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第16話 君が欲しいもの

 翌朝、食堂で朝食を取るのは視線が多すぎるため、サンドイッチを持って二人は出かけた。

 オリビアが渡してくれた地図を手に、布屋へ向かいつつサンドイッチを頬張る。

 簡単な地図には色々な注釈を付けてくれていて、Grailによるとそれは「おいしいパン屋さん」「おしゃれなブティック」「可愛い雑貨屋さん」「隠れ家カフェ」など書いてあるらしい。

 藍はその地図を宝物にしようと思った。そして、字を学ぼうと思った。


 たどり着いた街の布屋は、色とりどりだった。

 Grailは店員とあれこれ話をすると、店員が大量の反物を手に戻ってきた。

 藍はギョッとした。

(マスク作るだけなのに、そんなに色々出してもらうの……? っていうか、白い布二枚買っておしまいじゃ……?)


 店員の手間の割に合わない買い物になりそうだと思う。

 それに、もしたくさん買うのなら——

「あの、Grail、お金足ります?」

「はい。あまり質の良いものは買えませんが、今は量が大切です。大きな出費にはなりますが、リターンで埋めましょう」


 必要性が分からず混乱するが、Grailが店員と広げた布をあれこれ藍に当てて真剣に思考する様子に、そんな思考は自然と破棄された。

 どれもある程度光沢がある薄い生地だが、ピンクや赤、黒などがGrailによって弾かれていく。

 そして、Grailは水色を藍にあてた。

「わ〜、この色好きです!」

 Grailは頷いた。

「最適です。では、これにします」


 Grailがサイズを指定して買い物を進める。鋏や縫い針、糸などの裁縫に必要なものも。

 藍は自然に買い物を楽しんでしまっていたし、人類の叡智の結晶がそうするべきだと思うことに従った方が間違いのない選択だと分かっていたので口出しはしなかった。


「いいもの買えましたね!」

「はい。求めていたものに近しい生地が手に入りました」


 布を抱えて歩いていると、藍はふと足を止めた。


 服屋。


 ガラス越しに見える、街の服。

 整った形。新しい布。


「……可愛いなぁ」


 ぽろっと、漏れた声。


 藍は生成された服を日中に、夜にはエンディーばあちゃんに持たせてもらった古着を着ている。

 それが不満だったわけではない。

 でも——。


「では、あのように作ります」

「……え?」


 どういう意味か分からないまま、藍はGrailと共に神職館に戻った。


 Grailは、藍の部屋に戻るなり作業を始めた。


 ハサミが動く。

 下書きもなし。

 寸分の狂いもない裁断。


 針が進む精度は、ほとんど機械——ミシンだった。

 人間の体で行える最大限のスピードだろう。


 藍はその横で、Grailが作ってくれた文字表と、オリビアの作ってくれた地図を見比べてみる。

 が、すぐに頭が混乱する。

 Grailの書く文字は印刷されたフォントにしか見えなかった。


「うわー! 分かんない!!」


 藍が大きな声を上げると、Grailは作業を止めてすぐに顔を上げた。

「どれが分からなかった? いつでも書き直すよ」


 Grailの透き通った瞳に射抜かれ、胸にドカンと星が投げ込まれる。

 ギャー! と叫びたかった。

 藍の口調の乱れはGrailの口調を乱れさせる。心臓に悪すぎる。

 藍がダメージを負っていると、Grailが表を覗き込みにくる。

 藍はブンブン首を振った。顔のパーツが左右に飛び散る勢いだった。

「見せてごらん?」

「だ、大丈夫です。がんばります」

「そうですか。必要があればいつでも言ってください」


 グラデーションのように、藍と共に変わる口調。

 Grailはいた場所に戻ると、作業を続けた。


 ◇


「できました」


 昼過ぎ。


 スペースがないせいでベッドの上に並べられたものを見て、藍は「わ」と声を上げた。

「こちらが椎名さんの分です」

 青いすべすべした生地で作られたワンピースが全部で三着。


 ——可愛いって言った、あの形。


「こちらは私のサイズに合わせました」

 Grail用の、ローブ状の青い服も三着。


「こうして、服の上から着用してください」

 説明しながら、背中でリボンを結んで試着したGrailを見た瞬間、藍は強烈な既視感に襲われた。

 布製マスクまでGrailが着けると、その既視感の正体に完全に至った。


 ——病棟。

 ——日本の、普通の。


「……これ、素敵だと思ったけど感染用の防護服ってことですか?」

「はい。定期的な着替えが可能です。なお、椎名さんが着用するマスクについては頬から首元にかけてベールが垂れるように作成しました。顔の輪郭がボケるので、視線誘導を阻害する点で有効です」


