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第26話 旅立ちの朝

 その日、藍はヴェール付きのマスクを着け、Grailと並んで神殿にいた。

 前日までとは違い、今日は“正式に”人々を迎える立場だ。


「奇跡の乙女だ……」

「聖女様……」


 囁きは、もはや遠慮がない。

 祈り、感謝、畏怖、勝手な神話化。

 藍は曖昧に微笑みながら、一人一人に頷いた。


 詠唱符はGrailが書く。

 最初の頃は邪悪な符だったのが、今や漢字と数式で作られる美しい魔法陣へと変わっていた。

 藍がそれを受け取り、使うたびに人々が歓声を上げた。

 Grailは、神殿に来ても対症療法ばかりでずっと治らなかったような人々の病もことごとく治した。

 難しい病の話は、その場で短い講義を受けることでなんとか魔法として発動させた。

 話を聞けば聞くほど、様々な知識同士が結びつき、理解までの時間も短縮された。

 医師と違って、判断や診断、診察をしなくて良いというのもアドバンテージだった。


 そして——講話もついにやらされた。


「はぁ〜〜〜」


 昼休憩。

 中庭の端に置かれた長椅子に、藍は腰を下ろした。

 空は高く、雲がゆっくりと流れている。


「疲れましたか?」

 隣に座ったGrailが言う。


「はひ……。もう、二度と講話はやりたくないです」

「内容は適切でした」

「原稿が良かっただけです。Grailが書いたやつ」


 藍はそう言って、軽く息を吐いた。

 柔らかい春の風が流れていく。


「……これをやってても、お金はもらえないんですよね」


 Grailは否定しなかった。

 藍の視線の先を追うように、空を行く鳥を眺める。


「……ここを出て、お金を稼がなきゃ」


 その言葉は、Grailを自らのそばに引き留めるためでもあり、自分をGrailから引き剥がすためでもあった。


 帰るなら、早い方がいい。

 ——帰りたくないからこそ。


 この気持ちは、放っておくと育ちすぎる。


「合理的な判断です」

 Grailはそう言って、頷いた。


 その一言に、藍は少しだけ救われた。


「……でしょ。私、大人だもん」


 藍はGrailの肩に、こつんと額を預けた。

 Grailは手元のパンを小さくちぎり、鳥たちに与える。

 何も言わない。

 二人はしばらく、そのまま過ごした。


 ◇


 翌日。


「行ってしまわれるのですか!?」

 テナー、オリビア、カタルの声が、神職館に響いた。


「巡礼神官ですので」

 Grailは淡々と答える。


「ちっ……」

 腕を組んだアレンが吐き捨てる。

「アイの力を使って、治癒で金儲けか」

「いえ、治癒に料金設定は行いません。対価は、相手の裁量に委ねます。無料でも構いません」

「……は?」

「オムル集落でも、そうしていました」


 アレンは一瞬目を白黒させると、談話室の机をドンと叩いた。

「そんなやり方で、二人で食っていけるわけねぇだろ!」

「その場合は、宿の質を下げます」

「……は?」

「最悪、野宿も検討します」


 沈黙。

 周りで話を聞いている神官の一人がポロリと杖を落とし、テナーがはっとした。


「……そのあまりの清貧で……荷物を何も持っていなかったのですか……?」

「いえ、清貧ではありません。元から、ただ何も持っていませんでした」


 テナーとアレンは、言葉を失った。


 そんな中、オリビアが「そんな……」と口を開いた。

「シーナお姉様に野宿なんて……。それに、何かがあったら、ヴェクター様がいらっしゃるとはいえ、守りきれないんじゃ……」

「護身用の魔法について、昨夜話し合いました。とはいえ、極力それを使わず、私が相手を鎮圧することを目指します」

 オリビアが数秒考え込み、深刻な顔をして告げる。

「私もお供します」

「オ、オリビアちゃん……?」

「お姉様の身の回りのお世話もありますし、修行の一環として、参ります!」


 藍は慌てて首を振った。

「だ、ダメですよ。危ないよ。またきっとここに会いにくるから——」

 と口にして、それは保証できないと考え直す。

「必ずお手紙出しますから、ね。ここで素敵な神官になって」

 藍は日本に帰る存在なのだ。

 彼女の全てに責任が取れなかった。

「……お姉様……」

 テナーがオリビアの肩に手を置く。

「オリビア君、シーナ様とヴェクター殿だけの方が、かえって安全です。足を引っ張ってはいけません」

