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第15話 Grail Vector、走る

「——へ〜! 巡礼司祭様だったんですね〜!」

「そ、そうなんです。はは、私じゃなくて、Grailが……なんですけどね」


 廊下を行く藍の隣には、髪を二つに結んだ——おそらく十五歳くらいの少女がいた。


「ご領主様と喧嘩されたって、神職館じゃ噂で持ちきりですよ! ご領主様は昔戦争で五十一人も伏せさせたって、カインツェルト領じゃあ有名な方なのに。あ、ご領主様は公認魔術師様でしたからね。なのに、あんなに怖い人相手に、ヴェクター様ってすごいですねぇ」

 藍は首を刎ねられなくて良かったと内心冷や汗をかいた。


 二人で談話室に着くと、少女は部屋の隅に置かれたガラス張りの棚を開け、中から水差しを四本出した。

「これだけあれば足りそうですか?」

「はい、ありがとうございます。あの、ちなみに……」

 と藍が濁すと、少女はすぐに何が言いたいのか思い至ったようで、明るく笑ってくれた。

「水が汲める場所もご案内しますか?」

「わぁ、助かります。すみません」

「いえいえ! シーナお姉様は男性神官だけでなく、女性神官、修道女の中でも話題ですよぉ。お美しくて、皆がお話ししてみたいと言っています」

「お、お姉様……」


 全く呼ばれたことのない言葉で、消化に時間がかかった。

「でも、男性神官たちと違って私たち女性神官は——あ、私は見習いですけど。私たちはちゃんと、美しい女性の大変さを分かってますから! 皆、あのケダモノたちを抑える方に回っていますので、ご安心くださいね!」

 藍はこの世界に来て、始めて心から笑った気がした。


 神に仕える身でありながらとんでもない、と少女はぷんぷん怒っていた。

「……ありがとうございます、本当に。あの、あなたはお名前は?」

「あ、申し遅れました。私はオリビア・アスタロサと申します。お気軽にオリビアとお呼びください! 神職館にいらっしゃる間は、私がシーナお姉様をお手伝いしますので、ご安心くださいね」

「オリビアさん、それで私の部屋を尋ねてきてくれてたんですね」

「オリビアで構いませんよぉ」

「はは、オリビアちゃん」


 そう、オリビアはGrailの部屋に入ろうとした時、藍に声をかけてくれたのだ。

 水差しを探していると言ったら、すぐに案内を買って出てくれた。

 神職館に来て初めての女性だったので、大喜びでついてきてしまった。

 Grailに言うべきか悩んだが、学習しているところだったし、水差しを取りに行くことは伝えたので邪魔しないようにそのまま来た。


「こちらの回廊の中庭に噴水(ラヴァポ)がありますので、お水はこちらでどうぞ。ここはゲスト用の噴水(ラヴァポ)なので、他には人も来ませんし、気軽に使ってください! 衛生の魔法陣も効果が切れてませんし、安心してくださいね」

 噴水の淵にはびっしりと光る文字が書き込まれていた。

 あの井戸に施したのと似たようなことなのだろうと、水を汲もうとすると——


「椎名さん!」


 藍は自分を呼ぶ声にびくりと肩を跳ねさせた。

「Grail? どうしました?」

 血相を変えたGrailは走ってくると、藍の目の前まで来て手を伸ばし、停止した。

 文字通り、ぴたりと停止した。

「Grail……?」

 Grailはハッとすると、手を下ろし、もういつもの微笑とも無表情ともつかない顔をしていた。

「——椎名さん。隣の部屋までと聞いていたので、不測の事態が発生したものと思い探しました……。すみません」

「え、ごめんなさい。学習中だったんで、邪魔しちゃ悪いかなって……。心配しました? 本当にごめんなさい」

「謝る必要はありません。あなたはあなたの判断で自由に動く権利があります。何もなかったのならそれで良いのです」

 藍は自然に頬が緩んだ。

「ありがとう。Grail、こっちはオリビア・アスタロサ——オリビアちゃんです」

「ヴェクター様、よろしくお願いいたします! お二人がベラーク中央神殿でお働きになっている間、私がシーナお姉様のお側でお仕えするようにテナー様より承っております。もし、行かれなくても、オルム集落でのご恩があると、テナー様は仰っていました」