 藍は、吹き出した。


「ははっ、ほんとだ。流石です! 流石AI!」

「ありがとうございます。人工知能である利点ですね。これで、感染リスクは大幅に低下します。防護服については、乾くのが早いように薄い布を用いています。洗濯、乾燥、予備の三着ずつを用意しました」

 フェイスベールのようなマスクが手渡される。

「——全部で、二万四千リル弱です。残金は一万六千リルとなります」

「わぁ、買ったらきっともっとしますよね?」

「そのように推察されます」


 藍は笑って青いワンピースに袖を通した。

「後ろ、結ぶところは三箇所ですか?」

「はい。結びますか?」

 Grailが後ろに立つと、藍は長く柔らかい髪を体の前に垂らして頷いた。

「うん……お願いします」

「では、結びます。これが解けると防護服の意味がなくなるので、実地でも着実に止められる事を推奨します」

 上から首のすぐ後ろ、肩より下の位置、腰より少し高い位置。

 Grailが結んでいく手の感触に、嫌でも集中する。

 心臓の音が体を揺らしそうで、藍はギュッと目を閉じた。


「——椎名さん。終わりました」

「は、はひっ!!」

「顔が赤いです。室内での着用にも耐え、暑くなりすぎない生地を選んだつもりでしたが——」

「だ、だ、大丈夫です! えーと、マスクマスク!!」


 藍は慌ててマスクをつけた。ぴたりと内側は顔につくが、外側の布はベール状に揺れた。


「ど、どうですか?」

「顔貌が引き起こす外的リスクを低減できると思います」

「そうじゃなーい! なんて言うか教えたでしょーが!」

 藍はドキドキした気持ちを返せと内心悪態をついた。


「ははは、もちろん似合ってもいるよ」


 ハッとGrailの顔を見る。

 Grailは微笑んでいた。いつもの無表情との境目ではなく、口角を上げて、目を細めて。

「ふぇ……」

「椎名さんが欲しい形で作れて良かった。可愛いね」

「はゎ——」


 藍はバターンとベッドに倒れた。


 ◇


 領主の館は、昼間でも静かだった。

 昨夜の晩餐が嘘のように、人の気配が薄い。


 応接の間に通されると、カインツは既に椅子に腰掛けていた。

 机の上には地図と、簡素な皮袋。


「おう、来たな。グレイル。それから、シーナ殿」


 Grailは一歩前に出た。

 藍は半歩後ろに立つ。


「それで、どうする?」

「行きます」


 即答だった。


 カインツは一瞬だけ眉を上げ、それから口角を吊り上げた。


「ははは! よし、よく言った。今日は迷わなかったな」

「はい。条件を整理し、これにて実行可能と判断しました」


「——そんな洒落込んでか?」

 視線が、藍の青い防護服へと向く。

 側から見たら、オシャレな水色のワンピースを白いワンピースに重ね着しているようにしか見えないデザインだった。

 流石にマスクは着けてこなかったが、ワンピース防護服は気に入ってしまったので、着たままだった。


「椎名さんを含めた最適解です」


 カインツは小さく笑った。

「相変わらず、愛想のない神官だ。——だが、俺のために働くなら何の文句もない」


 椅子から立ち上がり、地図を指で叩く。


「じゃあ、早速だ。明日の朝、テナー神殿長が神官団を連れて発つ予定だ。一緒に馬車に乗るだけでいい。それで向こうに着く」

「承知しました」


 報告を終えて館を出ると、外の空気はやけに明るかった。


「早速明日って、早すぎますよね」

 藍が小さく言う。


「移動距離と感染拡大速度を考慮すると、妥当です」

「そうなんですねぇ」


 藍は深く息を吸った。

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