「はい……」

 肩を落とすオリビアの姿に、胸が痛む。

 藍は背をさすってやることしかできなかった。


「カタル君、詠唱符用紙とインクを」

「そうですね。お持ちいただけるように」

 二人が小走りで談話室から出て行く。


「あの、ご出発まで、せめて何かお手伝いさせてください」

 オリビアが申し出てくれるのに微笑んで応える。

 藍たちも談話室を後にしようとすると、Grailの前にアレンが立ちはだかった。

 手が上がる。

 藍が一瞬体を硬くすると、アレンはぽつりと、呟くように言った。

「……悪かった。お前のこと、ずっと勘違いしてたよ」

「いえ、あなたは常に現実検討力を失っていませんでした」

 Grailが安心させるように微笑むと、アレンの顔も一緒に緩んだ。

 アレンが手を伸ばし、Grailは当然のようにそれを握った。


 その夜、Grailがいつもの一人掛けソファに座り、腕を組んで眠ろうとすると、藍はそれを止めた。

「Grail、ずっとここにいてくれてありがとうございました。今夜は、一人でも大丈夫そうです」

 Grailが僅かに考える。

「——そうですね。この神殿での脅威はほぼなくなったと言えます。では、私は隣の部屋にいるので、何かの時には声をかけてください」

「はい、明日は出発ですし、ゆっくり眠ってくださいね」

 扉まで見送りに行く。Grailは扉の向こうで立ち止まった。

「……やはり、ここにいた方が良いのでは」

「Grailが旅の途中で体壊したら困りますもん。私は大丈夫。ね」

 藍はまるで子供に言い聞かせるように伝えた。

 Grailの前髪をさらりとよけてやる。

 Grailは静かに頷いた。

「椎名さんもよく休んでください」

「はぁい。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 Grailが部屋を去っていく。


 藍は、ほぅと息を吐いた。

 胸の高鳴りを落ち着けるために。


 ◇


 出発の朝。


 神殿前には、幌馬車が止まっていた。

 その隣にはカインツがいて、藍とGrailは瞬いた。

「今日発つとテナーから聞いた。この馬車は餞別だと思って受け取ってくれ」

「カインツさん、でも、馬車って高いんじゃ」

 藍の言葉に、カインツは笑った。

「高いですよ、シーナ様。だからこそ、感謝を示すのに打ってつけかと」

 Grailがぐるりと幌馬車と、馬を見る。

「——幌にも、馬具にもカインツ家の紋章が入っています」

「あぁ、俺もカインツェルト領も、味方だって言っただろ。領内の街の出入りが楽になる。無論、よその領に入る時にも、な」

「感謝します。椎名さんの旅路には必要です。補足として伺いますが、こちらの紋章は何ですか?」

 Grailが指し示すところには、美しい女性の横顔の紋章があった。

「それはシーナ様の聖女の紋だ。本当はベラークの神殿の入り口に付けようって言って設計させてたんだが……まさか旅立たれるとは」

 カインツは「唯一無二の神殿を保持する領になると思ったのになぁ」と政治的な香りをさせることを呟く。

「というわけで、遠慮なく持っていけ。巡礼には、足が要る」

「ありがとうございます、カインツさん」

 藍は紋章は大袈裟だと思ったが、それは置いておいても、本当にありがたかった。


「シーナお姉様……」

「お元気で……」

 オリビアとカタルは泣いていた。

 その隣で、アレンは腕を組んだまま、短く言った。

「アイを頼むぞ。手紙を書けよ」

「約束します」


 仲直りできて良かったと藍が二人を眺めていると、テナーが深く一礼する。

「どうか、またベラークへ。清貧も極度になれば危険です」


 二人は幌馬車に荷を載せると、御者台に隣り合って座った。

 Grailが手綱を取り、軽く合図を出す。

 まるで人生で何度も馬を扱ってきたかのような手慣れた手つき。

 馬が歩き出した、その瞬間——


「聖女アイ・シーナ様と! グレイル・ヴェクター上級神官が発たれる!!」


 カインツの声が響いた。


「全員、最敬礼!!」


 神官たちが一斉に頭を下げる。

 街の人々の歓声が上がり、花びらが舞う。


 藍は御者台から身を乗り出して手を振った。

 頭を上げたオリビアが涙を拭いながら、手を振りかえす。


 馬車は、ゆっくりとベラークを後にした。


 ——旅が始まる。



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