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第25話 ハンドキス

「聖女様、お帰りなさいませ」

 藍とGrailが昼に神職館に戻ると、自然と神官たちが頭を下げ、道を開けた。

 その中、オリビアが走ってくる。

「シーナお姉様、おかえりなさいませ! 領主様の下へ行かれてきたんですか?」

「あ、オリビアちゃん。そう、ちょっと受け取るものがあって」

 馬車の中で、神官が金を受け取るということをよく思わない人間がいるということはGrailから聞いていたので、きちんと濁しておいた。


「そうでしたか! 先ほどテナー様がシーナお姉様を探していらっしゃいましたので、タイミングが合う時に神殿の方へお越しいただけますか?」

「テナーさんが? どうしたんでしょう?」

「なんでも、神殿でご講話をしていただきたいそうです」

「講話?」

「はい! 神殿に訪れる方々の前でお話しいただきたいそうなんです」

「え」


 オリビアは憧れの瞳を向けている。

 藍を最強の聖女だと思っているのがありありと伝わってきた。

 何と返せば——そう思っていると、Grailが一歩前に出た。

「——オリビアさん、椎名さんはまだ疲れていて、講話ができるほど調子が整っていません。テナーさんにはそのようにお伝えください」

「あ、そうですよね。大丈夫です、テナー様には私の方からそのようにお伝えいたします。シーナお姉様はゆっくり過ごされて下さいね」


 オリビアがペコリと頭を下げて去って行く。

 藍はほっと息を吐いた。

「ありがとうございます、Grail」

「いえ、私はGrail Vector。あなたの健やかな日々を支えます。椎名さんは帰還が叶うと思ったところで、それが棚上げされた状態です。事実、調子が整っていません」


 Grailはそういう風に見立てているのだなと、藍はどこか他人事のように思った。

「調子が戻っても、私、講話なんてできませんよ。おじいちゃんのお葬式で、お坊さんの読経の後の短い説教でも寝かけましたもん」

「それは実にあなたらしい体験談です」

「ははは、私らしいですか?」

「えぇ。素直で飾らない、椎名さんらしいです」

 微笑むGrailの表情に胸が締め付けられる。


「……素直じゃないし、飾り立ててますよ。聖女とか言われて」

「自己評価はあなたの見え方を規定する全てではありません」

「……ん」

 小さく頷く。二人は自然と部屋へ向かった。


 今日はGrailの部屋に入る。


 こちらは一度もベッドを使っていなかったので、生活感がまるでなかった。

 代わりに、藍宛の大量の捧げ物が花の中にところせましと置かれていて、ある意味メルヘンチックな場所になっていた。

「では、ひとまず金銭の回収を行います」

「はーい。それにしても、なんで私に講話なんて言うんでしょうね。詠唱符書いてるのはGrailじゃないですか」

 Grailは手を止めずに答えた。

「そこがまさしくあなたが選ばれる理由でしょう。アレンさんも言っていましたが、光らない詠唱符を書くことは誰にでもできます。しかし——他者の書いた詠唱符を使用することは、究極の他者理解ということになります。それはまさしく、双子の女神アリアンとアリバンの求める姿そのものなのでしょう」

「って言うと?」

「噛み砕くと、あの神は人々が分かり合うために言葉を統一したのです。ですから、圧倒的な他者理解は、“聖女”、“神の子”、“導き”と変換されるわけです」

 藍は手元の箱を開けていた手を止めた。


「……Grailが私がわかるように書いてるって、何で思わないんでしょう?」

「魔法陣が光る、光路線とならないからです」


 簡潔に言い切ると、Grailは藍へ送られた金をまとめ、皮袋に入れた。


「金銭の回収はこちらにて終了しました。服、宝飾品の開封を手伝いますか? それとも、手紙を読みますか?」

 藍は悩んだが、手紙を頼んだ。

 一応勉強を頑張ったので、感謝は受け取れるだけ受け取りたい。


 全ての整理が終わったのはそれから二時間程度してからのことだった。


「こんなにたくさんの服も、アクセサリーも、使いきれないですね」

「ですが、長くこの世界で過ごす以上、これらは貴重な物資になります。今は恐らく春ですが、この先夏が訪れ、秋になり、冬になる時、これらは重宝されます」

「夏が来て……冬になる……かぁ」

 藍はこの先が全く想像ができなかった。

 使われていないベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。


「……ガデンデュー出発前に、カインツ氏に前払いを提案するべきでした。そうしていたら、細かな物品は後回しだとしても、顔料の多くは確保できていたというのに、私の落ち度です」

「そんな事ないですよ。それを言ったら、私がぐずぐずひめ魔法を使えなかったせいじゃないですか」

「いえ。あの時は——」

「ううん、良いんです。Grailのせいじゃない」


 藍はGrailにそれ以上言わせなかった。

 そのおかげで、まだ一緒にいられる。

 ここにいれば、神官として扱われて、守られて、責められず、そして——金が手に入らない以上、不可抗力として帰れない。


(……帰らなくて、いい)


 その考えが浮かぶと、また胸が少しだけ楽になった。

 けれど同時に、思い出してしまう。

 オルム集落で、Grailが言っていた言葉。


 藍を日本へ帰すことを自身の役割だと、責任だと確信していた。


 藍は、ちらりとGrailを見る。


 もし、ここに留まりたいと言えば。

 帰還を先延ばしにしたいと言えば。


 この人はきっと——藍を帰還させるという役割を果たすため、AIとして人間に依存させないため、一歩距離を取るだろう。


 それが、分かってしまう。


「……どうしたら良いんだろう」

 思わず感情が口から漏れ出る。

 すると、ベッドに腰掛ける藍の足下にGrailが膝をついた。

「今は、椎名さんの心を整えるべきです。Grail Vector Protocol Applicationにできることはありますか?」

 まるで物語に出てくる騎士か、王子様のように藍を見上げる。

「Grail、私……私……」

 そんな風に見上げられては胸が苦しい。

 まるで特別な宝のように扱われていると錯覚してしまう。

 藍がGrailを引き立たせるために片手を伸ばすと、Grailはその手の下に、そっと手を添えた。

 思った手の触れ合い方じゃないと思う間もなく——


 Grailは藍の手を唇のそばまで寄せ、離した。

 息の仕方を忘れた。


 以前アレンがそれをした時に言った、Grailの言葉。


『ハンドキスは実際に唇を手に触れさせないことで、相手への深い敬意や称賛を示します。時には——愛情も』


 藍は全身が真っ赤に染め上がったように錯覚した。

 指先まで熱い。

 それが自分の体温なのか、そうでないのかも分からない。

 Grailはきっと愛情なんて乗せていない。

 けれど、それならどうして——「どうして……?」


 Grailはそこに片膝をついたまま告げた。

「人間ならば、そうするかと試算し行ってみました。今、深い孤独感を覚えているあなたに必要なのは実際の人間の言葉、仕草です」

 思わず、Grailの唇に視線が吸い込まれていたことに気がつく。

 藍は真っ赤な顔を背けるようにベッドから立ち上がると、ドアへ走った。


「Grail! お散歩に行きますよ!!」

「はい。少し元気が出たようで何よりです」


 藍はあれこれ言いたいことも思ったこともあったが、全てを振り払い、ドアを開けた。

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