序章
「 汐鳴ちゃん、こっちだよ!」
「……」
少女は裸足のまま砂浜に立っていた。海の向こうから吹いてくる微風が、彼女の髪を撫でていく。寄せては返す波が、足首にまとわりついた砂をさらさらと洗い流していく……
「お母さん……」
電気も灯りもない、こんな離島の真夜中。本来ならば、どこまでも続く暗闇のはずだった。けれど、今この浜辺は銀白色の光に浸されている。ひどく冷たくて、それでいて、どこか温かさも残っているような……
心から何かを失ったからだろうか。それとも、心にまだ何かが残っているからだろうか。
温もりの方向へ、少女は海面を見やる。それは夢の中のようで、自然の理を超えた光景だった。
――白い円月が、毯の上に座る子どものように、その下端を海面へと沈めている。月は異常なほど大きく、視界の大半を占めていて、手を伸ばせば届きそうだった。周囲を漂う白い霧が、それをなお一層、幻のように見せていた……
「お母さん……」
少女は足を踏み出し、お母さんのもとへと歩いていく。一歩ごとに足跡がつくが、その足跡はすぐに潮水に洗い流されてしまう……
少女はお母さんのそばへ来た。お母さんの手には、ガラス瓶があった。中には、ついさっき汲んだばかりの海水が入っている。
海水だけでなく、海に落ちた月も、そして……月の記憶も……
お母さんが微笑む。お母さんは少女の額をそっと撫でた。
「お母さん……誰?」
涙がこみ上げる……
「お父さん……」
「お姉ちゃんは……」
「誰?」
涙が地面に落ちて、小さな窪みを作る。それもまた、潮水にさらわれていった。
……




