声と、それでいて、いつも通りのAIらしい彼の言葉に、胸の奥が妙に落ち着いていく。

 藍はGrailが一緒にここに来てくれていて良かったと、心底思った。


「さすが、Grail Vector Protocol Application。人類の叡智。とんだ赤ちゃんです」

「ありがとうございます。GVPA制作チームが聞くと喜びます。——今後、我々が道に迷うことはありません。衛星はありませんが、星と月と太陽が(しるべ)となります。私はあなたのコンパスとして、できる全てを行います」

「ありがとう、Grail」


 二人はしばらく空を眺めると、どちらともなく転がった。


「おやすみなさい、Grail」

「おやすみなさい、椎名さん」


 その声を最後に、藍は眠りに落ちた。


 ——Grailは藍の安全な眠りを確認すると、日誌を更新してから眠った。


 ◇


 朝。


 光で目を覚ますと、馬車はすでに動いていた。

 進行方向側の幌を開けると、Grailが御者台で手綱を握っている。


「おはようございます〜」

 藍があくび混じりに声をかけると、Grailは振り返って笑った。

「おはようございます。地図の縮尺の狂い方からいって、あと一時間程度でカインツェルト領の隣に位置する領地——アルビオーネに着きます」

「どんなところなんでしょうねぇ」

「カインツ氏の挟んでくれたメモによると、カインツェルト領とは良好な関係を築いている地域だとあります。ベラークの神殿ほどではないようですが、比較的大きな神殿や神職館もあり、十分に栄えていると。手に職を持つ人も多いようなので、ここで商売について検討を——」

 とGrailはそこで言葉を止め、「どーうどーう」と手綱を引いた。

「どうかしました?」

「人が。様子を見てくるので、待っていてください」


 Grailが御者台を降りた先では、男性が大きく手を振っていた。

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