 Grailが何かを言う前に、藍が口を開く。


「オリビアちゃん、でも、私行こうと思うんです。Grailと一緒に」

「はぇ? シーナお姉様はお嫌なのでは……?」

「いえ、Grailと行きます。だけど、ここにいる時はオリビアちゃんにお世話になります」

 藍はぺこりを頭を下げ、オリビアも戸惑いつつ頭を下げた。

「あちらは呪病が蔓延していますよ……? 鉱区ガデンデューの神官たちも、鉱区の隣の街から行った神官たちも皆呪病で倒れたそうで……私、実はお勧めできません」

 オリビアの視線は藍の手に向いていた。

 汚れ一つ、シミ一つ、毛すらないような苦労なんて何も知らない透き通る手。生成された美しさ。


 だが、それは藍を定義する情報ではなかった。一つも当てはまらない。

 藍は笑った。

「ははは、大丈夫です。感染対策バッチリで行きますから。ねぇ、Grail」

「——はい。呪いという点には対応しませんが、病という点では突破できる可能性があります。ただし、強く推奨できる選択肢ではありません」

「うん。でも、もう決めましたから」


 三人は藍の部屋に戻ると、大量の花を水差しに収めた。


「これでよし、と」

「わぁ……シーナお姉様、大変でしたね。これだけの量の花束に添えられたお手紙を整理されていたなんて……。なんてお優しい……」

 感動するオリビアに、藍は自分がやったわけではないと言えなかった。

 丁寧に重ねられた手紙は、開けられたものとそうではないものが、やはり丁寧に分類され、Grailの機械的な仕事の結果を物語っていた。


「では、私はそろそろ戻りますね。玄関広間の西側の廊下を行くと私たち女性神官の部屋がありますので! 私の部屋は(ひじり)の七です。あ、東側は男性神官がうようよしていますので、お間違えないようお気をつけください!」

「はーい。何かありましたら行きます」

「ヴェクター様もおやすみなさいませ〜!」

「おやすみなさい。十分な休息を取られるよう推奨いたします」


 オリビアはぺこりと頭を下げると部屋を出ていった。


「いい子で安心しますねぇ」

「はい。優しさと気遣いが心地良さを感じさせるのでしょう。年齢も椎名さんを萎縮させない要因だと推察します」


 人間だったら、「本当いい子だね〜」で済む話を丁寧に折りたたまれ苦笑する。

 このAIめ、と考える。


 ——が、あの時の顔。


 走ってきた彼の瞳は動揺に揺れ、震えるような手は——


 そこで、藍は思考を止めた。


「Grail、何書いてるんですか?」

「日誌です」


 確かにそれを付ける約束をしていた。

 Grailの文字を書く方法は、プリンターのような、上から線と点を繋いで行うものから、一文字づつ書く人間らしいものへと変わっていた。とはいえ、文字の精度はフォントのようだった。

 そういえば、ピースで言葉を強調する仕草もいつの間にかしていない。

 Grailなりに人間に紛れられるように色々考えてるんだなと思う。

(——っていうか、私よりよっぽど色々考えてるよね)


 苦笑している間に、どんどん日誌が埋められていく。

 日誌には二つの言語が並んでいった。


 上段は日本語で、下段は英語だった。


 日本語の方は、こう書かれている。


 《街到着》

 人口増加。情報密度高。

 紙と筆記具を確保。

 日誌開始。


 《神職館》

 環境安全度:中。

 人的変数多。

 椎名藍の安全確保、要優先。


 不測の外出発生。

 探索行動実施。

 走行。


 走行は最適解ではない。

 演算完了前に実行。


 理由:未特定。

 記録継続。


 一方、英語の方は。


 Unexpected behavior detected.

 Body moved prior to full calculation.


 Reason unknown.

 Possibility: priority conflict.


 Note:

 Subject “Shiina Ai” was not in visual range.

 This outcome is unacceptable.


 読もうと腰を据えれば読めるのかもしれないが、少なくとも横から覗き込んでパッと意味が入るほど、藍は英語は堪能ではなかった。

 正直日本語の方も斜め読みだ。


「これ、何です?」

「記録です。日本語は、あなたも読める形にしています」

「下は?」

「私の処理ログです」

「あ〜なるほど」

「あなたが警戒しているデータ破損の際に、日本語の記録だけでは足りない可能性があるので残しておきます」


 そう言うと、Grailはまた日誌を書くのに没頭した。


 藍は花で埋め尽くされた部屋で、Grailのペンが紙を引っ掻く音だけを聞いていた。



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